地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

自宅介護・4

2015-06-20 22:34:07 | 自宅介護
(内容は自宅介護3の続きです)

母親の介護や父親の世話から離れ、久し振りの正月をしていた。
嫁の作ったおせち料理に日本酒・・・人並みの正月だと2人でゆっくりしていた。

この後は大阪の住吉大社に初詣です・・・。

そんな時に家の電話が鳴った。
誰かから新年の挨拶かと思い受話器をとると・・・聞き取れないようなかすれた小声がする。
「だれ!!!」・・・・「どちらさんですか???」

すると「〇〇かぁ~」と私の名前を・・・親父だ。

どうしたんだ????
父親がまさしく蚊が鳴くような声で 「昨日から身体がだるくて動けない。お母ちゃんのご飯も出来ん。」

事情を詳しく聞くと、日頃、色々と迷惑をかけているし、元旦早々だし、かかり付けの医者にも遠慮して電話をしていない。
ヘルパーさんも大丈夫だろうと大晦日と元旦は断ったらしい。

外ズラの良い人だけに日頃迷惑をかけているので、年末年始位は休んでくださいと考えたらしい・・・。

仕方なく  「今から行く、昼過ぎには着くと思うので暫くそのまま寝ていて。」
少し酒を呑んでいたので外に出てランニング、帰って風呂、、、そして、もう一度ランニング、そして風呂。
これで酒が抜けるわけじゃないが、幸いにも銚子一本に満たない程度だったので、感覚的には大丈夫と判断。

翌日から仕事のある嫁は待機で、私一人で帰ることに。
大阪の自宅から徳島の実家までは殆どが高速道路、約二時間で着く。

何とか無事に実家に着き、両親が寝ている部屋に・・・。
悪臭だ・・・母親のオムツが満杯状態になってるのはすぐに解った。

父親に「とりあえずお母ちゃんのオムツを交換するから・・」 父は無言でうなずくだけだ。

私はこの時が一人でオムツ交換する最初でした。
心の中で「新年早々に母親のオムツ交換かぁ~」
白髪だらけの女性器・・・母親の。   それもひどい臭いだ。

ふと母親の顔を見ると・・・私以上に辛そうなな顔をしていた。
確かに、末っ子の男の子に下半身をさらけ出してオムツ交換をしてもらう母親・・・
身体の調子は悪くても、頭はしっかりしている状態だけにどんな気持ちなんだろぉ~。

やっとの思いで母親のおむつ交換が終わり、次は父親の状態確認です。
微熱があり、一見は風邪の様に感じた。
高齢者の風邪はなかなか治らない場合が多い。
雰囲気的に悪化しそうな感じでなかったので様子を見ることにして、、、。

2人の食事の用意だ。

さぁ、、、寝たきりの母親と風邪で寝込んだ父親、しかも2人とも高齢者。
どんな物を用意すれば良いのか・・・・。

とりあえず米を炊く、そしてお粥にして。オカズはおせち料理として買ってあった物から柔らかいタマゴなどと梅干。
寝たきりの母親の方が食欲は普通にあったので一安心だ。

しかし、今はなんとかしのげたが・・・これは少なくとも数日はかかる。
姉達に連絡して助けてもらおうか、、、、悩んだが連絡はしなかった。

その時に私は・・いつかはこう言う時が来る、その時の為に練習だと思うことにした。

両親の食事が終わり、私は自分の食事と買い物の為に外に出た。
大型のスーパーは年中無休だ・・・助かる。
それは良かったのだが、、、、私はあの悪臭が鼻に付いて吐き気がして食欲がゼロ・・・ビールで空腹をごまかした。

結果的に父親は4~5日で元気になり、私は介護から開放された・・・やっと正月だ。
医者やヘルパーさんから 「なんで言ってくれなかったんですか。」と言われたが・・
新年早々で、私にも遠慮が有ったのかも知れない。もちろん、ある程度は自分で出来ると言う判断も有った。

その後、大きな問題もなく老老介護と姉と私の担当もそれなりにこなしていた。
私もオムツ交換・身体をキレイに拭く・食事の用意と少しづづ経験をつむようになって行った。

父親は80才になっても元気に介護に明け暮れる。
本当に「子供孝行の親だ」、、、と。

ところが・・・私が実家に居てる日に、父親が胸を押さえて苦しみだした。
顔は苦痛でゆがんでいる。良く顔を見ると・・顔色が悪い。
なんか黄疸が出ているような感じがした、、、これは手に負えない、すぐに医者に来てもらった。

かかり付けの先生は 「もしかしたら、イシが動いたのかもしれない」
父親は胆石を持っていたんです、ただ、動かなければそのままで・・・と言う状態だった。
それが動いたのだろう・・・すぐに総合病院に行き検査です。
案の定・・・小さなイシが胆管の出口で詰まっているのが解った。
それが原因での激痛と、胆汁が流れなくなり黄疸の症状が出ていたのです。

医師は高齢なので麻酔などのショックとか手術に耐える体力が・・・・・と言ったが
そんな事を言っても放置は出来ない状態です。
私は即答で 「何が有ってもかまいません、全責任は私がとります、手術をしてください。」

