旅行3日目の今日は曇りときどき晴れ。今朝は5時に起床した。障子を開けて窓の外を見ると、上空には青空が広がっていて、薄い雲がたなびくように浮かんでいる。今朝の気温は21℃で湿度が高く、北よりの風が吹いている。空気がシメシメとしていて、少し蒸すような陽気である。
昨夜は疲れて泥のように寝たこともあって、今日はいくらか気分がいい。目が覚めると、朝風呂に入るため、ホテルの露天風呂に浸かって顔を洗った。目が覚めたところで、部屋に帰ってくると、今日の予定を確認する。今日はしまなみ海道の途中にある大三島に行くことにしている。ホテルの朝食を食べると、さっそく外出することにした。
ホテルから送迎のバスで道後温泉駅まで運んでもらう。
道後温泉駅の前にはからくり時計とその隣に足湯がある。
道後温泉駅から伊予鉄松山市内線に乗ってJR松山駅に到着した。ここから特急しおかぜで今治に向かう。
ちなみに特急しおかぜは特急いしづちと連結している。先頭車は特急いしづちである。
途中、宇多津駅で特急いしづちは高松に、特急しおかぜは岡山に向かうのである。
今治駅に到着したのは9時56分である。
ここで、路線バスに乗り換えて、大山祇神社に向かう。大山祇神社は瀬戸内海に浮かぶ大三島にある。今治駅から大山祇神社までは約50分ほどの行程である。
大山祇神社前のバス停で降りると、大山祇神社の境内に向かった。
日中は雲が多いながらも晴れて、雲を透かすように青空が見えている。昼間の最高気温は30℃をわずかに下回って真夏日とはならなかったものの、湿度が高く、西よりの風が吹いている。日射しが燦々と照りつけていて、かなり蒸し暑い陽気となったものの、境内は海から吹いてくる風が爽やかに思われて、清々しいほどに感じられた。
鳥居をくぐり、太鼓橋を渡ると、総門・翼舎がある。
総門をくぐると、まぶしいほどに照りつける陽光を受けて、白く光り輝いているような参道が神門に向かって延びていた。
手水舎の前に大楠が植わっている。この大楠に脇に立てられた立て札には「天然記念物『乎知命(おちのみこと)御手植の楠』」と書かれていた。説明文によれば、御島(大三島)に祖神大山積大神を祭った乎知命の御手植楠(樹齢2600年)と伝えられ、古来御神木として崇められている、とのこと。
手水舎で手指と口を清めて階段を登る。階段を登り切ったところに、神門がある。
神門をくぐると、正面に拝殿が見えた。
大山祇神社の御祭神は大山積大神である。天照大神の兄神で、天孫瓊瓊杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫の父にあたる。山の神であると同時に大海原の神、渡航の神とされ、また日本民族の総氏神として、古来日本総鎮守とされている。
拝殿で参拝の後、神符授与所で御朱印をもらう。境内は静寂で、燦々と降り注ぐ日射しが肌を焦がすように熱く感じられる。日陰に入ると、風が涼しくて気持ちよい。
隣接する宝物館・海事博物館に行ってみる。
宝物館には国宝8点、重要文化財682点にも及ぶ武具類が保存展示されている。平安時代から戦国時代までの甲冑や刀剣類、鏡などが展示されていた。また海事博物館には昭和天皇の海洋生物学研究のための御採取船「葉山丸」の他、動植物の標本、鉱石類が展示されている。
大山祇神社の裏手の山には奥の院がある。大山祇神社の境内を出て、案内にしたがって300mほど歩いて行くと、「生樹の御門」と呼ばれる天然記念物の楠の巨樹がある。樹齢三千年と言われる老楠は根回り31mにも及び、真中が自然の洞をなし、奥の院参拝の通路となっている。
「生樹の御門」をくぐると、空気が変わったように感じられた。木々のパワーというか、とても清々しく、そして爽やかな一陣の風が吹いたように思われた。
奥の院(元神宮寺)は「生樹の御門」から30mほど進んだところにある。小さな堂内には阿弥陀如来が祭られているとのこと。
参拝を済ませると、再び「生樹の御門」をくぐって大山祇神社の境内に戻った。
大山祇神社を参拝した後は、島内のタクシーを呼んで、道の駅 多々羅しまなみ公園に向かった。大山祇神社と道の駅 多々羅しまなみ公園は島を挟んで反対側にある。公園からは世界一の吊り橋である多々羅大橋が望めるほか、瀬戸内海の海が一望できた。
公園の展望台に昇ってみる。展望台からは大三島と多々羅大橋が見渡せる。
対岸には生口島や岩城島、伯方島があって、船が進んでいくのが見えた。
しばらく海を眺めた後は、再び今治に戻る。今治へはちょうどよい時刻のバス便がなかったので、タクシー会社に連絡して、今治まで運んでもらった。多々羅しまなみ公園からJR今治駅まではタクシーで1万円余かかった。時間は30分程度で、かなり急いでもらったようだ。今治駅からは特急で松山駅に戻った。
JR松山駅から伊予鉄松山市内線に乗って道後温泉駅に着いたのは午後6時過ぎである。
それからホテルに直行し、夕食を食べて風呂に入った。1日の汗を流すと、すっきりした気分である。