motoの徒然なるままに…

日々是好日日記

「死ぬ気まんまん」

2018年03月06日 | 日々徒然

たまたま絵本作家の佐野洋子さんの「死ぬ気まんまん」というエッセーを手にしました📖

「そんな千年や二千年で遺伝子の基本構造が変わるわけはないですから、現代人の生活は生物学的なものと相反するように動いています。生物として自然の摂理に合わせて精一杯生きて死んでゆくことが、人間として最も幸せなことと満足するのが必要と思うのです。自然の摂理に逆らって奮闘するのはいかがなものかと思います」(築地神経科クリニック平井達夫理事長)

「女の精神と肉体は、子供を産んで育てるということに絶対的な祝福を与えられてつくられいます。男は種をつけて、子供が大きくなるまで餌を運んでくるのが役目。役目が済むとサケのようにいさぎよく死んで消えてゆくものです。神様はそのようにセッティングしたのです」

人間の体は祖先から受け継いできたDNAを運ぶ方舟だと思います。ですから死は無ではないと思います

人間の本質は原始時代から変わっていないと思います。ですから本質を知りたくなったら、古典クラシックに戻ればわかると思います。

私たちは、つなぐ、まわす、きめるという命の循環を進化しながら回していると考えます。いや、見えざる神の手で回されていると思えるようになってきました💞

たとえ世界の終わりが明日だとしても種をまくことができるか

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死を見る目が変わった!

2018年03月06日 | 日々徒然

「死を見る目が変わった」👀

古いことわざに、「世にある無数の生は無数の死によって支えられていることを肝に銘ぜよ。メメント・モリ(汝、死を思え)!」とある。空前の「終活」ブームである📖

2000年には見向きもされなかった「エンディングノート」は今や本屋で市販もされている。保険会社や金融機関の「相続税セミナー」や「成年後見人制度勉強会」はいずれも盛況である📝

高度経済成長期において、死は忌避されて生活から切り離されきた。そのことは住居構造を見れば一目瞭然である。家族の死を前提に設計されてないのである。

1985年あたりから潮目が変わって来た。上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン先生が「死生学」を開設したりして、終末期医療(ターミナルケア)を巡る現場で「死を拒否すること」から「死を認める」へ変化してきた。

病院やホームで亡くなる人が今や90%近くになる。日常生活から死が見えなくなりつつある。国は医療費抑制で自宅での看取りをすすめるが支える家族すらいないのが現状である。

少子高齢化で多死社会に入り、ベルトコンベヤー式に目の前を通過する死を現代人は当事者として自らの死を考えてみる必要がある。我思う、ゆえに我あり👤

死を見つめることは、よく生きることにつながる。まもなく、東日本大地震から7年目の春を迎えるが、余震はまだ続いている。心の中でも…

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「世の中」

2018年03月06日 | 日々徒然

役人は政治家に弱い。

役人は国民に強い。

国民は政治家に強い。

だから世の中はうまくいっている。

〜田中角栄〜

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「啓蟄」

2018年03月06日 | 日々徒然


今日3月6日は二十四節気「啓蟄」になります。

「啓」はひらく。「蟄」は土の中にいる虫。

大地が温かくなり、冬ごもりから目覚めた虫が穴を開いて顔を出す頃です。


踏みながら
探している
蕗の薹

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