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脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

自分のルーツは?( ̄^ ̄)

2018年07月24日 13時27分07秒 | 差別と偏見
私の父は滋賀県の出身。
大阪へ調理師の板前になるためやってきたらしいのですが。
父の事は未だあまりよく分かりません。

ただ。
パズルを作るように一つ一つ。あてはめていくと
もしかしたら?と最近、思っていたり。

母は東京出身の東京育ち。
出自も明確なのですが。
東京の人は地区すら知らない人が多いですが特に当時は地区より在日への偏見が強く。
父が母を嫁にください。と母の両親に申し出たとき、祖母は『日本人なのかい?』
第一声がそれだったことを亡くなった母から聞いたことがあります。
母は未子なので結婚相手に特に、祖母も祖父も煩く無かったらしく。
根っからの江戸っ子の祖父は父が握った寿司を食べて『いいじゃねぇか。』と一言で母と父の結婚を認めたそうです。
父の出自など無関係みたい。
祖母も『日本人かい?日本人ならいいよ。』と。

明治生まれの祖父母の時代は特に在日朝鮮人に対する差別意識が強かったようです。

それは関西も同じですが関西には地区への差別と偏見が強く残っています。

私が小学校一年生の時。
大阪市城東区のアパートから団地へ引っ越しましたが。今から思うと、どうも変な団地でした。

両親は四畳半一間で風呂もトイレも部屋にはなかった場所からトイレ🚽があり2DKの広さに満足気でした。
まだ少年のわたしには分からない世界だったのかも知れません。

『ここに越してきたけど。レベルが低いところやから、またいつか引っ越しするからな。』
父は、どんな意味を含めて言ったのか?それは謎です。既に他界してますし。

その団地は当時は東住吉区内でしたが、やがて平野区と区が変更されています。

いわゆる市営住宅_:(´ཀ`」 ∠):

大人になり。
やっと分かったこと。
もしかしたら?
そんな事を心に持ちながら一度、父にそれとなく
『今、学校で差別について道徳の時間にな話し合いしてんねん。』と言うと
父は『そうか。』とだけ。
腑に落ちない日が続き
ある日、父の友人が遊びに来たときに同じ事を言うと、父の友人が私の言った何が気に入らなかったのか激怒したのです。
父が『まぁまぁ。子供が失礼な事言うてすまんな。許したってくれや。』とその場は治ったものの。未だに何故?父の友人が激怒したのか分かりません。

そんなこんな。振り返って振り返ってみると。
もしかしたら。

私は脳出血で入院中から色々とネットで調べていたのです。
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