地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

自宅介護・2

2015-06-19 21:02:25 | 自宅介護
(内容は1の続きです)

子供たちの望みは、母親に出来る限り病院に長く入院してもらって、その間に両親の今後の生活スタイルを考えたかった。

入院2日目から日当たりのいい個室に入り、父親もそこで寝泊りする事になり、子供たちにとっては一安心。
母親も1~2週間は身体が痛かったのか大人しくしていた。

しかし、側頭部を打って斜視状態になったものの、身体の痛みが取れたのか・・
「家に帰りたい・・」と毎日の様に言いだし我々を困らせた。

父親にしてみれば、家に帰れば家事の全てが自分の肩にかかってくる、それより病院での生活の方が楽だ。

母親は病室に私と2人になると、私にすがるように「家に連れて帰って」と・・・。
私は今帰っても準備が出来ていないのでダメだと・・・何度も言う事に。

父親は「暫くは病院に、先生にも頼んである。」
兄・姉達「色々と考えているか結論が出ない。」

確かに母親の状態の変化によって、その介護の内容が誓ってくる。
世話をする人、又、自分の家に受け入れるにも各自色々と問題が有る。

そんな中、、、、毎日の様に母親に帰りたいと泣きつかれる・・・私

そんなある日、母親が病室の天井に何かが・・・と幻覚を見るようになった。
そして私に家に帰りたいと言葉と態度が母親の姿ではなくなった・・・。
その顔を見て、私の心は決まった。
父親に「連れて帰る。」と言うと、父親は「そんな急に・・先生にも頼んで置いてもらってるのに・・」

私は年老いた父親に怒鳴るように・・・「そんな問題じゃない、俺が先生に言ってくる。」
そう言って、そのまま先生のところに行き、明日退院すると伝えた。
翌日の午前中に介護ベットなど、その種の業者に急がして用意してもらった。

父親・兄・2人の姉の4人の考えを無視して、母親の希望どおりを実行してしまったのです。
この行為が・・・後々、自分が一番介護にかかわる事になった原因でも有ります。

母親はベット生活、トイレは誰かが補助すれば行く事が出来、自分もオムツよりはその方が良いので頑張っていた。
しかし、それ以外は何も出来ない。

ヘルパーさん・看護師さん・かかり付けの医者、、、そして父親が母親の介護をすることに。

私は大阪から1ヶ月に一週間は親の元に帰るようにした。
これは母親を見ると言うより、父親を見る方に重点を置いていた。
父親にも出来るだけ自由な時間を作らないと心身ともにもたないし、父親も高齢なので、本人が病院と縁は切れない。

私にとっては軽い「介護」の期間が1~2年つづいた。
しかし、母親の介護の中心の父親も70才代後半・・・段々と体力が落ちてきた。

今度は母親だけじゃなくて、父親が寝込んだ場合の事を考えなくちゃならなくなった。
兄弟姉妹・・・4人での話し合いがもたれるようになった、、、、答えが出ない。