南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

ゴルフと焼肉

2007-10-30 11:32:58 | Weblog
守屋氏は10年に渡り200回を超えるゴルフの接待を受けていた。
ということは自分で行った回数を入れると相当な回数のゴルフをしているはず。
その中ではゴルフに金を賭けてギャンブルとして行う「ニギリ」も当然やっていたのだろうが、昨日の証人喚問では「ニギリ」はやったのかやらなかったのかの質問は一切なかった。
あれだけの連中がゴルフをスポーツとしてただ馬鹿みたいに楽しむわけがない。
ニギリ、ニギラレ、多くの金の臭いを味わうから続けてきたはずだ。
守屋氏は山田の宮崎氏以外にもそれは多くの方々とゴルフをしてきただろうし、その他の接待も受けてきたにちがいない。
しかし、何で接待とか便宜供与、癒着とかには必ずゴルフなんだろうか。
一応ゴルフもスポーツの部類には入るとは思うが、何にもしらない子供たちから見ればゴルフというのは悪い大人たちがやる悪い遊びにしか思えないかもしれない。
お金が絡んだものごとを勧める時の手段、部下たちが命を賭けて働いている時に現を抜かして興じるもの、その費用は自分では払わず人に払わせるものぐらいの認識を持ちかねない。

ゴルフの大会では素晴らしいプレーに併せて必ず賞金の話が付いてくる。
誰々が今回の賞金をいくら稼いだ、現在の賞金女王は誰で、横峰さくらが1億円を越したとか、とかく金での表現が確かに多い。
有名選手が今日いくら賞金を取ったとか聞いても貧困に喘ぐ層の一般庶民にとっては自分だけが食べてきた美味しいご馳走の話を目の前でとくとくと聞かされるようなもんである。
凄いプレーには興味はあっても、その人の賞金額なんて全くどうでもいい話である。
そんなところからもゴルフには金のイメージが強いのかもしれない。

今回の守屋氏もゴルフばかりじゃなくて宮崎氏から卓球の接待や陸上競技の接待、はたまたサッカーなどの接待でも受けていればこんなことにはならなかったのに。
それにそんなにゴルフが好きなら、いっそのことプロゴルファーにでも転向すればいいのにと思う。
そうすれば飯より好きなゴルフを朝から晩まで毎日やれるし、誰も文句は言わないと思う。
小林旭だってドンビリでもプロとしてゴルフに賭けてるんだから今からでも遅くないしやってみるべきだ。

ゴルフの他に食事接待も必ず焼肉が出てくる。
男女の間でも焼肉を食べに行くとうことはただならぬ関係という表現をされるわけだし、便宜供与接待の王道を行ったということになる。
高級焼肉からの以上摂取とも思われる脂質からか、守屋氏も見るからにメタボ状態である。

巷では石川僚クンがゴルフ人気を上げているところだが、その一方で守屋クンがゴルフのダーティーなイメージを牽引している。
いつの日か石川と守屋のプレイオフが見られるようなことになるのだろうか。
もちろんその時のキャディは宮崎氏がつとめる姿が目に浮かぶ。
正にこれが守屋氏と宮崎氏の未来予想図ならぬミライズかもしれない。





今どきの坊主頭

2007-10-27 22:53:44 | Weblog
最近は坊主頭もひとつのファッションになっている。
その証拠に芸能人でも坊主頭が売りの連中も多い。
ダウンタウンの松本、タカアンドトシのトシ、えなりかずき、品川庄司の品川、日本ハムの森本と結構いるものである。
最近のフレッシュマンには真新しいスーツに坊主頭という格好も珍しくない。
NYあたりのゲイは坊主頭のイメージがあるし、ヘアーメイクアーチストにも坊主頭が多い。 
一昔前までは田舎の中学生といった頭髪のイメージが強かった坊主頭もその概念は完全に変わった。 
それこそ侘びを入れる時に「頭を丸めて」なんて考えはもう通用しなくなりつつある。 

ご存知亀田家の謝罪会見でも丸刈りにした亀田興毅がこれに臨んでいたが、これにしたって「わーっ!頭まで丸めて心から反省しているんだ」というインパクトは全くない。
それに亀田興毅の方は最近は既に坊主頭だったし、現に反則の指示もあの坊主頭で出している。
しかし昨日の謝罪会見は一連の生命保険会社の保険金支払い詐欺が発覚して会見を開いた生保社長たちよりかはまだ誠意を感じた。 
彼らこそ逮捕は逃れたんだから、せめて全員頭くらい丸めて会見にのぞむべきじゃないんだろうか。
最低1年間は坊主頭で通すくらいの詫びる気持ちは見せて欲しいものだ。
以前、年金未納の責任を取って民主党の管さんも丸刈りにしたのは記憶に新しいが、安倍さんも国会に復帰する気があるならそれくらい考えた方がよさそうだ。

