2021年3月11日、神社巡りでサイクリングしてまして
(走行距離37キロ)
近鉄賢島駅近辺に2020年7月9日にオープンしました
バゲットサンド専門店「Cafe Entrada」さんへ食べに行きました。
国道167号線を賢島駅へ向かい、賢島駅手前で踏切を渡り、船着き場方面へ行きます。
途中で「無料駐車場」があります。(公衆トイレ有り)
のぼりが目印です。
店内を撮影しました。
スモークサーモンと・・・
だし巻きサンドです。
大きさが分かりにくいので、スマホを置いてみました。
だし巻き卵が!こぼれそうでした。
値段はそれなりにしますが、
食べてみて「納得」のいく!サンドウィッチでした。
かなり手間をかけて調理されてます。
店名 Cafe Entrada(カフェ エントラーダ )サンドイッチ店
※管理人は筋肉痛になりながらブログを更新しました(笑)
神社巡りしたあとさすがにお腹が空いたので
近鉄賢島駅方面へ行きました。
賢島駅手前で踏切を渡り、船着き場方面へ行きました。
バゲットサンド専門店「Cafe Entrada」さんへ行きました。
昼食後(改めて食べ歩きで掲載します)
賢島駅へ行きました。
観光列車「しまかぜ」です。(2台でした)
管理人の「ヤフオク号」と「しまかぜ」です。
賢島駅から数百メートル!?
今年3月いっぱいで閉園となる「志摩マリンランド」の入口です。
さすがに管理人50歳には「体力限界」と「太ももいっぱい!」でした・・・
明日は天気も、あまりよくないのでしっかりと「太もも」休めたいと思います。
安乗神社を参拝後、
※安乗フグが有名ですので
自転車道を見ながら・・・
次は「珂夫賀神社」へ行きました。
扉を開けて参拝祈願・・・
由 緒
当社は元岡畑社と言ったが、明治39年、明治40年に村内各社を合祀し、珂夫賀神社となる。
鎮座地 | 志摩市阿児町甲賀2034-1 |
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御祭神 | 五男三女神をはじめ 計27柱 |
さすがに「太もも」も大ピンチ!?
12時過ぎたので家に戻ろうとしたけども・・・
なぜか!賢島方面へ!?
そういえば・・・
もう一つ神社がありました。
神明神社です。
やばい!長い階段・・・
参拝祈願・・・
もう体力の限界になりました。
朝9時からでしたので・・・
由 緒
明治40年11月旧神明村内の小祠を、神明神社に合祀して、神明神社と単称したものであるが、古記録によるもとの神明神社は、推古天皇元年11月11日創立とある。
その昔この地はシメノウラと呼ばれ、
氏神社は旧字ハライドノタンに御鎮座ということであった。
明和元年(1764)8月晦日、隣接の文殊寺の焼失の際に類焼、
その頃宮上という現在の位置に社殿を遷したものである。
この地は、もと神宮の神領があったところで、神宮との関係が深く、
神宮の式年御遷宮後の古材を受けて、当社の造営に当たっている。
魚介類を採取して神宮に献上している。
当社には、祷屋制度が今も連綿と続いているので、
その記録を大正3年の三重県神社誌から次に引用する。
「木村ニ於テ古來ヨリ神事ノ慣例トシテ今日迄維持シ來タレル祷屋ノ作法アリ毎年舊正月十八日神職氏子惣代村吏員組頭其他名譽職員等一同村役場ニ集合シ同日夕刻ヲ期シ古祷屋ヨリ上ゲ來レル御鍵(元社殿用)ヲ神職受ケテ上座ニ設備セル案上ニ置キ別ニ桝ニ入レタル御籤札ヲ引キテ一ノ祷二ノ祷ヲ定メタル御飯器ノ盃トシ唱フル式アリ其式大略ヲ云ヘバ即チ古祷ノ側ニ先ヅ盃(椀蓋)ヲ差シ次ニ新祷ノ側ニ盃ヲ廻スカクスル事三度此間村長ノ發聲ニテ高砂ノ謠ヲ三段ニ切リテ之ヲ謠ヒ列座ノ者之ニ和スルナリ式畢リテ神職ヨリ一之籤ヲ引ケル者ニ御鍵ヲ交付シ之ヲ受ケタル祷人ハ其御鍵ヲバ自己ノ左袂ニ入レ御鍵筥ヲ奉持シテ自宅ニ歸リ豫メ設ケタル御棚ニ安置シ一ヶ年間毎夜燈明ヲ點ジテ之ヲ祭ルヲ例トス尚此一ヶ年間ハ別火喰除ヲ爲シ親類縁者ニ慶事不幸アルモ斷ジテ之ニ臨マズ又一切他業ヲ絶チ一向ニ齊戒謹愼シ居ルナリ斯クテ待チニ待チタル十一月十一日午前中ニ例祭ヲ執行シタル後直會ノ御酒ヲ廻シソレヨリ祷ヨリ持運ベル酒肴(鱇鱠生大根ノ菜割)ヲ出シ飯器ノ盃ヲ持出シ吏員神職ヨリ始メ参列者一戸一人一同ニ之ヲ廻ス事三度祷屋衆ニ之ヲ廻ス此時村長ノ發聲ニテ高砂ノ謠ヲ三段ニ切リテ謠ヒ列座ノ者ノ之ニ和ス斯クテ全ク此式ヲ終へ順次社頭ヲ退下シソレヨリ各々部属ノ祷屋ニ就キ振舞ノ祝イアリ(膳部ハ慣例ニヨリ土地ノ産物ヲ調理シテ之ヲ饗ス又毎年例祭ニハ氏子ノ各戸ヨリ初穂袋(米麥)ヲ社頭ニ持参シ之神前ニ献供ス」
抜粋しましたが難しいのですいません。
鎮座地 | 志摩市阿児町神明 2-1 |
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抜粋元 http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/cat/10_shima/
今日は東日本大震災の発生から10年です。
幸い外の天気も良く、サイクリング日和になりました。
自転車で神社巡り・・・
管理人も超!運動不足なんで体力と相談しながら行きました。
出発は志摩磯部駅からです。
まず1つ目「国府神社」です。
志摩磯部駅から1時間ぐらいかかりました。
国府神社 – こうじんじゃ –
由 緒 明治40年11月5日国府字岡海道無格社熊野神社を村社国府神社に合祀のうえ、
国府神社と単称の許可を受け、同年12月22日に合祀し現在に至る。
鎮座地 | 志摩市阿児町国府3007 |
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御祭神 | 五男三女神をはじめ 計13柱 |
次は場所から考えると・・・
「安乗神社」です。
高台にあります。
太平洋側です。左奥側には波切だと思います。
そして安全に乗りたいので・・・
安全祈願としてお守りを買いました。
安乗神社 – あのりじんじゃ –
由 緒
「志摩略誌」(正応3年、1290作)に、安乗神社の記述がある。
また、口碑によれば、豊臣秀吉征韓の折鳥羽の城主九鬼嘉隆は、海軍を率いてこれに従った。船に乗って安乗沖まで軍を進めたが、帆に当たる風は凪ぎ船を進めることができなかった。
嘉隆上陸して沐浴し、この地の八幡神社に戦勝を祈願したところ、
順風がおこり海路おだやかに、目的地へ航海することができ、
勝利につなげることができたという。
嘉隆が上陸した場所を船付といい沐浴した浜を大垢離(おおごり)というようになった。
帰朝後、九鬼嘉隆自ら本社に参拝して祭典を執行し、例祭日も定めた。
祭礼当日、余興として手踊りをすることもこの時に始まった。
この時以来毎年8月15日の例祭日には必ず代参が遣わされたが、廃藩と共に行われなくなった。当時の手踊りは、人形文楽として今に受継がれていて、無形文化財となっている。
尚、安乗はもと畔乗と書いたが、嘉隆の軍が安全な航海の上大勝したことにちなんで、
安乗と書き改められた。
嘉隆が戦勝奉告参拝に訪れた時、松苗数百本を植樹としたと伝え、
その2株は今も境内に育っているという。
鎮座地 | 志摩市阿児町安乗 844 |
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抜粋元 http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/cat/10_shima/