南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

スポーツ選手のインタビュー

2008-03-29 22:48:18 | Weblog
大相撲の大阪場所と入れ替わるように、プロ野球が開幕してスポーツ番組も賑やかになってきた。
今年は、大気汚染が激しく進みギョーザを口にするにはちとばかし覚悟がいる隣国でオリンピックも開催されるわけで、スポーツ番組花盛りの年になりそうである。
そこで登場するのがいろんな選手へのインタビューである。
大相撲の力士のインタビューで聴かれるのが「一番一番大切に」という定番の答えであるが、これは相撲協会から指示されたかのようにどの力士も必ず口にするようになっている。
相撲は他のスポーツと違ってよけいな言葉でインタビューで応えるのは御法度になっている。
間違っても巨人の阿部選手の専売特許というか馬鹿の一丁覚えの「最高です!」なんて雄叫びは上げてはいけない。
「わしは大阪がほんまに大好きやでー!」みたいにガッツポーズ混じりのコメントをたれたりすると本来なら夫婦漫才相方の内舘牧子氏の「もうええわ!」の突っ込みがあってもおかしくはない場面だった。
その昔、取り組みが終わったばかりで荒々しい息づかいで言葉にもならないような力士へのインタビュー時の声を録音したものをラジオの面白下ネタに使っていたのを思い出すが、あれは笑えた。
ラジオだから成せるワザなのであろうが最後の「決まり手はモロ出し」という所は最高だった。
野球選手のインタビューはどのような質問がなされようと必ずまず「そうですね」から始まるようになっている。
野球選手に限らず他のスポーツ選手のほとんどがこの「そんですね」は避けられない言葉になっている。 
質問との脈略がつながれば問題はないのだけど、聞いていて今の「そうですね」は何の意味だったん?というのがたまにある。
「あそこの場面では最初からホームランを狙いにいったのですか?」
「そうですね、ホームランは狙ってたわけじゃなかったんですがね。」
普通、ホームラン狙ってなかったら「そうですね」じゃなくて「そうじゃないです」が正しい日本語のはず。
ということは野球選手の「そうですね」にはほとんど意味はなく「えー」とか高橋尚子の専売特許である「あのー」とかのひとつのアクセントととらえるのが正解かもしれない。
インタビュー時の癖といえば、自分のコメントの最後に「ハイ」をつける人がいるが、あれは素人心理学的に考えるならたぶんちょっとした会話の間を嫌う場合に出る言葉じゃないかと思う。
言う必要ないのに言葉の最後に「はい」を付けることで、こんなもんですかねと勝手にインタビューを仕切る態度にも見えることもある。
ヤンキースの松井選手はこの「ハイ」の代わりに必ず口を一の字に固く引き締める仕草を見せるが、今日のニュースで松井選手の父が息子の結婚へのインタビューを受けている口元は松井選手のそれと全く同じだった。

今年もスポーツ選手のいろいろな感動のインタビュー聞かれると思うが、個人的に期待していたのは桑田真澄選手のパイレーツでのインタビューだっただけに、桑田引退のニュースはやはり寂しかった。 
その分、風貌的に翁のようになってしまった清原の復活インタビューに期待するしかない。
清原がみごと復活を遂げ、インタビューで「わしはほんまに野球が好きやで!」と大阪弁で雄叫びを上げる分には全く問題はないし、むしろ感動すると思う。



新聞記事のレベル

2008-03-22 20:21:59 | Weblog
新聞に載ればどんな記事でも信じてしまいがちである。
特に真実を曲げて書くというより、読者の意識を狙い通りの方向に持って行こうとその立場を利用して書いてる記事に多く出くわすことがある。

