江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

対馬の河童  「甲子夜話」

2025-01-18 20:34:57 | カッパ

対馬の河童  「甲子夜話」 

             2025.1.18

対馬には、河太郎がいる。浪よけの石?糖に集り群ををなしている。亀が、石の上に出てきて甲羅を曝すのに似ている。その身長は二尺余りで、人に似ている。老いたのもいれば若いのもいる。白髪のもいれば、髪があるのもいれば、天を衝くような髪をもつものなど、様々のものがいる。人を見れば、皆海にもぐって隠れる。常に人につくこと、狐の人につくのと同じである。対馬の人々に患いを成すと云う。
また予は、若年の頃、江戸で、捕まえた河太郎の図を見たことがある。
これは、享保年代に、本所須奈村の芦葦の中の沼田の中に、河太郎が、子を育てていたのを村人が見つけて追い出し、その子を捕えたものの図であった。
太田澄元と云う本草家の父である岩永玄浩が鑑定して、水虎であると断定して言った。また本所御材木倉の取建の際に芦葦を刈り払った時に、狩出して捕まえたともと言う。

訳者付記:さる2017年の始め、対馬で、カワウソが発
見されたとの報道がありました。
カッパ(河太郎)の正体については、多くの説がありますが、おそらくは、いくつかの動物を組み合わせたものでしょう。カワウソも、その内の一つです。
多くの地区では、カッパは、湖沼河川つまり淡水に棲んでいることになっていますが、対馬では、海辺に棲んでいるとの記述です。
地方性があって、面白いことです。

「甲子夜話」(著者は、平戸藩主の松浦静山)  広文庫より

 


河童のお金  「蜀山人全集 一話一言」

2025-01-17 18:31:48 | 怪談

河童のお金  「蜀山人全集 一話一言」

            2025.1.17

天明五年(1785)乙巳*月の頃、麹町飴屋十兵衛なるものの事である。

常々、心が正直なるものであった。
ある夕方、童子が来て遊んでいるのを見て飴を与えた。
それより毎日夕方に来た。
あやしんで跡をつけて行くと御堀の内へ入って行った。
さては河童であろうと畏れ思ったが、ある日、来たときに一銭のお金をよこした。
その後は、来なくなった。

その銭は、今は番町の能勢又十郎の家に所蔵されている。
その銭の拓本は、浅草の馬道に住んでいる佐々木丹蔵篁?が得ていた。
それを、私(太田蜀山人)に贈ってくれたので、ここに示しておく。(図略)

「蜀山人全集 一話一言」広文庫より

 


河童は鉄を恐れる 「ありのままに」

2025-01-16 18:29:16 | カッパ

河童は鉄を恐れる 「ありのままに」

                        2025.1

肥後(熊本県)の山家郡内田と言う所の川中に、農具の鉄の刃が沈んでいるのを川童は大いに恐れた。
その所の人に、要請して取り捨ててもらった。
そのお礼としてのお礼として、その川筋にて人をとらない、と誓った。
その為に、石の塔をつみ置いたが、今尚存在しているそうである。

「ありのままに」広文庫より

 


加藤清正の河童退治  「本朝俗諺志」

2025-01-15 20:26:15 | カッパ

加藤清正の河童退治  「本朝俗諺志」

             2025.1

肥後國熊本の八代の辺りに川童(カッパ)が多い。

しかし、所の人には、害をなさない、と言う。加藤清正が当国の藩主であった時、川狩りをしたが、児小姓の一人が川童(かっぱ)に水中に引き入れられてしまった。
清正は大いに怒り、
「我が領地にあって、我が家来の命を絶つ事は、言語同断である。
この上は、国中の川童を狩って、一匹も残さす打ち殺してやろう。
先づ、他所へ退げられないように、多くの貴僧高僧を集めて彼らを封じ、
それから、川上より河童らに対して毒になる薬を流そう。
数千の石を焼いて隠れている淵へ投入れさせよう。
又、猿を多く集めよ。」と下知した。

川童は、湯をあびれば、力を落とすものである。
石を焼いて淵に入れるのは、淵の水を沸かすためである。
猿は、川童を見ると力を増し、川童は猿にあうと、立ちすくみに成るものである。
猫に鼠よりも、厳しいものである。

強勢の清正が、強く命令したので、国中の川童どもは大変に恐れた。
肥後の川童(かっぱ)九千の頭は、九千坊と言った。
九千坊は、大いに悲しみ、封じた僧たちをたのんで、再三願って、ようやく赦された。
それで、永く所の人に害をなさないと固く誓約をした。
それより、カッパによる災いがなくなった。
しかし、時として、旅人には害があるそうである。

「本朝俗諺志」広文庫より