私の父は明治42年生まれで、今生きていれば97歳です。
母とは同い年でした。
20歳の時にお寺にいる母のところへ、婿として入ってきました。
その後8人の子を儲けました。
貧乏なお寺で、母が少しばかりの田畑を耕して暮らしていました。
父の職業は大工でした。
頭も、腕も、運動も、字も達筆でした。
ただ非常に短気な性格でしたので、私達はいつもピリピリして
いました。
ご飯茶碗が飛んで来るのはしょっちゅうでした。
後になってから母が私にこんな話をしてくれました。
「おまえが赤ん坊の時に(2月に生まれました)余りにも泣き止まない
ので、うるさいからと言っていきなり抱いて家の外の
雪の中に放り投げたんだよ!」
「まったく、いくら雪の中では怪我しないからと言ったってー。」
その時姉が、急いで私を助け出したそうです。
その話を聞いて私は、ひどい父親だったんだなーと思いました。
父は、50歳の時に胃癌で亡くなりました。
そんな父を少し理解できるようになったのは、私が結婚して数年たって
からでした。
母とは同い年でした。
20歳の時にお寺にいる母のところへ、婿として入ってきました。
その後8人の子を儲けました。
貧乏なお寺で、母が少しばかりの田畑を耕して暮らしていました。
父の職業は大工でした。
頭も、腕も、運動も、字も達筆でした。
ただ非常に短気な性格でしたので、私達はいつもピリピリして
いました。
ご飯茶碗が飛んで来るのはしょっちゅうでした。
後になってから母が私にこんな話をしてくれました。
「おまえが赤ん坊の時に(2月に生まれました)余りにも泣き止まない
ので、うるさいからと言っていきなり抱いて家の外の
雪の中に放り投げたんだよ!」
「まったく、いくら雪の中では怪我しないからと言ったってー。」
その時姉が、急いで私を助け出したそうです。
その話を聞いて私は、ひどい父親だったんだなーと思いました。
父は、50歳の時に胃癌で亡くなりました。
そんな父を少し理解できるようになったのは、私が結婚して数年たって
からでした。
