長野県佐久市のぴんころ地蔵に、年間10万人の参拝者が訪れていると言います。
ピンコロという言葉はご存じだと思いますが、元気で達者のピンピンと、
死ぬ時はコロリと生きたいという意味です。
その言葉から、超高齢化時代の悲痛な願いというよりは、どこかあっけらかんとした響きを感じ取ることができます。
でも、本当にコロリと逝ってしまってよいのでしょうか?
このように、ピンコロと亡くなったのでは、後に残された人はとても困ると思うのです。
なぜかというと、家を継ぐ長男がいるケースでは、財産の管理や相続・お墓や葬儀について、
何の話もなく逝ってしまったのでは、今後どうしたらよいか困惑して泣くに泣けないのではないでしょうか。
それならよっぽど、じわじわとガンのような死が訪れた方が良いと、私は思います。
アメリカでは末期医療やターミナルケアが進んでいるので、ガンで亡くなることは、むしろ幸せな死というイメージがあるそうです。
余命何か年(月)の間に、相続のことや、生きること・死ぬこと(命について)を考えることができます。
その貴重な時間は、残された人のために最善を熟慮し、自分に真摯に向き合う期間でもあるからです。
この意味から言ったら、ポックリと逝くことは、自己満足の何物でもありません。
もちろんポックリと逝きたい心情は、よく理解できます。
ただ、この場合条件として、お墓や葬儀のこと、残された配偶者や子供たちが余計なトラブルに巻き込まれないように、
元気な時から、遺言なり、エンディングノートを書くなどして、自分の死後の道しるべをつけておくことです。
以上、これらのポックリの条件として、生きてるうちに成約していれば、ポックリは大賛成!です。
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それにしても、ピンコロ地蔵の発案は90歳を過ぎたおばあさんが、ウン十年前に婦人会の会長時代に考えたというからすごい。
このおばあさん、先を見通す眼力がありました。
今でもピンコログッズを売る商店街は全国からの老齢男女で大繁盛なのに、これからもますます参拝者は増すばかり。