あの先週の日曜、わたくしが御指摘申し上げた厩舎。当日、3番人気 5番人気で共に発射した。やはり、流行りものは逃してはいけない。日曜ならではのプレゼントなのである。また、今週の日曜も狙い頃だ。
週中、久方ぶりに人様から伺ったことで、成る程と驚倒。秋GⅠへの非常に鋭い示唆を頂戴し、その方からの御要望もあり、先だっての小倉の件。当日、御登録ある方々にのみ、お話した内容だが、ここで公開させて頂く。一応、もう終わったことだからね。
9月1日 防災の日 この日のメイン
第33回 小倉記念
勝利ジョッキー和田竜二が、レース後のインタビューで「和田アキコです!」と言ってのけた ホウライアキコ 優勝のレースだが、わたくしが、2着 7枠12番 ベルカント に関し、読み切った仕掛けである。
ベルカント = 美しい歌唱 だが、無論好事家の方々はご承知、クラシックやオペラの声楽、あの独特の張り上げた、声量も漲る朗々たる声だが、これは音楽大学などでベルカント唱法として、ボイトレに始まり、徹底的に訓練されるものである。
当日、
新潟 8R 7枠13番 ユールシンギング = 貴方は歌う
小倉11R 7枠12番 ベルカント = 美しい歌唱
小倉12R 7枠13番 マキハタテノール = テノール(男声高音域)
これだけ同じ7枠に揃っていること。そして、小倉10R・11Rの7枠の武豊の連続。この配置だけでも、このベルカント、かなり怪しいのだが、それ以上に、当日早朝、レースを読み込んでいる過程で、ふと気付いた事柄で、ぎょっとなり、これを調べ上げる手間で、かなり情報発信が遅れてしまった。第33回の小倉のレース。そして 美しい歌唱 という馬名。
以上からわたくしのこころは次のような妄想に及んだ。そして妄想ではなく、向こうの意図そのものだったのである。
第33回 → サンサン
小倉
これは、小倉(こくら)の2歳の重賞だが、実にこの小倉での重賞レース。これまでもしばしば裏のテーマとなってきたのが、百人一首である。それは
小倉百人一首 藤原定家・編纂
この、子供でも知っている古典和歌への入門作品、カルタ取りの道具があるからである。
無論、
おぐら ひゃくにんいっしゅ
であり、これは、選者定家卿が、京は嵐山近く、嵯峨野の小倉(おぐら)山の麓、時雨亭と名づけられた庵に篭り、当時の古今の名主の作から、一歌人一作品を苦心の末、選び出し、云わばハイライト集、傑作選として後世、今日まで伝えられているものである。だから、小倉(おぐら)百人一首と呼ぶ。
ちなみに、定家卿の自選は
来ぬ人を まつほの裏の夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ
で、北九州は小倉競馬場の重賞レース。実は、古式ゆかしい、京洛の雅が顔を覗かせてもおかしくはないのだが、今回は、33回。さんさん なのである。これは実は
『愛燦々』(あい さんさん) 作詞作曲 小椋佳 (おぐら けい)
この作品、この 小椋=おぐら がテーマとなっているのではないか。無論、美空ひばり最晩年期のヒット曲。国民誰しも知らぬ者なき名曲といってよいだろう。
そして、このひばりさんと北九州の小倉。ゆかりを調べると、在った! 仰天の事実だが、
1989年2月7日 北九州市小倉
美空ひばり 生涯最後のライヴステージ
これが行われた。無論、不死鳥と呼ばれたひばり。これを最期と思い定め、臨んだ訳ではなく、この後、故郷でもある神奈川県横浜、この横浜ドームでのコンサートへ向け、懸命の努力が傾けられたらしい。が、果たさず、この年の6月に死去されたことは御記憶の通り。平成に入り、陛下に続く大きな喪失。わたくしのフェイヴァリット歌舞伎役者、二代目尾上松緑さんと1日違いの訃報だった。
