「朝」まど みちお📖
じつにあかるく澄んだ空気だ。
ぼくが
顔をあげているのが
こんなにはっきりわかる
空を仰ぎさえすれば
すぐに顔を映すだろう。
この戦争に
神となられた方方が
朝夕お通りのこの銀のそらには
もはや塵ひとつ飛んでいないのだ。
なんでもやれば
そのやったことはただちに
おそれおおくも
宮城までおつたわりしているような気がするのだ。
からだのすみずみにまで
痛いように
日本人のちからがしみわたってくる。
ーああ ぼくはみる
ぼくのまえに
これからやらねばならぬ仕事が
富士山のように高く神神しいのを
はるかな こだま
野に立って
とおく
かしわでをうちならすとき
こたえてくる
ながれてくる
はるかな はるかな こだまはなにか。
きよらかな
そぼくな
とおいむかしの日本の
神いますふるさとのよびごえか。
天の岩戸や
かぐやみめや
日のあたたかな かちかち山や
はるばる はるばる こえてきた
なつかしいふるさとのよびごえか。
「日本人よ
日本人よ
天皇陛下 をいただいた
光栄の日本人よ
君らの祖先がしてきたように
今こそ君らも
君らの敵にむかえ
石にかじりついても
その敵をうちたおせ
ー神神はいつも
君らのうえにある。」
ひびいてくる ながれてくる
そういうようにきこえてくる。
自分の足で立って、自分の生活設計は私以外の誰もできない。自分の幸せは私以外の誰も作れない。その反対に、自分の不幸せも私以外の誰もつくらないという、その自立を私たちはだんだん見につけていかなければならないのです(渡辺和子先生)