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『毛皮を着たヴィーナス』呼吸

2019-09-16 00:19:04 | DQX毛皮を着たヴィーナス

初回

DQX毛皮を着たヴィーナス

前回

『毛皮を着たヴィーナス』獣小屋

 <呼吸>

 悪夢に満ち、熱にうかされた一夜がすぎた。わたしは幸福のなかで目をさました。

 彼女は二階のバルコニーからわたしを呼んだ。わたしは急いで階段をのぼっていくと、彼女は入り口のところでわたしをむかえて、

「わたし、自分で自分が恥ずかしくなったわ」

「なぜですか?」

「きのうの、あんなひどい面のことを忘れてしまってくださいな」

 と、彼女はふるえ声でいった。そして、

「あなたのお望みはかなえてあげたんですから、理性にかえって幸福に愛し合って募らしましょうよ。一年以内には、きっとあなたの奥さんになってあげるわ」

「ご主人様、ボクはあなたの奴隷です」

「奴隷とか、残酷とか、ムチとかではなしに、別の言葉はないかしら?そんな言葉は、もう許しません。ただ、わたしが毛皮のジャケットを着ることだけは別よ。さあ、こっちへいって毛皮を着るのをてつだって!」

 こうして一日を楽しいおしゃべりのうちにすごし、やがて暖炉のうえの、キューピッドが弓に矢をつがえて引きしぼった姿の置き時計が、真夜中の時刻を示した。

「さあ、帰ります」

 わたしが立ちかけると、彼女は有無をいわせずわたしを抱擁して、長椅子のうえに引きもどした。そしてわたしの唇に接吻の雨をふらせた。その沈黙の言葉は、すべてを暗示してくれた。わたしの腕のなかに身をまかせきった彼女の五体には、ものいう色がみなぎった。赤と白の繻子の服のなかに、いい香りのする貂の毛皮のなかに、なんともいえないほど強くやわらかく欲情をそそるものがあった。

「お願いです・・・・・」

 とわたしはいいよどんだ。

「なんでも、お好きなように」

 彼女は色っぽくささやいた。

「わたしをムチ打ってください。そうでないと、ボクは気が狂いそうです!」

「それは、もう禁制よ」

 と彼女はいって、わたしのぐうたらをきびしくたしなめた。

「ボクは、あなたを死ぬほど恋慕しているのです」

 わたしは彼女のふくよかな膝の間に顔を埋めた。

「あなたの狂気ぶりは、悪魔にとりつかれて満足を知らない欲情のしわざよ。あなたが、節操のない男だったら、もっと立派に正気でいられたでしょうに」

「それなら、ボクを正気にさせてください」

 わたしは彼女の長い髪の毛の間に手を入れて、ふるえながら毛皮の一端をもてあそんだ。わたしは彼女を抱きしめて接吻した。いや、彼女がわたしをせめ殺しでもするかのように野蛮に、無慈悲に、強烈に接吻した。わたしは息がつまりそうになったので、身を引こうとした。

「どうしたの?」

「苦しんでいらっしゃるの?」

 彼女は、にわかにたのしそうに高笑いした。

「笑っているのですね」

「そうよ」

 彼女は厳粛な表情になって、両手でわたしの頭を起こすと、乱暴な身ぶりでわたしのからだをしっかりと抱いて、胸のあたりに引きつけた。

「ヴァンダ!ああ・・・・・」

「あなたは苦痛をたのしんでいるのね。ちょっと待ってらっしゃい。じきに正気にしてあげるから」

 彼女は殺人を犯しかねない残酷な唇で、ものすごくわたしの唇を吸った。わたしは彼女の貂の毛皮を左右にひらいた。彼女の玉の肌の胸、美しい乳房がわたしの腕のうえで、大きく波打った。

 わたしは理性を失った。気がついてみると、わたしの手から血汐がたれていた。

「あなた、わたしをひっかいたのね?」

「いいや、ボクはたしかに、あなたのどこかを噛んだはずです」

 こうした状態になってから、わたしと彼女とはすばらしい日々を送るようになった。山や湖を訪れ、いっしょに本を読み、わたしは彼女の肖像を描いた。彼女の微笑した顔はなんと美しかったことか!

 だがそれもつかの間で、彼女の親友のひとりがこの山荘へたずねてきたので、事情は一変してしまった。

その女は彼女よりもいくらか年上で、夫と別居して、彼女といっしょに住むようになったからだ。

 わたしと彼女がこれまでのように水入らずになれず、しかも彼女とその女とが数名の男たちの一団に取りまかれるようになっては、わたしにはたえきれない抑圧になった。彼女はわたしを、まるでよそ者のように扱いはじめた。

 今日も散歩の途中、彼女はふとわたしをかえりみて、

「わたしのお友達のあの方はね、わたしがあなたを愛している理由がわからないというのよ。男前がいいわけでもないし、特別に魅力があるわけでもないのにと、思っているらしいわ。そして朝から晩まで、都会のはなやかな生活の魔力、すばらしい社交界のことなどをほのめかしているのよ。でも、あなたを愛しているわたしにとって、そんなものは、一体なにになるかしら?」

 わたしは一瞬、息がとまる思いがした。

「ボクは、あなたの幸福の邪魔をしようなどとは思っていません、ヴァンダ!」

 その散歩の帰り道、わたしがまた彼女のそばに寄ると、彼女はそっとわたしの手を握った。彼女のまなざしが晴れやかで、幸福の期待に満ちていたので、わたしはたちまち日ごろの苦しみを忘れてしまった。

 次回

『毛皮を着たヴィーナス』あらくれ

 


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