地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

自宅介護・3

2015-06-20 11:40:55 | 自宅介護
(内容は自宅介護2の続きです)

全面的な介護が必要になった母親と、その介護の中心的な役割の父親も78才。
典型的な老老介護です。

そんな両親の生活は、なんとか綱渡り状態ながら2年程はそれなりに進んだが・・。
父親の気力が段々と落ちてくるのを感じるようになり、大阪から実家に帰って、月に一週間程度いてる私に愚痴るように・・・。

その原因は母親の変化だった。
私がいてる時に父親は自分の健康診断や、チョットした買い物に出かけます。
その父親が留守の時に母親が私に言うのです。
「お父ちゃんに女の人が居る。時々帰ってこない。あんた、知ってるだろ???」

確かにベットで寝たきりになると壁の向こうの事さえ解らない。全てが想像の世界です。
自分が生きて行くには絶対に欠かせない亭主(父親)、誰かにとられてしまったら生きて行けない。
そんな不安にかられるのだろうか・・・・。

もちろん、くたびれた爺さんの父親に女が出来るわけも無い。
父親にしてみれば・・・こんなに頑張ってるのに、なんでそんな事を言うんだ・・・。

横から見ていると、嫌だろうがそんなに気にすることでも無いんじゃないか・・・と思いますが・・。
夫婦とか親子とか関係が近いほど些細な事に腹が立つ と言う事をイヤと言うほど経験する事になります。

そんな状態の両親をどうするか・・・子供4人の話しあいは毎日の様に。
あって話をするには距離がありすぎる、そんな時に役に立ったのがメールでした。
全員に同時に発信することで、考え方など情報を共有できる事が出来た。

私以外はそれぞれ家を持ち、その子供たちもそれぞれの地で活躍している。
長男も長女も自宅のすぐ近くにマンションを借りて、そこに両親を住ませれば見ることが出来る・・・そんな感じの話です。

私の両親は絶対に今の地を動く事はしないと確信していたが、誰かが実家に帰って両親の面倒を見るなんて事は現実的に無理な話だと言う事も解っていた。

しかし、私は兄弟の意見を否定はしなかった。それは父親が先に亡くなったら、母親は子供の所に行く可能性が有ると思っていたからです。
父親は友人知人も多く、今の地を離れたくないし。兄嫁や娘婿と言う義理の子供たちに迷惑をかける事を嫌っていた。
その点に関してはかなり強固な意思を持っていましたが、その強さを他の兄弟は実感として理解できなかったようだ。

毎日メールの交換で意見を出したが結論が出ない。
そこで、今まで具体的な考えを言わなかった末っ子で一番若い私のプランです。

現状は寝たきりの母親を見ているのは・・父親・ヘルパー・看護師・かかり付けの医者。
その父親のサポートをしているのが私。

この状態にプラス・・長女が月に何日か実家に来て寝泊り出来ないだろうかと。

何故そんな提案をしたかと言うと・・
父親は長女が大好き。長女自身も話し合いの中で、その気持ちがあると感じられたからなんです。

他の兄弟は負担が増える訳じゃないので、、、それで大丈夫なら・・と同意するのは流れです。
長女も快諾してくれて、今までのスタッフに長女が加わった。
私は長女と日程を調整して、2人がかぶらないように。

もちろん今までも長女は実家に帰ってきていたのですが、それの日程を決めて長くしたのです。
決める事により、その日を当てにする事が出来るのは大きい。

長女が実家で寝泊りして両親の面倒を見る事は予想外の効果があった。
大好きな長女がいてる間に父親は心身ともに安らいだのでしょう。
付かれきっていた78才の老人が、傍目にも解るくらい元気になった。
我が親ながら、その回復力にはビックリさせられました。

兄弟4人のメール交換も続き、結果的には親のおかげで兄弟姉妹が一層解り合える様になったと思います。
兄弟の子供たちもその輪の中に入り、この両親を中心とした「家族」って感じです。

新しい文化が消えそうになった感覚を取り戻してくれました。

綱渡りのような介護生活ですが、それなりに安定した日々が続きました。
もちろん高齢者の両親、どのように変化するか解らない、その変化の内容で私達に課せられる内容も違ってくる。
色々な状況を想定して、それなりに心構えと準備をする。

