
弘前ヒロロの3階交流室Bで開催しました。14名の参加者でした。当社葬祭部長と参加しました。
NPO法人「葬送の自由をすすめる会」(島田裕巳会長)に賛同した八戸の会の会長が弘前でも仕掛けたようです。まずは活動記録と静岡TVが製作した実施報道を見てました。遺骨も何も残さず、人の手を煩わさない葬儀を「0葬」をブッダが理想としていたのではないかという島田会長の考えは短絡的だと思いますが、少子高齢化社会になり葬儀に対する価値観が多様化してきていることには間違いがないでしょう。人間関係が希薄化すればするほど死後の自己完結という考えが増えていくでしょう。おしつけではなくて多様な選択肢を増やすというのが「葬送の自由」だと思います。花一輪でも花束でも弔いの気持ちがあれば「葬送」だと思います。
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)
雨上がりの朝に、忍び寄る秋の気配・・・。
今日は、「処暑」です。暑さが峠を越えて後退し始めるころだそうです。『暦便覧』では「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」と説明しております。まさに秋の気温になりました。また台風襲来の特異日とされております。
「人から突かれたから右へ行った。押されたから左へ寄った。そうではなくて、私が自由に右へ一歩動き、考えるところがあって私が左へ寄る。そういうことの連続としての生活を送れるような人でなければならない」(渡辺和子「人間としてどう生きるか」)
自立型思考人間はすべてが自己責任です。
「俺のところにボールを回せ!」
恐れることは何もありません。人生に失敗がないと人生を失敗します。
自立型思考人間はすべてが自己責任です。
「俺のところにボールを回せ!」
恐れることは何もありません。人生に失敗がないと人生を失敗します。