犬の散歩に出かけるのは大抵暗くなってからである。やはりシェパードは(シェパードに限ったことではないが)自由に走り回らせないといけない。
シェパードを飼っているといろいろ気を遣う。まず見かけが怖いらしい。子供のころのかすかな記憶では、僕もそんなふうに感じていたような気もする。本当は躾けやすく、賢い犬種なのだが、たまに威嚇するように訓練している人もあり、第一この国の犬の躾は、シェパードに限らず、とても及第点を与えるわけにはいかない。
それもあって、すれ違うだけで「怖いねえ」と小型犬を抱き上げて通り過ぎていく人もいる。こちらから見れば「あんたの方が怖いぞ」と言いたいようなおばさんさえいる。
一度なぞ、らんま1/2という漫画に八宝菜だったかな、そんな名前の婆さまがいて、それにうり二つの婆さまが、何と僕と犬を見ただけで「きゃ~」と乙女のような悲鳴を上げた。たぶん僕を見て悲鳴を上げたのではないと思う、たぶんだが。ふいに襲いかかるのは当然犯罪だ。しかし不意に八宝菜に乙女の悲鳴を出されて気が動転した僕のような男も被害者だろうに。不愉快だから暗くなってから歩くようになってしまった。
本当は小型犬の方が扱いにくく、咬んだりするときは本気で咬むから注意した方がよいのである。力があったらぜひやってみたいこと。小型犬とすれ違うときシェパードを抱き上げて「怖いねえ、怖いねえ」と言ってみたい。
さて、散歩の話だが、お気に入りの場所があって、そこは芝生が揃っていることもあり、よく行く。
相模川の河川敷である。夜は人影もなく(当たり前だけれど)本当に暗い。冬はオリオン座が実に良く見えて、ああもう何年もこうして来たなあと思い、春から秋にかけては、夜でも何かの鳥が(水鳥もいるけれど水鳥ではない)啼いている。
川は蛇行していて、夜目に白くぼんやりと光っている。対岸にも建物はなく、はるか上流や下流にいくつかの灯りが見えるだけだ。その灯りが水面に映っているのを見るのが大変に好きだ。
ゴッホに「ローヌ川の夜景」という作品がある。それを思い出すような風景だ。一見ひじょうにロマンティックな作品で、それはたしかにそうでもあるのだが、こうして川の夜景を目の当たりに、たったひとりで見ていると、たいへんリアルな描写だと思うのである。
ひとつの灯りが水面に映ると幾重にも、縦に、ゆらめくように伸びる。ゴッホの絵はそれを丹念に写している。僕が目にしている風景はまさにそういう感じだ。ローヌ川が大きく蛇行する付近にゴッホは住んでいたらしい。相模川は、僕の行くところは、地図の上ではほぼまっすぐ南下しているのだが、日本の川は河川敷が広いから、川筋はかなり大きく蛇行している。なんということではないのだが、ここに来るたびに懐かしいとでも言おうか、そんな感情につつまれる。
僕はローヌ川に行ったことはない。それどころかフランスさえ行っていないのだが、ここはローヌ川だとひとり思っている。