季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

難解な言葉

2008年03月12日 | 音楽


このブログを読んだり、レッスンを受けている若い生徒から「先生の言っていることは時々分からない」と正直な感想をきく。僕はそういう正直な感想を言う人は好きである。

難しい理由は、第一に僕がうまく表現できないことにある。もうひとつは、世の中には問題自体が難しくて、説明しようとするとどうやっても難しくなる場合がある。

ある人と地方で講座をたのまれて行ったことがある。対象は小学生から高校生あたりだった。同行した人はある大学の教授である。なめらかな口調と慣れた話題のさばき方であった。

淀みない口調で言われたことがらのうちに、次のようなのがあった。「音楽は時間芸術です。みなさん、どうか時間芸術の範疇内で弾いて下さい」

僕は何のことやら分からなかった。正直に言えば、僕は見当がつくものの、聞いている人のだれ一人分かるまいと思った。「僕は馬鹿だから君の言ったこと分からないよ、簡単に言ってくれないか」後でそう訊ねた。

何があっても演奏を中断しては、弾き直してはいけないということだ、と彼は説明した。

では、そう言った方がよっぽど分かりやすいだろう。なぜ時間芸術の範疇という難解な表現をするのだ。そもそも時間芸術なんていう言い方からして怪しげだ。

弾き直したらまずいくらい、子供でも知っている。それをわざわざ分からなくするとは、その了見が分からない。それとも子供でも知っていることを、子供にも分かる言い方をするにはプライドが許さないか。

亡くなった園田高弘さんと数回一緒に仕事をしたときも似たような経験をした。園田さんは自分にも他人にも厳しい人だったようだが、僕のような素性の知れぬ、上昇志向のまったくない人間に対しては、結構気を遣って、冗談のひとつも言ってくれた。

ある時「君、ショパンのスケルツォは拡大方で書かれていますからね」と言った。これもコンクール審査の折りで、そこでの受験者の演奏に関してだった。これにも見当はつく。僕もアマチュアとはいえ、音楽についてはプロ並みに、あるいはもっと真剣にやった部分もあるのさ。しゃくに障ったというより、僕の冗談好きゆえ「拡大コピーなら知っていますが」とまぜっかえした。

「一小節を一拍にとることですよ」芸術院会員は重々しく答えた。浅学な僕はそれが拡大方という立派な名前をもった学術用語であることを知らなかった。きっと素性の分からぬ奴は知識の方も大したことはないと軽蔑しただろう。でもスケルツォは一小節を一拍にとるくらいのことは知っている。

この調子なら、人間は何のために生きるのか、とかミミズと人間は何が違うのかとかいった大問題についての言い回しは、とてつもないことになりそうだ。


僕のローヌ川

2008年03月10日 | 

犬の散歩に出かけるのは大抵暗くなってからである。やはりシェパードは(シェパードに限ったことではないが)自由に走り回らせないといけない。

シェパードを飼っているといろいろ気を遣う。まず見かけが怖いらしい。子供のころのかすかな記憶では、僕もそんなふうに感じていたような気もする。本当は躾けやすく、賢い犬種なのだが、たまに威嚇するように訓練している人もあり、第一この国の犬の躾は、シェパードに限らず、とても及第点を与えるわけにはいかない。

それもあって、すれ違うだけで「怖いねえ」と小型犬を抱き上げて通り過ぎていく人もいる。こちらから見れば「あんたの方が怖いぞ」と言いたいようなおばさんさえいる。

一度なぞ、らんま1/2という漫画に八宝菜だったかな、そんな名前の婆さまがいて、それにうり二つの婆さまが、何と僕と犬を見ただけで「きゃ~」と乙女のような悲鳴を上げた。たぶん僕を見て悲鳴を上げたのではないと思う、たぶんだが。ふいに襲いかかるのは当然犯罪だ。しかし不意に八宝菜に乙女の悲鳴を出されて気が動転した僕のような男も被害者だろうに。不愉快だから暗くなってから歩くようになってしまった。

本当は小型犬の方が扱いにくく、咬んだりするときは本気で咬むから注意した方がよいのである。力があったらぜひやってみたいこと。小型犬とすれ違うときシェパードを抱き上げて「怖いねえ、怖いねえ」と言ってみたい。

さて、散歩の話だが、お気に入りの場所があって、そこは芝生が揃っていることもあり、よく行く。

相模川の河川敷である。夜は人影もなく(当たり前だけれど)本当に暗い。冬はオリオン座が実に良く見えて、ああもう何年もこうして来たなあと思い、春から秋にかけては、夜でも何かの鳥が(水鳥もいるけれど水鳥ではない)啼いている。

川は蛇行していて、夜目に白くぼんやりと光っている。対岸にも建物はなく、はるか上流や下流にいくつかの灯りが見えるだけだ。その灯りが水面に映っているのを見るのが大変に好きだ。

ゴッホに「ローヌ川の夜景」という作品がある。それを思い出すような風景だ。一見ひじょうにロマンティックな作品で、それはたしかにそうでもあるのだが、こうして川の夜景を目の当たりに、たったひとりで見ていると、たいへんリアルな描写だと思うのである。

ひとつの灯りが水面に映ると幾重にも、縦に、ゆらめくように伸びる。ゴッホの絵はそれを丹念に写している。僕が目にしている風景はまさにそういう感じだ。ローヌ川が大きく蛇行する付近にゴッホは住んでいたらしい。相模川は、僕の行くところは、地図の上ではほぼまっすぐ南下しているのだが、日本の川は河川敷が広いから、川筋はかなり大きく蛇行している。なんということではないのだが、ここに来るたびに懐かしいとでも言おうか、そんな感情につつまれる。

僕はローヌ川に行ったことはない。それどころかフランスさえ行っていないのだが、ここはローヌ川だとひとり思っている。

実名

2008年03月09日 | 音楽


ひとつ素朴な疑問を提出しておく。

吉田秀和さんにしても遠山一行さんにしても、あるいは他の音楽評論を生業にするひとにしても、演奏家を名指しで言うのは当然のことだろうけれど、自分以外の音楽評論家のことは,ある同業者とかで済ませているのはいったいなぜだろう。

文学評論家同士だったら,かならず名指しで褒めたり批判したりするだろう。

音楽評論家の世界はそういう習わしなのだろうか?他の音楽評論家を名指しすることが場合によっては(まあ多くの場合名前を出すまでの使われかたはしていないけれど。枕に使っている程度だけれど)あまり意味がないのも認める。

しかし例えば「(演奏)批評の混乱もここに極まれり」といった表現をするのであれば,その当の本人の名前くらい出せばよいと思うのである。

それ以上に思うのは、音楽評論家同士の批評がなされないというのが解せない。遠山さんなど、音楽評論も文学の一ジャンルだと、じつに正しい認識と覚悟をもっているではないか。

音楽を語っている評論めいた文章が、お世辞にも文章の体をなしていないことはよく知っている。論評するに足らぬということなのだろうか。

でも、彼らが肝腎なことをしないから、僕ごときが全面戦争をおっ始めなければならない羽目になる。

音楽に措いては演奏が批評である。その通りだ。僕の考えというより感想を端的に言えば、「十年の遅れ」ですこし触れたように、(今日では)演奏評は不可能であるということだ。むろん演奏評無しですまそうということではない。

演奏評が言葉による、言葉の解釈になってしまった以上、演奏評同士が批評し合い、おそまつな評が淘汰されることをまずは望みたい。

姿勢

2008年03月08日 | スポーツ


相撲をまったく見なくなってから久しいとはすでに書いた。一方で、相撲は近代の意味でのスポーツではなく、日本の古典芸能と同じ種類のものだから、スポーツという観点で批判するのはよろしくないと主張する人がいる。それも分かる。その通りだ。

横綱の土俵入りというのがあるでしょう。一連の形の中にせり上がりというのがある。四股を踏んだ後、手を広げてじりじりとせり上がるやつです。片手を広げもう片手は脇腹につけておく雲竜型と、両手を広げていく不知火型とがあるのだが、そんなことが取り沙汰されるところも、古典芸能と通じる所以だろう。

せり上がるとき、開いた手は力強く大岩を差し上げる象徴なのである。掌が上を向いていなければならない所以だ。

横綱土俵入りに関しては栃錦が見事だったというのが衆目の一致するところだ。今日写真で見てもたしかに美しい。

いつのころからか、せり上がりの際、掌が下を向くようになってきた。それについては相撲の様式美を重要視する人々から再三指摘があったが、たぶん、今でもそのままになっているのだろう。

