サイクリングで浜島町へ行きました。
久しぶりに!?(約30年振りぐらい!?)
西口食堂さんでラーメン食べてきました。
新型コロナウイルス感染対策中ですので店舗横に建物があります。
換気オッケーです。
定休日は水曜日。
元祖西口屋ラーメンです。(プラスごはんです)
透き通ったあっさりとしたスープ
普通に2号麺のサイズの太さでした。
完食!
他のお客さんは「ニンニクラーメン」を注文されてました。
一回食べてみたいと思います。
店名 西口屋食堂
食べログ
URL 西口屋 - 志摩市その他/ラーメン [食べログ] (tabelog.com)
2021年3月23日の走行距離は45キロでした。
管理人個人的には浜島町と言えば「伊勢エビ」です。
浜島町南張から浜島町浜島までの国道は急な坂道も無く、
志摩市で国道にある3個のうちの?トンネルがあります。
ますは「伊勢えび大王像」の近辺です。
近くに公衆トイレがあります。
当日ボランティア活動がありました。
11時ぐらいからスタート?でした?(多分)
TVカメラマンも居ました。
また海水浴場も奇麗にしておかないといけない。
各個人の意識の持ち方だと思います。
ゴミは捨てないで持ち帰ってほしいです。
次は南張海浜海岸です。
先端で釣り人発見しました!?
釣り場もきれいにしないと封鎖しますので、ゴミは持ち帰りましょう。
帰る道中で・・・
「大江戸温泉物語伊勢志摩さん」がありまして、
バス停も!「大江戸温泉物語さん」でした。
景色を楽しめます「浜島町」ですが、
日ごろボランティア活動されてる「みなさま」のおかげです。
感謝!
浜島町は意外と平坦な道が多くて走りやすくて、
「三重県神社庁 教化委員会」のHPでの浜島町が午前中に終わる勢いでしたが、
お昼前だったんで昼食や、新しい堤防?などなど探索(改めてブログ掲載)してました。
3件のうち追加で!?
鼻かけえびす(恵比寿神社)へ行きました。
ほんま!鼻がかけてました・・・
御座の海水浴場が見えてました。
高台にありますので気を付けて登ってください。
観光三重さん
URL https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_2232.html
ご利益がありますように!
続きまして・・・
宇氣比神社(浜島) – うけひじんじゃ – へ行きました。
階段に賽銭箱!?
祈願!「新型コロナウイルス退散」!!
由緒
当社はもと八王子社と称したが、明治4年8月に宇気比神社改称した元村社で
、古くは現境内の南低地の海岸に鎮座されていたが、明治3年現在地へ遷座し奉ったものである。
大字浜島字弁天に鎮座の那都珂志社、祭神衣通姫と、
大字浜島字西早に鎮座の稲荷神社祭神倉稲魂命を、
明治40年9月16日に合祀して今に至ったものである。
合祀前の稲荷神社だけは、文久4年(1864)4月創祀の記録がある。
特殊神事 正月11日に弓引と盤の魚行事が行われ伝承されているので、
その記録を転載する。
「弓引射手は氏子中より未婚の青年2名選定す。
7日間日々齋戒して練習を行う例なり。
的は大・小2個を造る。森家(当主辯也)担当する所にして代々世襲なり。
之を「的踏」と称する。元日より的貼のすむまで、一般に糊を使用せざる慣例なり。
弓引の前に「盤魚」と称する行事あり。
鮮魚を截るの式にして之を掌るは従来井上家(当主伴藏)の世襲とする所なり。
鮮魚は鰡2匹を用うるを例とす。
盤魚所役は裃を着け先づ頭を離して次に身卸しをなしたる後、
原形の如く接合せて退く、此間魚を扱うには爼箸を用い手をふれざるを式とす。
次に魚見役出でて、曩に原形の如く接合せたるものを更に之を細截し、
頭は自ら持帰り切身は列席者に配布す。
各自家に持帰りて神棚に供し年中の豊漁を祈るを例とす。
次で弓引を行う。
射手交互大・小の的に箭三本宛を射る。
当日小的の黒星を射たる時は「祝直」と称して翌日引直しをする。
年中一度の重要祭事なれば氏子一同盛装して氏神に参拝し、之を観るを楽しみとせり。
最近は各地より多数の見学者あり。
鎮座地 | 志摩市浜島町浜島 681 |
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三重県神社庁 教化委員会
URL http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E5%AE%87%E6%B0%A3%E6%AF%94%E7%A5%9E%E7%A4%BE-4/
あとは志摩町だけになりました。
2日かけて行きたいと計画中です。
3月23日!外は快晴の風もほとんどなくサイクリング日和となりました。
今回は「浜島町」へ行きました。
自転車で浜島町へ行ったのが高校の時以来で約30数年振りでした。
まずは「八柱神社」へ行きました。
祈願!「新型コロナウイルス退散」!!
