(内容は自宅介護3の続きです)
母親の介護や父親の世話から離れ、久し振りの正月をしていた。
嫁の作ったおせち料理に日本酒・・・人並みの正月だと2人でゆっくりしていた。
この後は大阪の住吉大社に初詣です・・・。
そんな時に家の電話が鳴った。
誰かから新年の挨拶かと思い受話器をとると・・・聞き取れないようなかすれた小声がする。
「だれ!!!」・・・・「どちらさんですか???」
すると「〇〇かぁ~」と私の名前を・・・親父だ。
どうしたんだ????
父親がまさしく蚊が鳴くような声で 「昨日から身体がだるくて動けない。お母ちゃんのご飯も出来ん。」
事情を詳しく聞くと、日頃、色々と迷惑をかけているし、元旦早々だし、かかり付けの医者にも遠慮して電話をしていない。
ヘルパーさんも大丈夫だろうと大晦日と元旦は断ったらしい。
外ズラの良い人だけに日頃迷惑をかけているので、年末年始位は休んでくださいと考えたらしい・・・。
仕方なく 「今から行く、昼過ぎには着くと思うので暫くそのまま寝ていて。」
少し酒を呑んでいたので外に出てランニング、帰って風呂、、、そして、もう一度ランニング、そして風呂。
これで酒が抜けるわけじゃないが、幸いにも銚子一本に満たない程度だったので、感覚的には大丈夫と判断。
翌日から仕事のある嫁は待機で、私一人で帰ることに。
大阪の自宅から徳島の実家までは殆どが高速道路、約二時間で着く。
何とか無事に実家に着き、両親が寝ている部屋に・・・。
悪臭だ・・・母親のオムツが満杯状態になってるのはすぐに解った。
父親に「とりあえずお母ちゃんのオムツを交換するから・・」 父は無言でうなずくだけだ。
私はこの時が一人でオムツ交換する最初でした。
心の中で「新年早々に母親のオムツ交換かぁ~」
白髪だらけの女性器・・・母親の。 それもひどい臭いだ。
ふと母親の顔を見ると・・・私以上に辛そうなな顔をしていた。
確かに、末っ子の男の子に下半身をさらけ出してオムツ交換をしてもらう母親・・・
身体の調子は悪くても、頭はしっかりしている状態だけにどんな気持ちなんだろぉ~。
やっとの思いで母親のおむつ交換が終わり、次は父親の状態確認です。
微熱があり、一見は風邪の様に感じた。
高齢者の風邪はなかなか治らない場合が多い。
雰囲気的に悪化しそうな感じでなかったので様子を見ることにして、、、。
2人の食事の用意だ。
さぁ、、、寝たきりの母親と風邪で寝込んだ父親、しかも2人とも高齢者。
どんな物を用意すれば良いのか・・・・。
とりあえず米を炊く、そしてお粥にして。オカズはおせち料理として買ってあった物から柔らかいタマゴなどと梅干。
寝たきりの母親の方が食欲は普通にあったので一安心だ。
しかし、今はなんとかしのげたが・・・これは少なくとも数日はかかる。
姉達に連絡して助けてもらおうか、、、、悩んだが連絡はしなかった。
その時に私は・・いつかはこう言う時が来る、その時の為に練習だと思うことにした。
両親の食事が終わり、私は自分の食事と買い物の為に外に出た。
大型のスーパーは年中無休だ・・・助かる。
それは良かったのだが、、、、私はあの悪臭が鼻に付いて吐き気がして食欲がゼロ・・・ビールで空腹をごまかした。
結果的に父親は4~5日で元気になり、私は介護から開放された・・・やっと正月だ。
医者やヘルパーさんから 「なんで言ってくれなかったんですか。」と言われたが・・
新年早々で、私にも遠慮が有ったのかも知れない。もちろん、ある程度は自分で出来ると言う判断も有った。
その後、大きな問題もなく老老介護と姉と私の担当もそれなりにこなしていた。
私もオムツ交換・身体をキレイに拭く・食事の用意と少しづづ経験をつむようになって行った。
父親は80才になっても元気に介護に明け暮れる。
本当に「子供孝行の親だ」、、、と。
ところが・・・私が実家に居てる日に、父親が胸を押さえて苦しみだした。
顔は苦痛でゆがんでいる。良く顔を見ると・・顔色が悪い。
なんか黄疸が出ているような感じがした、、、これは手に負えない、すぐに医者に来てもらった。
かかり付けの先生は 「もしかしたら、イシが動いたのかもしれない」
父親は胆石を持っていたんです、ただ、動かなければそのままで・・・と言う状態だった。
それが動いたのだろう・・・すぐに総合病院に行き検査です。
案の定・・・小さなイシが胆管の出口で詰まっているのが解った。
それが原因での激痛と、胆汁が流れなくなり黄疸の症状が出ていたのです。
医師は高齢なので麻酔などのショックとか手術に耐える体力が・・・・・と言ったが
そんな事を言っても放置は出来ない状態です。
私は即答で 「何が有ってもかまいません、全責任は私がとります、手術をしてください。」
今考えると、よくまぁ勝手に言ったもんだ。
本人や他の子供たちに何の相談もせずに勝手に判断したのですから・・・・。
医師が了解してから、兄弟たちに連絡です。
手術が上手く行っても、暫くは入院です。
家では寝たきりの母親、そして父親は病院に入院。
なんて言う状況なんだ・・・。
母親の介護や父親の世話から離れ、久し振りの正月をしていた。
嫁の作ったおせち料理に日本酒・・・人並みの正月だと2人でゆっくりしていた。
この後は大阪の住吉大社に初詣です・・・。
そんな時に家の電話が鳴った。
誰かから新年の挨拶かと思い受話器をとると・・・聞き取れないようなかすれた小声がする。
「だれ!!!」・・・・「どちらさんですか???」
すると「〇〇かぁ~」と私の名前を・・・親父だ。
どうしたんだ????