僕はむしろなぜそういう変化が起こったのか、心理的な側面により大きな関心を寄せる。

掌が下を向くようになってきたと同時に、せり上がりの際、両肩をいからせるかたちが増えたことに気がつく。人が少しでも自分を大きく見せかけたいときに知らず知らずとるポーズだ。

70年代後半から80年代前半は日本が世界的にもっとも注目された時期だろう。あらゆるメディアがこぞって日本の奇跡と銘打った特集を組んだ。ちょうど僕がハンブルクに住んでいたときと重なる。

ハンブルクの中心街といっても驚くほどせまい。昼食時になるとあらゆる人種の人々が歩き回る。そのなかで日本人、韓国人、中国人は遠目には見分けがつきにくい。ただ、歩き方の特徴で日本人だと識別がつくことが多かった。両手をズボンのポケットに突っ込んで、肩をいからせていれば、それは間違いなく日本人だった。

それを見るたびに、格好悪いなあと苦笑いしたものだ。なにかこう、ありのままでは不安でたまらぬ、といった風情なのである。持ちあげられ、注目されるプレッシャーに負けまいと必要以上に力んでいる姿は同胞ながら、いや同胞ゆえにというべきか、みっともないからおよしよ、と声をかけたくなるほどだった。普通に振る舞ったら楽だろうにとも思った。

横綱たちには持ちあげられ、注目されるプレッシャーは勿論あるまい。だが、俺は強いのだということを嫌でも認めさせようという力みが、あのいかった肩によく表現されていると思う。

横綱の強さを疑うものはいない。誰もが認めているにもかかわらず、なお辺りを睥睨するのはちょっと格好悪い。本当は横綱土俵入りだけに留まらない。学生に対する教授、都民に対する都知事、社員に対する上司(ただしこれだけは憶測だ)若い人に対する大人、すべてそうだ。

前に書いた双葉山の姿だが、自然体でありながら近寄りがたい。できたら土俵入りの姿も見てみたいものである。

コルトーの講座

2008年03月06日 | 音楽


数年前アルフレッド・コルトーのマスタークラスでのレッスンをCDが出た。2枚組である。

これは実に面白い。演奏家に不可欠の独断に満ちていて、それにもかかわらず、あるいはそれゆえに強い説得力がある。

レッスンする曲目はモーツァルト!あり、ベートーヴェンあり、といったぐあいで、ふだんコルトーの演奏でお目にかかりにくいものもあって、その点でも興味深い。

いうまでもなく全編フランス語で、フランス語をまったく理解しない僕にとっては小さく小さく印刷された全訳だけが頼りだ。

喋っている内容は格別新しいことでも、僕には、ないのであるが、その言葉からわき出る音の世界ともなると話はまったく違ったものになる。たとえばモーツァルトのソナタで、オペラの登場人物を引き合いに出す。かつての演奏家なら、それも一流とは限らない、だれでもがやってきたことだが、日本の現代のピアノ学習者には耳新しいかもしれない。それに、デフォルメされた演奏でだが彩りを添えてゆく。

コルトー流の、修辞過多と言われかねない勢いのあることばが続く。

聴いていてとにかくスリリングなのである。愚にもつかぬ解説書もついていて、衰えが目立つ云々とあるが、いったいピアノのレッスンというものを経験したことがあるのか、疑わしい。きわめて雄弁で(演奏がですよ)コルトーがなにを伝えようとしているかはよく分かる。

ひとつ残念なことがある。コルトーの演奏および言葉はすべて入っていると思われるのに、生徒の音は一音たりとも入っていない。「そうではない」「君の弾いたようではなく、こんなふうに」と言われたところで、なにがそうではなくなのか、皆目見当がつかない。

愚にもつかぬといったが、その愚にも付かぬ解説によると、ピアニストのマレイ・ペライアがこの講義のテープの編纂を任されたそうだ。僕は、この間抜け、と叫んでしまいそうだ。解説者の愚は今に始まったことではないが、こちらの愚は放っておけない。

ペライアは曲がりなりにもピアニストだ。しかも、この役を引き受けたというからには、コルトーの講義が少なくともある種の価値があると見なしたわけだろう。レッスンというものは説の一方的な押しつけではないはずだ。ある(生徒の)演奏があり、それに対するコルトーの、また他の先生の「反応」のはずだ。

