君の胸から出たものでなければ、人の胸をひきつけることは決してできない。
You’ll never speak from heart to heart, unless it rises up from your heart’s space - Johann Wolfgang von Goethe
戦後最大の宰相と呼ばれる田中角栄氏が、大蔵相の椅子に座った際「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。できることはやる。できないことはやらない。しかし、全ての責任は田中角栄が負う。」と発しました。
この時、旧帝大出身の財政金融エリート官僚たちでさえも「この人について行きたい」と衝撃を覚えたと言います。
官僚たちの出身地、出身校、誕生日などを全て記憶し「歩く六法全書」と呼ばれる程に法律に精通していたとも言われます。
貧しい農家に生まれたことで充分な教育を受けられずとも、彼には持前の頭脳とハングリー精神という財産がありました。
田中角栄氏の政治には利己的な利権だけではなく、確かにビジョンがありました。
また、それを引きたてるマスコミ扇動力や、自己プロデュース力にも長けていたのです。
そして何より、その胸に「全体への愛」があったことが人々を動かしたのでしょう。
田中角栄さんの言う通り、いつまでも田中角栄のやり方ではなく、時代に合った進化を遂げなければ日本が正しい方向へ発展することはありません。
ただし彼が全うした「愛あるビジョン」は、日本人が踏襲すべき恒久の財産なのではないでしょうか
6月6日は「稽古始め」の日でもあります。昔から、芸事は6歳の6月6日から習い始めると上達するといわれ、これにちなみ「楽器の日」「邦楽の日」「いけばなの日」などに制定されています🤲
この由来の一つは、世阿弥(ぜあみ)が著した「風姿花伝(ふうしかでん)」の冒頭の一節📖
能だけに限らず、子どもの教育論としても大変興味深く、古さを感じさせません。
大人も思い立ったが始めどきで、何歳になっても新しいことにチャレンジする気持ちは持ち続けていたいもの。
「稽古」の「稽」は「考える」という意味で、「稽古」は「古(いにしえ)を考える」という意味があるそうです☝️
大人になった今だからこそ、何かを習うときは、その習い事の由来や歴史も考え、伝統を大切にしながら身につけていきたいものです