僕も中学時代は3年間坊主頭で通したが、散髪は家で兄貴がやってくれていた。
普通、中学生の坊主は3枚刈り(7ミリ)くらいがスタンダードであったが、ある日何を間違えたかバリカンに1枚刈り(2ミリ)用の刃を入れて兄貴は僕の頭を刈り始めた。 
「ねー何かちょっと薄すぎない?」
「あらっ、ごめん間違えた!」
しかし時遅く既に僕の頭には青青としたはセンターラインが刈り込まれた後だった。
ここで止めるわけにはいかないし、結局1枚刈りの坊主頭になることを僕は余儀なくされてしまった。
どこから見てもお寺の修行僧にしか見えない青い頭で過ごす地獄の日々がしばらくは続いた。
悪気を感じた兄貴は僕に謝りはしたが、笑いをこらえながらのその顔からは決して誠意は感じられなかった。
あんな時こそ同じ頭に丸めて誠意を見せて欲しいと思ったことはなかった。
 

 

SHAKE THE MUSIC

2007-10-24 17:19:36 | Weblog
70年代に学生をやっていた世代の方にとっては、当時のフォークソングを聴くとあの頃の青春が蘇るという。
特にかぐや姫や風が好きだった人は伊勢正三のことを正やんと呼び今でもその人気がすたれることはない。
その伊勢正三の最新ライブ映像がUSENのGyaoで配信されている。
たまたま昨夜見つけて44分あまりのそのコンサートに聴きほれてしまった。
往年の名曲「なごり雪」や「22才の別れ」はもちろんのこと最近のアルバムからの歌も演奏している。
演奏サポートにはセンチメンタルシティーロマンスの細井豊(key)が参加しているが、音響が素晴らしく正やんのギターの音色が聴いていてとても気持ちいい。
歌唱的には確かに昔とは違う声になってしまっている正やんだが、彼の詩の世界を伝える表現力は全く色あせてはいない。

今年は「22才の別れ」も映画として公開されているが、時代が変わろうとも正やんの歌はいつまでも愛され続けている。
「なごり雪」などは既に永遠の名曲になってしまっているが、かぐや姫でも正やんが好きな人は必ず「置手紙」をよく好きな曲として上げる。
僕は個人的にはイルカに提供した「あの頃の僕は」が好きだ。
携帯もコンビにもカラオケもパソコンもインターネットもなかった時代だったけど、あの頃聴いた歌というのはいつまでも心に残っている。
そんな歌を数多く提供してくれた正やんは、僕ら世代の多くの人たちの心の本棚にしまっておかれているのかもしれない。



ローマは一日にして成らず

2007-10-23 01:18:55 | Weblog
雪印、不二家、ミートホープ、白い恋人、そして赤福。
よくもこんなに続くものである。 
白、赤・・・とくれば次は青?
連続性の法則からすれば青あたりがどうも危ない。
青といえば名古屋の銘菓「青○ういろう」が思い浮かぶ。
ここは120年余りの歴史を誇る老舗であるが、まさかとは思うが世が世だけに十分に注意してもらいたい。

長崎にはカステラという銘菓があるが、文明堂や福砂屋なんかも赤福みたいなことになったりすると大変なことになる。 
ただでさえ「裏金公金横領」で全国にその名をとどろかせたばかりの県庁をかかえる長崎県民はカステラにだけは裏切られたくないと願っている。
広島の人はもみじ饅頭を守りたいだろうし、浜松の人はうなぎパイを、京都の人は八つ橋を、それぞれご当地の銘菓に裏切られたくはないのである。 

それにしても300年に渡り築き上げた信用も崩れる時は一瞬である。 
それだけに老舗といわれる店でこういった事件が発覚するのは取り返しがつかない。
赤福は無期限の営業停止になったわけだが、それなら910億円もの詐欺を行い自らの利益のために善良な国民を陥れた生保大手各社も同じくらいの処分を受けても全然おかしくないと思うのだけど。
一連の食品メーカーの偽装事件は氷山のほんの一角に過ぎないはずだ。
年内にあとどれくらいの偽装が発覚するのか気になるところであるが、最初にも言ったように連続性の法則からして色に関する店、または商品は要注意である。



 
 