抜粋
八柱神社
由 緒
当社は、大字迫子鎮座の八柱神社と同境内社、大字桧山路鎮座の神明社及び同境内社、
大字塩屋の天真名井社及び同境内社を順次合祀する許可をうけ、
明治41年3月15日に合祀を完了した。
旧社それぞれの創祀の時期や事情については記録が残っておらず詳かにできないが、
境内の古樟老杉が神寂びて立つ姿から、その歴史をうかがうことができる。
また神社の北方を流れる迫子川は、古来から水垢離をとり潔斎をする好適の場所で、
ここで身を清めて参拝するのが常であったという。
鎮座地 志摩市浜島町迫子 212
ULR http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e5%85%ab%e6%9f%b1%e7%a5%9e%e7%a4%be-4/
続いて
楠御前八柱神社 – くすごぜんやはしらじんじゃ –です。
祈願!「新型コロナウイルス退散」!!
屋内に賽銭箱がありました。
楠御前八柱神社 – くすごぜんやはしらじんじゃ –
通称 楠之宮
古来、志摩 度会の国人は申すに及ばず、広く延命長寿 子授け 安産の守護神として信仰が厚く、就中霊験の最も顕著なるは小児の成長、発育を護り給う所より志摩 渡会の国内にあっては男女共「楠」「クス」の字の名前を有する者多き所以である。
特殊神事等:弓引神事
創立年代不詳なるも武家時代に起用せるものと推考される、
古代弓引神事は南張宇宮に鎮座せる八柱神社の境内社として祀られていた若宮殿社の境内社の神事として行われていたが、明治末期に至り、
現在地に鎮座せる楠御前社に合祀され、楠御前八柱神社と称した。
楠御前八柱神社と称された後、弓引神事は中断していたが、
昭和56年氏子一同の熱誠溢れるご奉賛により、同年1月11日をもって復活斎行した。
以来、神事は前夜から参篭潔斎せる二十五厄年の二名の者、
その他二名の者により奉仕されるが古くからの慣例であり、
古式に則り射手二人が25m離れた的を射る。的に矢が当たると、
村中安全、五穀豊穣、海上安全、穣災招福の願いが叶えられると云われている。
当日は午前10時から神社で祭典が行われ、青年たちにより謡が奉納される祭典終了後、
宮司以下、奉仕者、総代役員一同社頭に整列し前の浜斎場へと参進。
斎場にて宮司、射手2名、矢取2名を従え所定の位置につく。
修祓、弓引所役、威儀を正し、的に向かって弓引をなすこと三度、終わって直会。
なお的に的中せる時は翌日も祝い直しの日待を行い、村中安全を寿ぐのである。
由緒
当社は明治40年11月21日、八柱神社、若宮殿社、八重垣社を合祀。
明治41年2月22日楠御前社を合祀し、楠御前八柱神社と称し現在に至る。
鎮座地 | 志摩市浜島町南張1594-2 |
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御祭神 | 伊弉諾命 久須姫命 五男三女神 素盞嗚命 応神天皇 |
祭祀 | 例祭(旧暦1月22日)歳旦祭(1月1日)弓引神事(1月11日) 祈年祭(2月11日)建国記念祭(2月11日) 天王祭(7月14日) 夏祭(7月22日)新嘗祭(11月23日) |
アクセス | 三重交通バス 宿浦線 伊勢市駅前から約1時間20分 鵜方駅前から約20分、南張停留所下車徒歩3分 |
ULR http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e6%a5%a0%e5%be%a1%e5%89%8d%e5%85%ab%e6%9f%b1%e7%a5%9e%e7%a4%be%ef%bc%88%e9%80%9a%e7%a7%b0-%e6%a5%a0%e4%b9%8b%e5%ae%ae%ef%bc%89/