父親がまさしく蚊が鳴くような声で 「昨日から身体がだるくて動けない。お母ちゃんのご飯も出来ん。」
事情を詳しく聞くと、日頃、色々と迷惑をかけているし、元旦早々だし、かかり付けの医者にも遠慮して電話をしていない。
ヘルパーさんも大丈夫だろうと大晦日と元旦は断ったらしい。
外ズラの良い人だけに日頃迷惑をかけているので、年末年始位は休んでくださいと考えたらしい・・・。
仕方なく 「今から行く、昼過ぎには着くと思うので暫くそのまま寝ていて。」
少し酒を呑んでいたので外に出てランニング、帰って風呂、、、そして、もう一度ランニング、そして風呂。
これで酒が抜けるわけじゃないが、幸いにも銚子一本に満たない程度だったので、感覚的には大丈夫と判断。
翌日から仕事のある嫁は待機で、私一人で帰ることに。
大阪の自宅から徳島の実家までは殆どが高速道路、約二時間で着く。
何とか無事に実家に着き、両親が寝ている部屋に・・・。
悪臭だ・・・母親のオムツが満杯状態になってるのはすぐに解った。
父親に「とりあえずお母ちゃんのオムツを交換するから・・」 父は無言でうなずくだけだ。
私はこの時が一人でオムツ交換する最初でした。
心の中で「新年早々に母親のオムツ交換かぁ~」
白髪だらけの女性器・・・母親の。 それもひどい臭いだ。
ふと母親の顔を見ると・・・私以上に辛そうなな顔をしていた。
確かに、末っ子の男の子に下半身をさらけ出してオムツ交換をしてもらう母親・・・
身体の調子は悪くても、頭はしっかりしている状態だけにどんな気持ちなんだろぉ~。
やっとの思いで母親のおむつ交換が終わり、次は父親の状態確認です。
微熱があり、一見は風邪の様に感じた。
高齢者の風邪はなかなか治らない場合が多い。
雰囲気的に悪化しそうな感じでなかったので様子を見ることにして、、、。
2人の食事の用意だ。
さぁ、、、寝たきりの母親と風邪で寝込んだ父親、しかも2人とも高齢者。
どんな物を用意すれば良いのか・・・・。
とりあえず米を炊く、そしてお粥にして。オカズはおせち料理として買ってあった物から柔らかいタマゴなどと梅干。
寝たきりの母親の方が食欲は普通にあったので一安心だ。
しかし、今はなんとかしのげたが・・・これは少なくとも数日はかかる。
姉達に連絡して助けてもらおうか、、、、悩んだが連絡はしなかった。
その時に私は・・いつかはこう言う時が来る、その時の為に練習だと思うことにした。
両親の食事が終わり、私は自分の食事と買い物の為に外に出た。
大型のスーパーは年中無休だ・・・助かる。
それは良かったのだが、、、、私はあの悪臭が鼻に付いて吐き気がして食欲がゼロ・・・ビールで空腹をごまかした。
結果的に父親は4~5日で元気になり、私は介護から開放された・・・やっと正月だ。
医者やヘルパーさんから 「なんで言ってくれなかったんですか。」と言われたが・・
新年早々で、私にも遠慮が有ったのかも知れない。もちろん、ある程度は自分で出来ると言う判断も有った。
その後、大きな問題もなく老老介護と姉と私の担当もそれなりにこなしていた。
私もオムツ交換・身体をキレイに拭く・食事の用意と少しづづ経験をつむようになって行った。
父親は80才になっても元気に介護に明け暮れる。
本当に「子供孝行の親だ」、、、と。
ところが・・・私が実家に居てる日に、父親が胸を押さえて苦しみだした。
顔は苦痛でゆがんでいる。良く顔を見ると・・顔色が悪い。
なんか黄疸が出ているような感じがした、、、これは手に負えない、すぐに医者に来てもらった。
かかり付けの先生は 「もしかしたら、イシが動いたのかもしれない」
父親は胆石を持っていたんです、ただ、動かなければそのままで・・・と言う状態だった。
それが動いたのだろう・・・すぐに総合病院に行き検査です。
案の定・・・小さなイシが胆管の出口で詰まっているのが解った。
それが原因での激痛と、胆汁が流れなくなり黄疸の症状が出ていたのです。
医師は高齢なので麻酔などのショックとか手術に耐える体力が・・・・・と言ったが
そんな事を言っても放置は出来ない状態です。
私は即答で 「何が有ってもかまいません、全責任は私がとります、手術をしてください。」
今考えると、よくまぁ勝手に言ったもんだ。
本人や他の子供たちに何の相談もせずに勝手に判断したのですから・・・・。
医師が了解してから、兄弟たちに連絡です。
手術が上手く行っても、暫くは入院です。
家では寝たきりの母親、そして父親は病院に入院。
なんて言う状況なんだ・・・。