母親が階段から落ちて始まった介護生活
四年が経ち父親も80才になった。

その年の12月は私も長女も忙しく、父親に「今年の年末・年始はどうかなぁ???」と・・・。
父親は世話になっていると言うのも有ったのか、快く言った。
「お父ちゃんは調子ええ、お母ちゃんも大丈夫。ヘルパーさんも来てくれるし、年末は忙しいだろうし正月もそっちでゆっくりしたらええ。」
その言葉に私も長女も甘えた・・・。

自宅介護・2

2015-06-19 21:02:25 | 自宅介護
(内容は1の続きです)

子供たちの望みは、母親に出来る限り病院に長く入院してもらって、その間に両親の今後の生活スタイルを考えたかった。

入院2日目から日当たりのいい個室に入り、父親もそこで寝泊りする事になり、子供たちにとっては一安心。
母親も1~2週間は身体が痛かったのか大人しくしていた。

しかし、側頭部を打って斜視状態になったものの、身体の痛みが取れたのか・・
「家に帰りたい・・」と毎日の様に言いだし我々を困らせた。

父親にしてみれば、家に帰れば家事の全てが自分の肩にかかってくる、それより病院での生活の方が楽だ。

母親は病室に私と2人になると、私にすがるように「家に連れて帰って」と・・・。
私は今帰っても準備が出来ていないのでダメだと・・・何度も言う事に。

父親は「暫くは病院に、先生にも頼んである。」
兄・姉達「色々と考えているか結論が出ない。」

確かに母親の状態の変化によって、その介護の内容が誓ってくる。
世話をする人、又、自分の家に受け入れるにも各自色々と問題が有る。

そんな中、、、、毎日の様に母親に帰りたいと泣きつかれる・・・私

そんなある日、母親が病室の天井に何かが・・・と幻覚を見るようになった。
そして私に家に帰りたいと言葉と態度が母親の姿ではなくなった・・・。
その顔を見て、私の心は決まった。
父親に「連れて帰る。」と言うと、父親は「そんな急に・・先生にも頼んで置いてもらってるのに・・」

私は年老いた父親に怒鳴るように・・・「そんな問題じゃない、俺が先生に言ってくる。」
そう言って、そのまま先生のところに行き、明日退院すると伝えた。
翌日の午前中に介護ベットなど、その種の業者に急がして用意してもらった。

父親・兄・2人の姉の4人の考えを無視して、母親の希望どおりを実行してしまったのです。
この行為が・・・後々、自分が一番介護にかかわる事になった原因でも有ります。

母親はベット生活、トイレは誰かが補助すれば行く事が出来、自分もオムツよりはその方が良いので頑張っていた。
しかし、それ以外は何も出来ない。

ヘルパーさん・看護師さん・かかり付けの医者、、、そして父親が母親の介護をすることに。

私は大阪から1ヶ月に一週間は親の元に帰るようにした。
これは母親を見ると言うより、父親を見る方に重点を置いていた。
父親にも出来るだけ自由な時間を作らないと心身ともにもたないし、父親も高齢なので、本人が病院と縁は切れない。

私にとっては軽い「介護」の期間が1~2年つづいた。
しかし、母親の介護の中心の父親も70才代後半・・・段々と体力が落ちてきた。

今度は母親だけじゃなくて、父親が寝込んだ場合の事を考えなくちゃならなくなった。
兄弟姉妹・・・4人での話し合いがもたれるようになった、、、、答えが出ない。


自宅介護・1

2015-06-18 21:21:49 | 自宅介護
カテゴリーに「自宅介護」を加えました。
自称・遊び人の私のキャラには合わないジャンルですけどネ

意外と介護のブロ並、、、いやいや、それ以上かも・・・。

これから先、親の介護が待っている人達。
今、介護に悩んでいる人達に少しでも役に立てばと思ってか書くことにします。

私の介護は23年前に始まり、2年前に終了しました。
両親の介護で21年間ですが、ずぅ~と介護をしていた訳ではありません。
その内容で「お手伝い」から「全面介護」まで、さまざまな21年間でした。

