季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

襲撃訓練

2008年07月24日 | 
シェパードをひょんなことから飼い始めて早くも27,8年経つ。

ひょんなことについても、いずれ書いてみようと思っているのだが、きょうは他の事を。

飼い始めたのはドイツ時代のことで、昨日のことのように鮮明に覚えていることと、曖昧になっていることとが混在している。

僕はハンブルグの中心からから車で15分ほど走った町に住んでいた。日本の感覚でいえば、都会のまん真ん中に住んでいたように響くかもしれないが、さにあらず。

ドイツ人の友人知人は、「なぜあんな不便で遠いところに住むのだ」と言いたげであった。確かに車か、さもなければ電車で18分以外のアクセスがない。不便である。住んでいると、僕までがそういった感覚になっていくのだ。

ハンブルクの「片田舎」に住んでいたのは、僕がそこをいたく気に入っていたからだ。渡独した当初はハンゼン先生の近くに学生寮があり、そこに住んだ。

まもなく、東のほうにザクセンの森というビスマルクゆかりの森があると知って、ある日さっそく中央駅で乗り継いで終点まで行った。終点はもう森の中にできた村落といった風情である。

山が好きだったのは少し前に書いたが、森も好きだった。もしかすると僕の祖先は猿だったのかもしれない。

終点より3駅手前にまとまった感じの小さい町がある。そこから先、電車はただ緑の中を走る。僕はその小さな町に目をつけた。3ヵ月後に新聞広告で貸間を求めたところ、じつにうまい具合に、この町に住むお婆さんから申し出があった。僕は小躍りして見に行き、練習もできる環境だと確認してすぐに契約した。

僕にとっては申し分のない下宿だった。台所の窓からりんごの樹が見える。調理の真似事をしながらこの樹の緑色が目に入る。そうだ、この大根が煮えるまで散歩してこよう。数軒先は森の入り口なのである。

散歩をしていると、いつのまにか時間が経ち、はっと気づいて帰宅すると、大根は真っ黒になり、炭化していた。いったいいくつ鍋を駄目にしたか。僕専用の小さな台所の隅には、天井近くまで、使えなくなった鍋が積まれていた。

そういえば、この下宿で面白いことがあった。ある日、おばあさんがお茶に呼んでくれた。そして、一冊のアルバムを取り出してきて「ここには昔日本人が下宿していたのですよ」と、ひとりの日本人男性の写真を見せた。驚いたことに、それは高校のときの音楽の先生であった。そういえばある年にS先生は留学のためいなくなったのだった。なんという偶然か。以来、僕は世の中は狭いと思いながら生きている。どこでも徒歩圏という気分になる。いや、世の中は狭いとはそんなことではないですね。

前置きばかり長くなったが、この町は犬を飼うにはもってこいの環境であった。結婚してからは下宿を出て、それでもこの町を離れたくなくて、すっかり住みついてしまった。とにかく散歩の場所に事欠かない。当時は仕事に行くにも犬連れ、ということもあった。ハンブルクは緑が多い町である。大きな公園もあちこちにある。たまに外出先で、それらの公園で散歩をしようか、と思う。だが、家の近くの森に比べると、公園の広さなどたかが知れる。もっと広いところで散歩しよう、と考えるとつい帰宅してしまう。時間だけはその分遅くなって、結局あまり散歩できなかったりしたことも多い。今、その公園の写真を見ると、まあ広いこと。

グリム童話だったかな、漁師とひらめのお話があるね、捕らえたひらめが、逃がしてくれたら願いをかなえると約束する。最初はせめて小ぎれいな家をと望む。漁師が帰り着くとそこにはもう家が建っている。おかみさんもその家の中にいる。

そのうちおかみさんの望みはエスカレートして、女王になりたいとまで言い出し、そこまでは願いが叶う。しかし海は鉛色に荒れている。おかみさんがついに神様になりたいと言い、その願いを海に向かって叫んだところ、もとのボロ屋に住んでいた。

これと同じでね。もっと広い森で散歩を、と願ったあげく、日本のボロ屋に戻っていましたとさ。

どうも脱線ばかりだ。なかなか犬の話に行き着かない。続きは書き直します。





最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (清水 わんこ)
2008-07-24 23:21:37
僕の仲間たちのお話もっともっと聞かせてください。
首を長ーーーくして待ってます!!
返信する

コメントを投稿