それをわきまえず、記録としてのコルトーだけを考えると、生徒の演奏はどのみち大したことはない、カットしても構わないだろう、となるのである。これなども僕流にいえば「観念」化した音楽のひとつの現れなのだ。

コルトーを評価しない人はもちろん大勢いる。それは一向に構わない。そういう人たちもいる、というのは健全な証なのだ。ただ、信奉者を装って実は人間の全体像を損なうような真似をして欲しくないだけだ。それは否定するものよりずっとたちが悪い。

生徒達の音源はあるのだから、CDを聴いた人たちが販売元に要望を出してくれたらと願う。どれだけ面白いものになるだろうか。販売元は結構そうした生の意見に反応するものです、役所とちがって。


文字変換(福田恒存さん「私の国語教室」)

2008年03月04日 | 

キーボードを使って書くのは便利といえば便利だ。

僕は十年ちかく日本を離れていて、その間ほとんど漢字を書く機会がなかったため、ずいぶん多くの字を忘れている。きっとそのせいだと堅く信じている。

ただうっかりするととんでもない変換になる。とくに字面が似ていると注意が必要だ。古伊万里について書いてふと気付いたら椀が腕になっていた。とんでもない間違いをするところだった。きっと他にもあるに違いない。

手書きだったらこういうことはまずないだろう。椀という字を忘れることはあっても、腕とは書くまい。

実はこの文章はもうずっと以前に書いてしまって(大体一月先くらいまで書きためてある)公開する日時を適当に散らしてある。ついさきごろ友人から誤字脱字が多いと指摘され、読み返したらなるほど、椀どころの騒ぎではなかった。それよりも何よりも、誤字誤読の王様というべき友人から指摘されたのはショックであった。

変換機能をつかって改めて思うのは、日本語表記のでたらめさである。世界中と書くためにせかいじゅうと打ち込むのはかなりの抵抗がある。午前中と書く場合ちゅうでしょう。それならぢゅうのはずではないか。地面をじめんも本当にいやだ。じめ、だなんて黴が生えそうではないですか。

こんな経験はたいていの人がしているはずだ。今日の表記の仕方、つまり仮名遣いは戦後しばらく経って確立されたものだ。

仮名遣いは古くは藤原定家から常に論議されてきたそうだが、歴史的仮名遣い、いわゆる旧仮名づかいの方がずっと論理上の一貫性はある。戦後の教育を立派に受けた僕はむろん歴史的仮名遣いを駆使することはできないのだが。

戦後のあらゆるどさくさ、それは現代人にとってすでに過去のものと映るであろうが、それはただそう見えるだけである。

仮名遣いの問題もそれら一連のどさくさの中で、主として文部省(現文科省)主導のもと、強引に変えられたもののひとつである。

その経緯を僕は福田恒存(恒ではなく旧字体だが、どうやって出したらよいか分からない。福田さんにはたいへん申し訳なく思う)さんの「私の國語教室」(文春文庫)で詳しく知った。(これは大変な労作というべきで、この人の緻密な、徹底した思考がよく出ている本だ。)

日本語表記をローマ字化しようという動きはずいぶん昔からあるそうで、その運動にかかわった人たちと表音文字という夢に取り憑かれた人たちが呉越同舟、勝手気ままに強引に振る舞った結果だと知った。それをふまえた上で福田さんの本の一節を紹介する。ぜひ読んで頂きたい本です。

座興までに、その種の俗論の一例として、最近、ある綜合雑誌に掲載された「漢字全廃論」の一節を紹介しておきませう。

カナづかいについては、こんな思い出がある。大正末、私が出席した、何かの会議で急進的な、カナづかいの改革案として、テニヲハのヲを全部母音のオで書くことを審議しつつあったとき、「顔を覆って泣く」の場合は、「カホヲオホッテ」、であるべきなのに、「カオオオオッテナク」になる、とても読めるものではない、と叱られた。「君らの主張はどうか」といわれて、しぶしぶ私が立った。

私は立ったものの反対する論拠が乏しい。そのときフト啓示がひらめいた。「われわれの主張では、母は歯医者に行く、または母は八幡へ帰るときに、ハハワハイシャ、ハハワハチマンとなるが、あなたがたの主張だとハハハハイシャかハハハハチマンということになる」といった。すると同じ委員の一人であり、朝日新聞の編集長であった高原操さんからの「勝負あった、カナモジ屋さんの勝ち」との御たく宣でケリがついた。

