関西には地区が、そこそこ点在しています。
社会人となるとまでは直接的に関わる事が無かったのですが消費者金融会社に勤めてから。
ちょくちょく見聞きすることがd( ̄  ̄)
昭和50年代後半でした。
私が管理部門へ配属され、督促をしている傍ら隣のデスクの担当者が。
『なんで、ここの地域の、この属性で貸すんや!コケるに決まってるやろ!』とそこそこ大きな声でボヤいていたのです。
『コケる』→焦げ付くと解釈してください(^^;)
顧客台帳を見せてもらうと。
『大阪府◯◯市◯◯町って、コケる地域なんでさか?』何も知らない私が尋ねると。その担当者は
『ここは、や。』と一言。
『え?って??小学校の時••••』更に尋ねる私の声を遮りながら。
『全部とちゃうで。もちろん。この人の属性見てみ?』
住まいは団地。仕事は土木作業員、独身で両親と同居。
『たしかに高額は貸せませんけど、当時は他からの借り入れも少なかったし10万円くらいなら貸してしまうんちゃいますか?』と答える私。
すると担当者は
『ここは、結構、キツイとかなんや。本人さん見てないから、どうとも言えへんけど、まぁ、体良く断った方がいいとかやな。』
こんな会話は時々、出てました。
そんななか。
私の担当債権で大阪の中河内に位置する◯◯市に住んでいる債務者の女性が半年も延滞していながら全く入金がありませんでした。
『え?1円も?入ってないやん?』
まだ23歳の私。世間知らずもいいとこです。
督促記録を読んでみると?
『はぁ?自宅に行ったら、いつでも在宅してるやん?なんで入金ならんの?』
素朴な疑問d( ̄  ̄)
訪問決裁を取り中河内の延滞債権数件をピックアップ。もちろん、この女性の債権がメイン。
会社のリースカーを使い現地へ。
そこはJRの駅から近い場所でした。
周辺は少し昔ながらの家もあったり。
とある施設の近くに車を止めて女性宅へ。
辺りをみると。なんとなく雰囲気が(^^;)
その施設を見てみると
◯◯隣保館と書いてあり。
『?隣保館?ってなんなん?』と思いながらスルーしました。
女性の自宅は団地でした。
鉄の扉が🚪重く感じつつ呼鈴を押しましたが。
どうも音はしなく故障??
ノックを何度かすると?
『もう!うるさいなぁ。ちょっと待って!』
しゃがれた声が扉の向こうから聞こえて来ます。
ギー♩
扉🚪が開くなり『どちらさん?』
社名を名乗ると『あー。て?』
『で?じゃあらへんやろ?お金返してくれへんかなぁ。』まだ昭和50年後半。回収に丁寧語は使いませんでした。だって?一年も払わん人です。
『ない!ない!帰って!』
人を追っ払うような手振りをしながら扉🚪を閉めようとするので
間に靴の先を入れ扉が閉まらないようにしたのです。こういう時のために頑丈なリーガルの靴を履いてました(^。^)
『足、引っ込めや!思いっきり閉めるで!ええな!』声を荒げた中年女性は、ほんま、なんとも言えない。化粧もせず髪もバサバサで白髪混じりな姿は、まるて砂かけ婆d( ̄  ̄)
『おー、閉めてみぃや!骨折したら慰謝料請求するしな。』相手は女性ですから。凄むわけにもいきません。
『慰謝料??あんた何を眠たいく事を言うてんの?ここ、どこやと思って、その口、叩いてるんんや?後で、ゴタついたら困るんわ、あんたやでー!』偉く強気のおばさん。
『は?どこやろ?わからんなぁ。』と惚けて私が言うと『ホンマにわからんのか?ここはムラナカやで!今から、あんたの会社の店長さんに電話したるさかい待っとき!』
しばらくして。おばさん、本当に支店の店長へ連絡したんです。
電話を変わると。
『あ、Y君か。すまんな。変な債権をセンターに移管して。そこはな、いわゆる地区や。もう、そこから帰りや。そこの人ら怒らしたらあかん。支店に怒鳴り込んでくるかも分からんし。帰ってくれるか。』
私は支店長の言う意味を漸く知ることとなり『◯◯さん。理由はわかったけど。まぁ帰りますワ。』
そのおばさん、私が階段を降りていく後姿に大きな声で何やら罵声を浴びせてましたが聞く耳を持たず後にしたのです。
その債権はセンターから損金扱いとなり管理部へと移管されたのです。
その経験から少しずつですが。
持ってはいけまさんが。
私の心の中で、どこか、偏見が生まれてきたのが事実です。
小学校の頃
被差別の方は差別と偏見を受け
結婚や就職すら出来ない人も多くいて可哀想だと。人はみな平等なのに。
そう思っていましたが。
だんだんと。
心の変化に気づいていったのです。