介護のスタートは母親が階段から落ちた時から始まりました。

その時の家族の状態は76才の父親と72才の母親の二人暮し。
地方都市の徳島の中心地で暮らしていました。
長男家族は500Kmも離れた地で暮らし、いわゆる公務員の天下りで関連企業で働いていた。
長女夫婦も100Kmほど離れた地で主婦。次女夫婦は20Kmほど離れた地で暮らし、共働きで忙しくしていた。

末っ子の私は大阪で嫁(事実婚)と暮らしていました。

母親が階段から落ちた時に次女夫婦から連絡が会った、、、病院からだ。

私は急いで病院に向かった。ベットに横たわる母は頭に包帯をしてた。
横になっている母親の枕元に寄ると・・・母親の目と視線が合わない。
医師の話だと目の周りの筋肉(ケン)が切れて斜視になっていると・・・。

意識はあり命には別状ない様子なんですが、親と話をしてても視線が合わないのは辛い。

翌日、長女も来て、私と2人の姉の3人で話し合いです。
それに電話で長男も加わった。

母親が退院してから、どうやって親の面倒を見るかがテーマです。
元々、足が弱いので、この入院で歩けなくなる事が予測できたのです。

そんな母親を76才の父親一人で世話をすることが出来るのだろうか・・・・。

飲酒事故・その後・・

2015-06-13 11:57:46 | 日記
北海道の砂川でひどい事故、次々とニュースが流れています。

イカレタ連中に殺されてしまった一家の人達の事を思うと・・・言葉が見つからない。

数千万人の人が車に乗っているのですから、中にはこんな非人間的なアホな奴もいてるんです。

このニュースを聞いて一番に思い出す事故が有ります。
かなり昔の話しですが、それも飲酒事故なんです。
危険運転の法律の直前(H13)の出来事です。

夜の街で働いていた女の子が飲食店(昼)の経営者とめでたく結婚。
亭主の仕事を手伝いながら幸せな生活を送っていた・・・。

そんな、ある日、、、仕事が終わり、従業員の一人を連れて外食に行ったんです。
そこで亭主はお酒を呑んだんですが、従業員も車の免許証は持っているので問題は無いと・・・。

ところが酒の勢いなのか、亭主は従業員に
「お前も飲め、少しなら大丈夫。」と酒を飲ませてしまった。

帰り、、、従業員が運転しようとすると・・
亭主が「大丈夫、俺が運転する・・」と言ってスタートしてしまった。

そこから1キロも行かない時に道を歩いていた若い女性を後方から跳ね飛ばしてしまった。

・・・・その瞬間から翌朝に亭主が逮捕されるまでの間の出来事は想像でしかないのですが、、、。

とにかく逃げたわけです。
事故があったのは午後の九時過ぎ・・・。

その後の彼らの証言は・・
運転していた亭主・・「何かに当った感じはしたが、人とは思わなかった」
嫁と従業員・・「お酒を呑んで熟睡していたので解らない。」

被害者やその家族だけじゃなく、関係の無い人から見ても、彼らの証言はふざけてるとしか思えない。

車のフロントガラスは半分近くひび割れている、それで何かに当ったと感じたら、一旦は停車するでしょ。
同乗者も、ものすごい衝撃と音がしたはずなのに、、、、寝ていたなんて誰が信じますか・・。

深夜に友人の修理工場に車を持って行った事じたいが、自分達がやってしまった事を理解している証拠でもあります。

被害者の救護をせずに、深夜に3人でどうやって自分達の罪を隠すか。
また、バレた時はいかに罪を軽くするかを話し合ったんでしょう。

運転していた亭主以外の嫁と従業員は、事故直後に停止して救急車を呼ぼうとしたのかも知れませんし。
逃げてからも「こんな事はいけない」と自首を勧めたのかも知れない・・。

ここまでは事実を基にした想像ですが、、、

事故後、被害者は意識が戻らない危険な状態が長く続いたが、奇跡的に意識が戻った。
その事が幸いして加害者は比較的短い期間の実刑ですんだ。

嫁と従業員は無罪という結果から・・。
ある意味、彼ら3人の深夜の話し合いは成功したと言う事になる。

ただ、社会の中で生活する嫁は
「瀕死の女性を放置したまま逃げて、知らなかったと嘘をついた女」として周りから見られるようになり孤独な人生を送ることになる。
被害者の女性がリハビリが出来るようになるまでには一年以上必要だった。
その間に毎日の様に謝罪に行き、最初は罵倒を浴びせていた被害者の親も
「もう、そんなに来なくて良いヨ」と言ってくれる様になったし、当の被害者からも許しの言葉をもらった。