馬鹿につける薬はないと言ひますが、この三人、揃ひも揃って薬の効かない手合いです。  中略  こんな論文が堂々と綜合雑誌にのり、天下に通用するのです。  中略  筆者は余生を「カナモジ運動」に捧げて悔いぬと悲壮な決意を固めている老実業家であり  中略  恐るべきことに彼はまた國語審議會の委員なのであります。

以上。福田さんの文章は理路整然、一滴の水も漏れぬほどで、金田一京助さんも(改革派の論客であった)太刀打ちできなかったものだ。その分読むのに努力を要するかもしれないが、ぜひ読んでいただきたい。僕が生まれて間もないころ、日本語はこんな扱いを受けて変質していったのだ。


巨匠

2008年03月02日 | 音楽


めずらしく手許にあるのが15ヶ月ほど前の新聞評だ。「若き巨匠」たちと題した記事。

これは(たぶん)記者がいろいろな方面から聞いてきた話をざっとまとめたものだろう。別段なんの感想もいう必要がない。

ただし、取り上げられた批評家、音楽家の説には異論がある。

記事は、最近の若手演奏家に対する売り文句や論評に「若き巨匠」や「次世代の巨匠」といったふうな表現が多いことに関しての考察、といったところ。

この現象に関してのクリスティアン・ツィメルマンの見解は以下の通り。「今の若い世代には、巨匠にひけをとらない技術がある。そのうえ過去の録音も映像も豊富。模倣しようと思えば、意外に安易に模倣できてしまう」

技術に関して、また模倣に関して、これほど馬鹿馬鹿しい言葉を吐く人とは思わなかった。この人自身は質のよい技術を持ち合わせていた。ただ、演奏は入力したデータを読み取るだけのようで(歌手のペーター・シュライアーが、質こそ違え、そうだった。はじめてマタイ受難曲の福音史家を聴いたときはその密度の高い表現に驚いたが、毎年ほぼ同じ繰り返しを聴かされて辛かった)どれもが薄っぺらくなる。その性質はこうしたコメントにも出るのだ。

技術に関しては僕の処で学ぶ人は理解しようし、言葉を重ねるのは誤解を重ねるだけだから措いておこう。

しかし真似する、ということをこれほど浅薄に考える演奏家がいることは看過できない。誰がコルトーの真似をできる?彼の「解釈」とやらを真似してみればよいが、音自体を「真似」しないかぎりそこから何も生じないのである。フィッシャーにしてもシュナーベルにしてもしかり。真似というものはそういうものだ。徹底的に真似をしてもなおほんの少しずれる、そのずれを個性というのかもしれない。若いモーツァルトが嘆いているのを知って欲しい。自分はもうだれの真似もできてしまう、いったいこれからどうしたらよいか、と。その時の響きだってすでにモーツァルト独自の世界を造っている。

ツィメルマンがこうした次元でものを言っているのでないことだけは確かだ。しかも、自分は真似はしないというプライドすら感じてたまらない。だからこそ、上記のことばとともに、内容はともかく「巨匠然」としたスタイルの演奏が増えたのはたしかだ、等の寝言を言えるのだ。

吉田秀和さんがブレンデルの録音を聴いて「あっ、これはフルトヴェングラーのやりかただ」と思ったとどこかで書いていた。それは何かの曲の第2テーマでテンポを落としたとかいう話だった。そんなことで良いなら誰でもフルトヴェングラーのやり方ができるさ。演奏にはやり方などないのだ。そこがこの人にはまったく理解できないのだろう。これなどもツィメルマンと同じような理解の仕方だ。

ブレンデルはたしかにフルトヴェングラーから多くの影響を受けていようが、たったひとつ決定的なものが欠落している。彼の音は持続という質をもたない。これは純然たる技術の問題なのだ。音楽を川の流れに例えたフルトヴェングラーの例えをそのまま流用しようか。ブレンデルの演奏は模型でできた川だ。

ただ付け加えておけば、その模型はじつによくできている場合もある。自らが川だと思える人は彼から面白いアドヴァイスを貰えるかもしれない。

「巨匠」に関しての他の論評はあまりにくだらないから取り上げない。でももしかしたら書くかもしれない。これらの論評でも影響力があるかもしれぬ、という恐怖心から。