この、2月7日のコンサート。何時、血を吐いてもおかしくはない状況で、もし舞台で吐血したらその場で歌手の命、喉を裂き、血を抜かないと窒息の怖れまであるという中、ほぼ座ったままで20曲を歌い収めたひばり。
戦後最大の歌手は、この小倉の地で、最後の『りんご追分』や『柔』、『港町十三番地』、そして、『愛燦々』に『川の流れのように』を歌い切ったものであろう。昭和の残照、最後の輝きだったものである。
これからもう24年以上が経過し、待ってましたの 小倉(こくら おぐら)の 第33回 のレース。不死鳥の最後の喉が天に放ったあの日を回顧する、この 第33回 小倉2歳ステークス ではないのか。
京洛を旅行された方はどなたでもご存知。
京の街中、四条大宮からいわゆる、嵐電(京福電鉄嵐山線)、この一両編成の小さな電車に乗り、折々は、路面電車のような佇まいの中を抜け、終着が、嵐山駅。目の前に、世界遺産・天竜寺。そして、駅を出て左2、3分で渡月橋に至る、その手前。ここに、美空ひばり記念館が建っている。
この嵐山嵯峨野の地で、定家卿が小倉百人一首を編んだ。
やはり、小倉、すなわち おぐら と ひばり がつながる。
ここまで読み込むと、この日の新潟最終の次の1頭
8枠12番 コンサートレディ
この、同じ12番ゼッケンに置かれた1頭。最早、仕掛けは疑い無し。この小倉2歳、サンサンのレースの 12番 ベルカント これはひばりさんの美しい歌声である。
わたくしはこれで、この小倉2歳、7枠12番 ベルカント 本命視 その上、相手候補にも、ひょっとしてと、4枠6番 ネロ と云う、最初は全く考えていなかった1頭を警戒と申し上げた。実は
4枠 6番 ネロ 川田将雅騎手
川田晴久一座 美空ひばりが11歳で所属した興行一座
これが、調べ上げで浮かんだからである。そして事実、この当日の 3R タニノタキシード 4R フィボナッチ このそれぞれ、1番人気 5番人気 の馬で川田騎手が勝ち、直前10Rでも4番人気で川田将雅、2着する。特に、3R のタキシード馬 これは、ひばりが少女時代、タキシード姿で歌っていた舞台写真を髣髴させる発射。明らかに、ひばりさんの日、川田一座を想定していることがありありの発射であり、もうメインでは不要だろう。
そして、この 第33回 ひばりのライヴ終焉を飾った地の 小倉2歳ステークス、1989年2月7日から24年後、枠連 2-7 で決したものである。
いかなひばりファンでいらしても、知らぬ方には、闇から闇の事実。
この事実は、掬い取るべきとの発想もごもっともで、わたくしは、事後、ここにこれを公開した。
競馬は連想と記憶のゲームなのである!
記憶がなければ、調べる、学ぶ、と云う手がある。
今週のトルコでの女子大生の殺傷事件。みのもんた次男の所業。他、今週から皆様方は何を連想されるか。所詮は、向こうの連想、着想これを後追いするだけだが、レースはやってみなければ解からない、と云うよなものではない。
消費税導入が決まった、1988年、昭和最後のジャパンカップは、払え! と云う馬が優勝している。ペイザバトラー だよ。
そして、この消費税導入の年、平成元年のダービーは、3%にフィットする、ゼッケン3番の「円」と云う馬の優勝である。1枠3番 ウィナーズサークル ですよ。
8% これ、この秋、何をもたらすのだろう。
ローズステークス 〇枠 の発射である! また、セントライト記念は、今年のある重賞の日、予告が放たれている。今年、漸く納得がいったよ。
ひばりさんを、夏の終わり、9月1日で追悼するという方針は、世界柔道の最中であることから、謳い上げるべき『柔』だったのではないか。
ヘーシンクが神永を押さえ込み、最重量級で、日本の柔がオランダに屈した日から、50数年。東京の、柔の舞台では、夜、『柔』を歌わせてくれよ。