そして、、、、、亭主と離婚して、他県に独りで引越しをした。

この時に、この元嫁から相談にのったんです。
結婚前に夜の街で働いていた時の明るい女の子の姿は何処にも無かった・・・。
心労からか体調も崩していた。

この事故の事を知った時から、づぅ~っと非難する気持ちを持っていましたが、相談を持ちかけられると乗ってしまう私です。

他県に引越しをして、仕事を探したのですが、そう簡単には見つからない。
結局、経験のあるスナック系の店で働く事に・・・。

事故の場所と引越しした場所と私が住んでいた場所は、それぞれ100Km以上離れています。
彼女は時々電話で近況を報告して来ました。

引越ししてから約一年後に私は彼女が働く店に行きました。
彼女は明るい笑顔で迎えてくれたので・・・良かったと思った。

しかし、その店のママさんが
「あんた(彼女)、、、そんなに笑えるじゃ。」とビックリしてた。
ママさんの話だと「暗い」と言うイメージしかなく、
それがハイテンションの他の女の子達と違って、店としてはOKだったそうです。

やはり、そのテンションも一瞬の出来事で、仕事が終わり彼女と話をすると「暗い」・・非常に「暗い」。

話を聞くと、この一年間に客以外で話しをしたのは母親とその日の私と2人だけだった。
私には軽いウツ状態に見えました。

やはり・・・・・
何か失敗をしたときは、全てを出し切って周りの評価を受け入れてから自分で考えないと道は開けない。

深夜に3人で相談して、事実を隠す事で罰は逃れ成功したかのように思えたが・・・
一番大切な自分の人生においては、その判断が大きな失敗をしたことになってしまった。

疑惑解明か・・・

2015-06-12 17:37:48 | 日記
ゴルフの練習場はだいたい同じ所にいくのですが・・
そこでほぼ毎回見かける人がいてるんです。

おなじ練習場に行く友人に、その人の話をすると・・
「ああ、あの人は毎日来てる。」

その人は70才手前位の人ですが、服装は若々しく何時もキレイにしています。
ただコーチが大好きなのか、その人のコーチを受ける人がいつも2~3人いっしょです。

練習場であ~だ、こぉ~だと言っているのはけっこう耳障りなんですが、まぁ年長者だし我慢してたんですが・・
ずぅ~っと喋りぱなしで自分の練習はしていない。

最初の疑問は・・
「あの人は家で話し相手が居ないのかな。」でした。

次の疑問が・・・
「あの人はゴルフに行ってるのだろうか・・・」
平日はほぼ毎日練習場にいてると言う事は、行くなら日曜日です。
しかし、メンバーでも日曜は割高、、、練習場にいてるのだから仕事もしていない感じだし・・・。

今日も練習場で会った。偶然ですが私の右隣から3人で、その真ん中にその人です。
例によって、前の人、後ろの人とコーチで忙しい。

私は休憩の時にその人達・・・いや、その人を見ていたのです。
年齢の割りに垢抜けした服装だし、ベルトや靴もおしゃれな感じです。
頭も、散髪をしたすぐの様にきれいに整っているし・・・・。

その瞬間、第3の疑問が・・・・
「あの生え際に全然毛が無い、後ろ側は線でも引いたように真っ直ぐだ。」

そこに気が付いてからは練習にならなかった。
「何か決定打を見つけなくちゃ」 もう私の視線はその人の頭に釘付けです。

私から一番遠い人にコーチを始めた、私からは後頭部が良く見える。
これは練習どころじゃない、ベンチに座って観察です。

首筋からの生え際はツルンツルンだ・・・怪しい。

そして、あるタイミングでその人が前かがみになった・・・・
その時、後ろの生え際から3cmのあたりが横に真っ直ぐ割れた

みぃ~つけた、、、ズラだ。