江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

檮原(ゆすはら)の河童  土佐風俗と伝説

2020-03-15 18:58:14 | カッパ
檮原(ゆすはら)の河童
                         2020.3     
(原題は、「檮原の猿猴=えんこう」)
  
今は昔、高岡郡檮原村(ゆすはらむら:今は、町)の山中で、庄屋の下男が小川の縁(へり)の柳の樹に馬を繋いでおいた。
その間に、小川より一匹の猿に似た化物があらわれた。

馬の綱を解いて、自分の体に巻き付け、そろそろと川の中へ引込んで行こうとした。
すると、馬は驚いて、一声高くいななき、躍り上がったが、その際にその化物も川から引き上げられ、そのまま引摺られて庄屋の屋敷まで来た。

庄屋の屋敷で大勢で、怪物を捕えた。
良く見ると体は猿に似て茶褐色で、皮膚はぬめっていて、左手が非常に長く、頭の鉢が窪んでいて、目が光り、聞いたことも無い化物であった。
庄屋は、怒って、一刀のもとに切り殺そうとしたが、化物は人の言葉を話した。
平謝りにあやまり、
「私は、この川に棲む河童でございます。
今後は、決して悪事を致しません。
御許し下さい。」と詑びいった。

それで、一札の詑証文を書かせて、放してやった。

その翌朝、不思議にも、庄屋の門のカギに、沢山の川魚がかけてあった。
その翌朝も同じように、沢山の川魚がかかっていて、毎朝欠かさなかった。
遂には、ある朝にはあまりに重くて、カギが折れて魚は地面に散乱していた。
庄屋は、これはカッパの恩返しであろうと、推察した。
その次の晩は、鹿の角のカギを作り、之なら大丈夫と思って用意した。
しかし、夜が明けて見ると、魚は一もかかっていなかった。

それ以来、この小川には、溺死者や種々の怪異は跡を断った。

猿猴が鹿の角を嫌っているので、川へ入るのに鹿の角を持っていると、猿猴に引きずり込まれる憂いがない、という風習も、このことから始まった、と伝えられている。


土佐風俗と伝説 より
 

土佐のカッパ  土佐風俗と伝説

2020-03-15 18:55:37 | カッパ
土佐のカッパ
(原題は、「猿猴」)     
                           2020.3
土佐の国では、カッパを猿猴(えんこう)と称する。
これは猿という事ではない。
水中に棲み、頭に水をいれる皿があり、手に水かきがあり、小児などを取って食うものである。
すなわち、他の地区でいう河童である。

高知城下の鏡川にて、或る時、猿猴(えんこう:カッパ)が人を捕えようとして、逆に捕えられた。
天神(潮江天満宮で高知市街半分の氏神様)の氏子ならば、今後は、害を加えない、という約束で、許された。

又、高知城の東に一里の下田村でも、同じ様に馬の手綱を引張り、水中に引き込もうとしたが、逆に、馬に引きずりあげられて、人に捕らえられた。
これまた、同様に、下田生れの者には危害を加えない、という約束で、赦された、

それで、高知近辺の小供が夏の水泳の時には、下田生れで天神様の氏子だ、と大声で叫んで水に入れば、決してカッパ(つまり猿猴)の患いは無いという事である。

筆者(この本の著者、寺石正路)等は、現に幼時は、このように教えられて、いつも水泳したものであった。

「土佐風俗と伝説」(大正14年、寺石正路)より