社会人となるとまでは直接的に関わる事が無かったのですが消費者金融会社に勤めてから。
ちょくちょく見聞きすることがd( ̄  ̄)
昭和50年代後半でした。
私が管理部門へ配属され、督促をしている傍ら隣のデスクの担当者が。
『なんで、ここの地域の、この属性で貸すんや!コケるに決まってるやろ!』とそこそこ大きな声でボヤいていたのです。
『コケる』→焦げ付くと解釈してください(^^;)
顧客台帳を見せてもらうと。
『大阪府◯◯市◯◯町って、コケる地域なんでさか?』何も知らない私が尋ねると。その担当者は
『ここは、や。』と一言。
『え?って??小学校の時••••』更に尋ねる私の声を遮りながら。
『全部とちゃうで。もちろん。この人の属性見てみ?』
住まいは団地。仕事は土木作業員、独身で両親と同居。
『たしかに高額は貸せませんけど、当時は他からの借り入れも少なかったし10万円くらいなら貸してしまうんちゃいますか?』と答える私。
すると担当者は
『ここは、結構、キツイとかなんや。本人さん見てないから、どうとも言えへんけど、まぁ、体良く断った方がいいとかやな。』
こんな会話は時々、出てました。
そんななか。
私の担当債権で大阪の中河内に位置する◯◯市に住んでいる債務者の女性が半年も延滞していながら全く入金がありませんでした。
『え?1円も?入ってないやん?』
まだ23歳の私。世間知らずもいいとこです。
督促記録を読んでみると?
『はぁ?自宅に行ったら、いつでも在宅してるやん?なんで入金ならんの?』
素朴な疑問d( ̄  ̄)
訪問決裁を取り中河内の延滞債権数件をピックアップ。もちろん、この女性の債権がメイン。
会社のリースカーを使い現地へ。
そこはJRの駅から近い場所でした。
周辺は少し昔ながらの家もあったり。
とある施設の近くに車を止めて女性宅へ。
辺りをみると。なんとなく雰囲気が(^^;)
その施設を見てみると
◯◯隣保館と書いてあり。
『?隣保館?ってなんなん?』と思いながらスルーしました。
女性の自宅は団地でした。
鉄の扉が🚪重く感じつつ呼鈴を押しましたが。
どうも音はしなく故障??
ノックを何度かすると?
『もう!うるさいなぁ。ちょっと待って!』
しゃがれた声が扉の向こうから聞こえて来ます。
ギー♩
扉🚪が開くなり『どちらさん?』
社名を名乗ると『あー。て?』
『で?じゃあらへんやろ?お金返してくれへんかなぁ。』まだ昭和50年後半。回収に丁寧語は使いませんでした。だって?一年も払わん人です。
『ない!ない!帰って!』
人を追っ払うような手振りをしながら扉🚪を閉めようとするので
間に靴の先を入れ扉が閉まらないようにしたのです。こういう時のために頑丈なリーガルの靴を履いてました(^。^)
『足、引っ込めや!思いっきり閉めるで!ええな!』声を荒げた中年女性は、ほんま、なんとも言えない。化粧もせず髪もバサバサで白髪混じりな姿は、まるて砂かけ婆d( ̄  ̄)
『おー、閉めてみぃや!骨折したら慰謝料請求するしな。』相手は女性ですから。凄むわけにもいきません。
『慰謝料??あんた何を眠たいく事を言うてんの?ここ、どこやと思って、その口、叩いてるんんや?後で、ゴタついたら困るんわ、あんたやでー!』偉く強気のおばさん。
『は?どこやろ?わからんなぁ。』と惚けて私が言うと『ホンマにわからんのか?ここはムラナカやで!今から、あんたの会社の店長さんに電話したるさかい待っとき!』
しばらくして。おばさん、本当に支店の店長へ連絡したんです。
電話を変わると。
『あ、Y君か。すまんな。変な債権をセンターに移管して。そこはな、いわゆる地区や。もう、そこから帰りや。そこの人ら怒らしたらあかん。支店に怒鳴り込んでくるかも分からんし。帰ってくれるか。』
私は支店長の言う意味を漸く知ることとなり『◯◯さん。理由はわかったけど。まぁ帰りますワ。』
そのおばさん、私が階段を降りていく後姿に大きな声で何やら罵声を浴びせてましたが聞く耳を持たず後にしたのです。
その債権はセンターから損金扱いとなり管理部へと移管されたのです。
その経験から少しずつですが。
持ってはいけまさんが。
私の心の中で、どこか、偏見が生まれてきたのが事実です。
小学校の頃
被差別の方は差別と偏見を受け
結婚や就職すら出来ない人も多くいて可哀想だと。人はみな平等なのに。
そう思っていましたが。
だんだんと。
心の変化に気づいていったのです。
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