母は耳が遠くなり、脳出血発症後、周囲への関心が低下、興味の幅も狭くなった。
たとえばテレビ視聴。これまで、時代劇、歌番組、大相撲などが好きだった。
一人でいることは好まないが、食事をする部屋のテレビの音声はよく聞こえない。
すぐに居間に連れて行けという。ここはテレビが母のすぐ脇にあるので、
音声が比較的よく聞こえる。当然私はそばにはべっている。体が痒い、目薬をさせ、
トイレ、などなど私をこき使う。最近までテレビにはあまり関心を持たなかったので、
USENの、私の好きな音楽を聴いていても大丈夫だった。
もっとも、このUSENは、母に昭和の歌を聞かせるために導入したものなので、
これを書いている今は、“美空ひばり”にチャンネルを合わせている。
ところが、最近小さな変化があった。夏の間外に散歩に出ることが減ったせいか、
部屋にいることに飽きたのか、テレビのリモコンを自分で動かすようになった。
あちこち回し、これといった好きな番組もないのだが、気になる事態に立ち至った。
私はけっして選ばない番組で選曲動作がとまるのだ。
耳を塞ぎたいほど嫌でも、部屋を出て行くわけには行かないのが、大矛盾だ。
母が選んだ番組ならば、優先し、肯定し、尊重しなければならない。
だが、私の取捨選択は押さえ込み、自由は制限され、憤懣は鬱積し、苛立つ。
これを大矛盾といわなくて何といえば良いのか。
時々は、雑音を低減する機能を持つヘッドフォンをつけ、ベンチャーズなどを聴く。
台所に行くと、やはり聞きづらいラジオ番組(午後のまりやーじゅ)が流れている。
よく?働く介護担当粗大ゴミは、居場所がない。
母の就寝後は自由時間だが、その頃には、アルコールの影響で私も眠くなってくる。
ぜいたくな戯言だと言われそうだが…