今日もある全国紙に掲載された記事を読んで感じた。
保険業法の改正によりある任意共済が保険会社に転身するらしいが、その会社がMLMという販売手法を採用しているために保険会社の認定を受けるためにMLMという販売手法を採用しないという記事であった。 
ところが書かれている記事にはマルチだのマルチまがいだの、はたまたねずみ講の話を持ち出し、あたかもその会社がそうであるかのような錯覚を誘うような記事の仕立てになっていた。 
れっきとした販売手法であるMLMをいまだにねずみ講かなんかと区別が付かない知識の低さにもあきれて読んだが、何より莫大な広告費をマスコミ業界に落とす従来の生保の肩を持つ意識操作記事としての小ざかしさが目に付いた。
こんな記事書くくらいなら金融庁から認定された生保がどれほどの不払いをやってのけているかでも特集したらいい。
その昔、サンゴを自ら傷つけた捏造記事が明るみに出た新聞社もあったが、新聞に載っているからといってそれが真実とは限らないし、読者を操作できると思い上がった考えはそろそろ改めた方がいいかもしれない。

今朝ふと目に止まった記事を読みながら途中馬鹿らしくなって記事を読んでいた。
たぶんこの大手共済会社が保険会社に転身してMLMを使わずに従来の生保みたいにちゃんと上納金としての広告料を払うようになれば手のひら返したように態度をかえるのがこういったレベルの低い記事を書く新聞社である。

大相撲が面白い

2008-03-22 19:43:09 | Weblog
今場所の大相撲は特に面白い。
いよいよ明日の千秋楽は白鵬と朝青龍との横綱相星対決で優勝が決まる。
最近は朝青龍のいろんな騒動や暴力事件などで揺れていた相撲界だったが、やはり大相撲は我々日本人にとってはなくてはならないスポーツであり、国技である。
今場所中はほとんど毎日テレビ観戦しているせいで、毎日会場に観に来ているお客さんの顔も覚えてしまった。
有名人では料理の神田川さんはよく来ていたな。
大村昆さんも度々見かける。
元NHKアナウンサーの杉山さんは皆勤賞もので、座る位置まで毎日同じという凄さ。
力士が勝ち名乗りを受け、懸賞金を受け取る時の画面の後ろには必ずあの眼鏡で無表情の杉山さんの顔が不思議なくらい写るが、あれは最初から計算してあの場所に座っているんじゃなかろうかと疑いたくなる完璧さである。
素人さんでは着物姿のきれいどころのお姉さん方も毎日来ている人がいる。
それと気になったのは土俵前に団体で陣取っている茶色のチャンチャンコの集団、いったいあの人たちは何者?
彼らのせいで土俵前に色が茶色一色に染まり妙に気になっている。
長崎くんちにも白や青のハッピを着た集団「白トッポ組」「青トッポ組」という人たちがいて、観客席の最前列に陣取るのであるが、その一種なのか定かではない。

力士にもいろんな人がいるが特徴的なのは豊真将の礼儀のよさだ。
勝っても負けてもあのお辞儀の仕方は好感が持てる。
ちょうど柔道界の棟田選手のお辞儀にも匹敵するものがあるが、お相撲さんも何かひとつ他の力士と違う特長を持っていると人気が出てくると思う。
その意味では高見盛のタレント性は抜群の人気を誇り、あのパフォーマンスが観たくて会場に足を運ぶ人もいる。
彼は勝っても負けても必ず通路で付き人にさっきの一番について語り始めるが、その話をほとんど聞き流している付き人の表情がおかしくてたまらない。
正に右から左に上手に聞き流す「ムーディー付き人」である。

たまに土俵審判として座っている貴乃花親方の顔がテレビに映ったりすると、「僕ねー、あのねぇぇー」というバナナマン日村の顔が何故か浮かんでしまうし、親方自身はあのモノマネをどう思ってるんだろうかと一度聞いてみたいところだ。

明日は白鵬か朝青龍のどちらかが優勝して表彰を受けることになるが、表彰式はいまだにパンアメリカン航空のあの外人さんの「ヒョーショージョー」という話し方が忘れられず、つい思い出してしまう。
あの外人さんほどに印象を残した人はいなかったな。
そしてお決まりはカップを持ちきれずにフラフラするのが毎回会場の笑いを誘ったものだった。
明日の表彰式ではどちらが優勝してもモンゴル人ではあるが、彼らは2人とも本当に日本語がうまいしたいしたものだ。
アグネス・チャンやケイン・コスギはたぶん50年日本にいても彼らの域には達しきれないかもしれないね。
とのかく明日のヒョーショージョーの行方が楽しみな大相撲である。







