新説百物語巻之四 10、渋谷海道石碑の事 渋谷街道の石碑
2023.5
京の東山の渋谷街道(しぶたにかいどう)の側にひとつの石碑がある。
洛陽牡丹新吐蘂(らくようの ぼたん あらたに ずいを はく)と七文字が彫り付けられていた。
名もなければ、何の為に立てたのかも、判らなかった。
或いは、遊女の塚ともいい伝えられてもいたが、本当のことを知っている人はいなかった。
すこし前に、知恩院町古門前に黒川如船と言う人がいた。
風流の楽人であって、茶香あるいは鞠楊弓に日を送っていた。
八月の事であったが、湖水の月を見ようと友達をかれこれと誘い合って、石山寺にいった。
そして、一宿し、又あすの夜の月の出てくるのを見て、京のかたへ帰っていこうとした。
もと来た道を戻るのも、つまらないだろうと、渋谷街道をつたって帰って行った。
最早、夜も子の刻過ぎて、そろそろ丑の刻にもなろうかと思う時刻であったが、街道のはたに、石に腰かけている80代位の老翁が一人で、たばこをくゆらせていた。
その火をかりて、たばこに火をつけ、
「どちらの人でございますか?」と尋ると、
「私は、このあたりの者ですが、月のあまりに美しいので、このように眺めています。」と答えた。
「そらならば、尋ねたい事がございます。ここの石碑は、誰の石碑でございますか?」と尋ねた。
すると、老人はほほ笑んで、懐中より書いたものを取出して、如船に与えた。
「持ち帰って、これを見なさい。」と言って、たちまちに姿が見えなくなった。
持ち帰って見れば、詩と発句とであった。
牡丹開尽帝城外 花下風流独倚欄 (牡丹 開き尽くす 帝城の外。 花下の風流 ひとり欄による)
老去枝葉埋骨後 人間共是夢中看 (老い去りて 枝葉 埋骨の後。 人間 共に是 夢中に看る)
それと名を いはぬ(言わぬ)や 花の ふかみ草
詩のうらに牡丹花老人と書かれていた。
又、発句(俳句)にも、ふかみ草とあった。
それで、もしかしたら、その老人の石碑ではないのか、と如船は言った。
その詩句を書いたものを、まさしく黒川氏が所持している、とのことである。