江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

キツネに導かれた、館林城  その2  関八州古戦録

2020-03-22 14:02:07 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣
キツネに導かれた、館林城  その2
  
享禄(きょうろく)元年(1528年)戊子年のことである。
初春の祝として上野の国の舞木(こうずけのくにのまいき)群馬県邑楽郡千代田町)の城主の甥、俵五郎秀賢照光は、少ないお伴と供に外出した。
道の途中で、五六八九歳の子供達が集まって、狐の子をとらえて殴っていた。
照光は、それを遠くから見つけて、お供の鉢形惣次郎に、子供たちに銭を与えさせて、キツネの子を、逃げさせた。

晩に、帰城した所、狐の親が、人に化けて出てきた。
照光の馬の前にかしこまり、
「私は、今朝助けていただいた狐の親でございます。
あなた様の御厚恩に対して何をもってか、ご恩返しを致しましょうか。
今 あなた様の御居城の青柳は勝地ではありますが、敵に攻められやすく、味方千騎は、敵の百騎にしか匹敵しません。
(その訳は、)(あなた様の)御先祖照重公が、去る文治四戊申年(つちのえさるのとし1188年)、赤岩の館(やかた)より移って、青柳に築城されました。
享禄まで城主七代、年数は三百四十一年、武勇が盛んで子孫繁栄をしていますが、国は衰え、民は苦しんで、城は日々衰えてきています。
(その証拠は、)広沼は敵を防ぐためでありますが、(当時、田畦となれば、)守護の霊神も助けてくださいました。
しかしながら、諸国は乱世となって、去る永正(えいしょう)九年(1512年)に武州鉢形の城主を始め、永正十七年(1520年)に上州高田の城が、大永(だいえい)元年(1521年)十月二十三日武州杉山の城が、大永四年(1524年)正月十三日武州江戸の城が、落城してしまいました。
彼らが戦いに弱いのではありませんが、城を守護する霊神が威力を失ったことから、戦に負けたのです。
このような乱世には、名城にお移りください。
館林に築城すれば、当国(上野こうずけ:群馬県)の名城となりましょう。」
と語って、消すがごとくに消え失せた。


以上、「館林盛衰記」広文庫より


群馬県の舘林城は、戦国時代から江戸時代にかけてのしろである。
五代将軍の徳川綱吉の居城であった。
その城が、狐の導きによって、築城された伝説があるのは、興味深いことである。



キツネに導かれた、館林城  その1  関八州古戦録

2020-03-22 13:57:10 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣
キツネに導かれた、館林城  その1

・・・
大袋(群馬県館林市)と云う所に、新しい城を築いて移ったが、ここも又地の利が宜しくなかった。
そこで、どうしようかと思案していた頃合いに、要用の事が有って、同郡舞木(群馬県邑楽郡千代田町)の寺院に赴いた。
すると、道の途中に、子供たちが多く集まって、狐の子をいたぶって、なぐり殺そうとしていた。

法蓮は不便に思って、下僕に持たせていた火打袋からお金を取出して、狐の子をもらい受て、林の繁みに、放してあげた。
彼自身は舞木へいってから、タ方に帰ってきた

先程の道路に、どこからともなく小男が一人忽然と来て、法蓮の前にひざまづいた。
そして、涙を流して、
「今朝 それがしの最愛の我が子が、不慮の凶害に会っていた所に、あなた様の御慈悲により命を助けていただきました。
人畜 性を異にするとは言え、子を憐れむ道においては、全く同じでございます。
このご恩をどのように報いれば良いのかわかりません。
あなた様の住っている大袋の城地は、天然の不詳の気が有ります。
今、考えますに、ここより西北に当たる館林は、城を構えるのに良い土地であります。
居を移せば、繁栄いたしますでしょう。
幸いに、今宵は風は涼しく、月も明るい夜です。
いざ、道案内を致しましょう。」
と申しあげた。

法蓮は、その言葉に誘われて、その場所・館林に到って、土地の様子を見た。
誠に城郭の設営に良い土地であったので、大いに喜んだ。
近いうちに、城の建設を始めよう、と決めた。
すると、小男の顔が、狐に変わった。
「我れは、これ大袋の鎮守稲荷の神である。」
と言って、白狐の姿を現し、失せ去った。

以上、「関八州古戦録」広文庫より