今考えると、よくまぁ勝手に言ったもんだ。
本人や他の子供たちに何の相談もせずに勝手に判断したのですから・・・・。

医師が了解してから、兄弟たちに連絡です。
手術が上手く行っても、暫くは入院です。

家では寝たきりの母親、そして父親は病院に入院。
なんて言う状況なんだ・・・。




自宅介護・3

2015-06-20 11:40:55 | 自宅介護
(内容は自宅介護2の続きです)

全面的な介護が必要になった母親と、その介護の中心的な役割の父親も78才。
典型的な老老介護です。

そんな両親の生活は、なんとか綱渡り状態ながら2年程はそれなりに進んだが・・。
父親の気力が段々と落ちてくるのを感じるようになり、大阪から実家に帰って、月に一週間程度いてる私に愚痴るように・・・。

その原因は母親の変化だった。
私がいてる時に父親は自分の健康診断や、チョットした買い物に出かけます。
その父親が留守の時に母親が私に言うのです。
「お父ちゃんに女の人が居る。時々帰ってこない。あんた、知ってるだろ???」

確かにベットで寝たきりになると壁の向こうの事さえ解らない。全てが想像の世界です。
自分が生きて行くには絶対に欠かせない亭主(父親)、誰かにとられてしまったら生きて行けない。
そんな不安にかられるのだろうか・・・・。

もちろん、くたびれた爺さんの父親に女が出来るわけも無い。
父親にしてみれば・・・こんなに頑張ってるのに、なんでそんな事を言うんだ・・・。

横から見ていると、嫌だろうがそんなに気にすることでも無いんじゃないか・・・と思いますが・・。
夫婦とか親子とか関係が近いほど些細な事に腹が立つ と言う事をイヤと言うほど経験する事になります。

そんな状態の両親をどうするか・・・子供4人の話しあいは毎日の様に。
あって話をするには距離がありすぎる、そんな時に役に立ったのがメールでした。
全員に同時に発信することで、考え方など情報を共有できる事が出来た。

私以外はそれぞれ家を持ち、その子供たちもそれぞれの地で活躍している。
長男も長女も自宅のすぐ近くにマンションを借りて、そこに両親を住ませれば見ることが出来る・・・そんな感じの話です。

私の両親は絶対に今の地を動く事はしないと確信していたが、誰かが実家に帰って両親の面倒を見るなんて事は現実的に無理な話だと言う事も解っていた。

しかし、私は兄弟の意見を否定はしなかった。それは父親が先に亡くなったら、母親は子供の所に行く可能性が有ると思っていたからです。
父親は友人知人も多く、今の地を離れたくないし。兄嫁や娘婿と言う義理の子供たちに迷惑をかける事を嫌っていた。
その点に関してはかなり強固な意思を持っていましたが、その強さを他の兄弟は実感として理解できなかったようだ。

毎日メールの交換で意見を出したが結論が出ない。
そこで、今まで具体的な考えを言わなかった末っ子で一番若い私のプランです。

現状は寝たきりの母親を見ているのは・・父親・ヘルパー・看護師・かかり付けの医者。
その父親のサポートをしているのが私。

この状態にプラス・・長女が月に何日か実家に来て寝泊り出来ないだろうかと。

何故そんな提案をしたかと言うと・・
父親は長女が大好き。長女自身も話し合いの中で、その気持ちがあると感じられたからなんです。

他の兄弟は負担が増える訳じゃないので、、、それで大丈夫なら・・と同意するのは流れです。
長女も快諾してくれて、今までのスタッフに長女が加わった。
私は長女と日程を調整して、2人がかぶらないように。

もちろん今までも長女は実家に帰ってきていたのですが、それの日程を決めて長くしたのです。
決める事により、その日を当てにする事が出来るのは大きい。

長女が実家で寝泊りして両親の面倒を見る事は予想外の効果があった。
大好きな長女がいてる間に父親は心身ともに安らいだのでしょう。
付かれきっていた78才の老人が、傍目にも解るくらい元気になった。
我が親ながら、その回復力にはビックリさせられました。

兄弟4人のメール交換も続き、結果的には親のおかげで兄弟姉妹が一層解り合える様になったと思います。
兄弟の子供たちもその輪の中に入り、この両親を中心とした「家族」って感じです。

新しい文化が消えそうになった感覚を取り戻してくれました。

綱渡りのような介護生活ですが、それなりに安定した日々が続きました。
もちろん高齢者の両親、どのように変化するか解らない、その変化の内容で私達に課せられる内容も違ってくる。
色々な状況を想定して、それなりに心構えと準備をする。

母親が階段から落ちて始まった介護生活
四年が経ち父親も80才になった。

その年の12月は私も長女も忙しく、父親に「今年の年末・年始はどうかなぁ???」と・・・。
父親は世話になっていると言うのも有ったのか、快く言った。
「お父ちゃんは調子ええ、お母ちゃんも大丈夫。ヘルパーさんも来てくれるし、年末は忙しいだろうし正月もそっちでゆっくりしたらええ。」
その言葉に私も長女も甘えた・・・。