河童の種々のありさま 「三養雑記」
2025.1.20
水虎、俗に「河太郎」、また「かっぱ」と言う。江戸にては川水に浴する童等が、時としてかの河童に、水に引き入れられる等と言うのを聞くが、大変に稀であって、その河童と言うものをはっきりと見た者はない。
西国では、所によっては、水辺などにて常に見ることあるそうである。怪をなすも狐狸とは、違うものである。
私自身が、しかと聞いたのを一つ二つあげてみよう。
畠の茄子―つ一つに歯がたが三四づつ、のこらずついていたことがあった、とその畠のぬしより聞いたことがある。
仇をなすこと、執念深いこと。
筑紫での仇(かたき)を、江戸にまで来て晴らそうとしたこと。その怪異についても聞いた事がある。、
→ https://blog.goo.ne.jp/edo-yokai/e/9839525e99f9f2e3d0f6861bf1d02a92 を参照
「動物界霊異誌 河童その6 目に見えない河童と戦う」
このカッパの写生図(寫真)として見たのは、背腹ともに鼈(スッポン)の甲のようなものがあって、手足首の様子は、鼈に大変よく似ている。
世人が、カッパは、スッポンの年経たるものである、と言うのもうなづけることである。
越後の国(新潟県)蠣崎のほとりにての事だそうだ。
ある夏のころ、農家の子供が家の内であそんでいると、友だちの子供が来て、
「河辺に行って、水あびして遊ぼう。」と誘って行った。
しかし、その誘いに来た子供の親が、程なく、その農家に来たので、農家の主が、
「今すこし前、あんたの息子が遊びに来たよ。」
と言うと、
「いや、せがれは風邪気味なので、今朝から家で寝ているよ。」
それで、大変に怪しいことであると、言いあったそうである。
後で聞けば、カッパが子供に化けて、誘いにきたのだろう、と言う。
また、上総国にもこのような事があった。
ある家の子供をその友の達の子供が来て、「川辺で遊ぼう」と呼びに来た。
それで、その母親が、「川辺に行くのなら、災難よけのまじないとして、仏壇に供えてある飯を食って行け」と言った。
それで、友達の子供は、「そんならいやだ。」と言いつつ走り逃げて行ったそうである。
これもカッパではなかろうか?先祖まつりは、厚くすべきことだ、と言ったそうである。
(訳者注:仏壇に供えたご飯には、魔除けの力があるとされていた。)
「三養雑記」 広文庫より