地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

自宅介護・6 母の死

2015-06-23 21:36:26 | 自宅介護
(内容は自宅介護5の続きです)

母親が72才の時に階段から落ち、それが引き金となり一年後にはほぼ完全な寝たきり状態。
そこから四歳年上の父親が中心となり自宅介護が始まりました。

その間にも色々と問題はありましたが、なんとか問題のたびに考えては解決と言う綱渡りです。
介護する対象者がどんな状態になるかで、介護の内容が変わるので・・予測は出来ても予定は出来ません。

寝たきりの母親・・83才
介護をする父親・・87才

父親が良い方に予想外の元気だったので、なんとかやってくる事が出来ました。
それでも、もうソロソロ限界だろうと・・・
私は大阪から両親の近くに引っ越してきました。

実際にはかなり無理をしたのですが、、、無理をしなきゃ親の面倒なんて見ることは出来ません。

それまでの約10年間はあくまでも介護の手助けの感じが強く、私が責任を持ってやっていた訳ではありませんでした。
しかし、引っ越した時に仕事も整理したので時間はかなり自由になり、
介護はもちろん母親の話し相手もかなり出来るようになりました。

私が親の元に帰ってから数ヶ月後に母親の誕生日があり、姉夫婦や孫も来て祝ってくれました。
母親は、少しはしゃぎすぎと思えるほど上機嫌でした。

姉は一泊し、母親の誕生日の翌日のお昼頃に帰りました。
その帰り際に母親は「車の運転は気をつけなヨ」と姉を送り出した。

私は自分の家に・・・

それから、、、、30分も経たない間に父親から私の携帯に電話が・・・。
私「なにぃ~」
父「お母ちゃんが死んだ。帰ってきてくれ・・・」

さっきまで元気だったのに・・・
急いで車に乗って実家に向かったが、運転中は涙が溢れて止まらなかった。
この時に人生で初めて嗚咽(オエツ)を経験した。

家に着くと、すぐ近くにある病院の先生が来ていた。その横で気の抜けた父親が・・・・。
十年余り寝たきりの母親の介護をしてきた老人の父親、そのまま息をひきとるのじゃないかと感じるほどの状態でした。

父親が私に
「姉ちゃんが帰った後、喉が渇いたと言うので水を飲まそうとしたら、こっちを向いてそのまま動かなくなった。」
「それから・・・お前、後のことをすべて頼む、、、、。」

コレだけ言うのがせぇ~一杯だった。

兄・姉達に連絡して、、、親戚にも、、、
通夜・葬式などの段取りで忙しい事が私の悲しみを一時的に抑えてくれる。

しかし、、、、私の介護と言う怪物との戦いは母親の死が介護開始のゴングだった。