ご機嫌な音楽

2008-03-11 21:13:00 | Weblog
たまたまFMラジオで聴いた歌が強烈に胸を打った。
歌声といい、曲調といい、曲全体から感じるフィーリングが完全に僕のつぼにはまった。
歌っていたのは中山うり。
シンガーソングライターでアコーディオンを弾きながら歌うし、トランペットも吹く。ジャンル的には一応JAZZ。
ラジオで聴いた歌は「夏祭り鮮やかに」という歌で、今年公開される映画「あの空を覚えてる」の挿入歌にもなっている。
ラジオを聴いた後はすぐさまネットで彼女の他の曲も聴いてみたらどれここれも最高にご機嫌な歌の数々。
即ダウンロードしてオリジナルCDを作り上げ大満足しているところである。
昨今、日本の音楽界にもいろいろなミュージシャンが出てきているが、近年まれにみる衝撃に僕の心は打ちのめされかけている。
こういう逸材はへたにメジャーになり過ぎてそこいらへんの芸能人扱いされることがないように祈りたいものである。
早速5月には中山うりのライブを聴きに行くことに決めたし、今から非常に楽しみである。


とんだ校長(好超)先生

2008-03-10 21:23:20 | Weblog
卒業シーズの今、とんでもないニュースが流れた。
こともあろうに埼玉県川口市の市立川口高校校長がやらかしたストーカーというか異常なエロ事件。
校長室から業務中に脅迫メールを送ってたというから、校長ってよっぽどすることなくて暇な管理職なのかなと思ってしまった。
だいたい学校内で校長だけが個室があるってのが良くない。
一般の教員だったら後ろからメールを盗み見でもされる危険性はあるが、個室の校長なら何でもありってもんだ。
企業の社長じゃあるまいし、個室を持たせるのがおかしい。
「二度とこのようなことが起こらないように最善を尽くす」という教育委員会の言葉が単なる社交辞令じゃないなら、今後エロの巣窟になりかねない校長室を全面撤廃するくらいしないとその言葉は鵜呑みにはできない。
一般の先生方と同じ職員室じゃ何故いけないのか理由が知りたい。
逮捕されたこの好超先生、前日の卒業式ではりっぱな訓辞をたれていた。
それはそれは素晴らしい卒業式だったらしい。
しかし事件が発覚したと今となっては卒業生はかわいそうな被害者である。
3年間の集大成として授与された輝かしい卒業証書にはこともあろうにこの好超先生の名前が記されているのだ。
おまけに高い金出して買った一生の思い出になる卒業アルバムの巻頭を飾るのはこのエロ校長の大きな写真とくれば泣くに泣けない。
「悲しいことがあると開く皮の表紙、卒業写真のあの人は・・・とんでもないエロ校長だったー」
今日は生徒を集めてナンバー2の教頭先生が学校を代表して謝罪したらしいが、「ゴメンネ」では済まされない。
少なくとも卒業証書の再発行と、卒業アルバムの再発行は全額学校側の負担ですぐに行うのが筋ってものである。
あんな男が薄ら笑いする写真の載った卒業アルバム誰がいるかい!くらいの気持ちを察しきれなかったら先生たちも終わりだ。
それを実行したとしても生徒たちの心の傷はそう簡単には癒えるものではない。
学校では生徒の心のケアを始めるそうだが、それが一番危ない。
相談にのる先生たちこそ今の世の中疑ってかからなければならない。
絶対生徒ひとりではケア相談を受けさせてはならない。
親が必ず同席するか複数で受けなければ今回の事件の二の舞にならないとは限らないのだ。
今回の報道を見た全国の同類のエロ校長先生は早めに校長室のメールは削除したり、自分のロッカー室にしまい込んでいる卒業生のセーラー服の数々は処分しとかないといけないと密かに動き出しているに違いない。
そんな校長先生方も4月の入学式では善人の顔被ってそれはそれはりっぱなお話をして下さることになっている。