亀田家特別用語

2007-10-16 18:37:27 | Weblog
ご存知亀田家の話。
 
「あれは亀田家の特別の用語」と兄の興毅が弁解。
肘で目を突け・・・肘を上げてしっかりガードして目の位置を狙え。
投げろ・・・・・・パンチを打て

亀田家の人間ならこの特別用語が理解できるはずなのに、亀田大毅はしっかりと肘で目を突いたし、内藤選手を抱えて投げてしまっている。 
亀田家の人間だけが分かるはずの特別用語は残念ながら弟大毅は教えてもらっていなかったのだろうか。
この特別用語は父史郎氏も知らないはずである。 
いったいいつから亀田家にはこんな特別用語が出来たんだろう。
他にはどんな奇抜なアイディアの家庭内特別用語があるのか聞いてみたい。 

この苦し紛れの言い訳が亀田家のレベルの低さを如実に表している。
まるでコンビニでかごダッシュして捕まった奴が、「オレがいつも行くコンビニはレジが外にあるもんだから走ったんや!」くらいの幼稚さを感じる。 
彼が世界チャンピョンなんだからそりゃあボクシング界の権威も落ちるわけだ。

今回、亀田家には当然の処分が下されたが一から出直すためには朝青龍を頼ってモンゴルの温泉治療に行くしかない。 
亀田興毅が疑惑の勝利を掴んだ試合でリングの上に上がって亀田興毅を抱き上げたのが他でもない朝青龍だ。 
家族揃ってここはモンゴルに行って魂の治療をしてきて欲しい。 
モンゴルでの1年間の独占密着取材はもちろんTBSが行い、亀田家を視聴率獲得に担ぎ上げてきた姿勢を貫くべきだ。

巷では亀田家のお蔭でボクシングの人気が上がったとか、彼らを擁護するような声もあるが、その人たちはボクシングを見ていたんじゃなくて亀田家の連中がおもしろおかしいから見ていただけでの話である。
確かに注目度は高かっただけに、今回のあまりにもアホらしい亀田興毅言い訳でさえも一つの社会現象として子供たちに使われてしまうに違いない。 
親から注意されても「今のは特別用語でそういう意味とは違うから」なんて言い逃れする子供がたぶん出てくる。 
いずれにせよ亀田大毅は1年間ボクシングの試合が出来なくなるわけだから、しっかり精神の鍛え直しと社会人としての口の利き方を勉強してきてもらいたい。 
場所はモンゴルかもしくは時津風部屋かで、費用は全額TBS持ちということで。

生保詐欺

2007-10-08 01:24:09 | Weblog
万が一の時のために入っている生命保険がそう思っているのは契約者だけだった。
報道では「不払い」とか表現しているけど、これは完全に企業ぐるみの詐欺である。 
普通ならちょったした詐欺事件でもすぐ逮捕されるのに、これが生保の場合は逮捕されない。 
910億円という巨額のお金を自らの利益のために善意の契約者から騙し奪ったのに、毎度お決まり謝罪会見を各社長が開くだけで軽く済まされてしまう。
会見では「不退転の覚悟で今後は信用回復に向けて・・・」とか各社心にもないその場しのぎの言葉を似たように発するだけ。 
毎回毎回のこの光景にはあきあきする。 
次回は1500億を超えた時点でまた同じ光景を見なくてはいけないかと思うとうんざりする。 
そしてその次は2000億を超えた時点と、いったいたたけばどこまで出てくるのか気が遠くなる。 
そのくせ朝から晩まで流れる生保のCMでは有名タレントを使い、偽善を絵に描いたようなイメージCMを山のように流す。
最近のN社のCMは「何かあったらあなたに連絡すればいいんですね」と生保レディに契約者が語りかける奴があるが、何かあった時は既にその生保レディはとっくに辞めていないというのが現実である。 
他にも「掛け捨てじゃありません!」とわざわざ強調しているCMもあるが、払った保険料を払うだけ払わせて詐欺やって自分たちがせしめるんだからそりゃあ掛け捨てじゃなくて掛け金詐欺と呼ぶのが正しいかもしれない。 
「一生涯保障します!」という言葉もあるが、これにしたって「一生涯カモにします!」と言ってるようなものである。 
テレビのニュース番組でも今回の詐欺事件に関して各局一応に取り上げて、さも契約者の立場にたった正義の味方みたいなコメントをたれるが、それに騙されてはいけない。 
年間数百億円といわれる莫大なCM料がマスコミに流れているということはどういうことかと考えればわかること。 
おまけに生保には天下りもたくさんいるし、自分のことだけしか考えない政治家とお金の流れを考えれば一連の今回の事件も「咽元過ぎれば75日」で終わらされるはずだ。 
結局は善良な契約者、庶民が泣きをみるだけである。 
払ってきた年金は宙に浮かされ、その上社会保険庁や市町村職員に横領され、挙句の果ては生活費を削ってまで払って受け取るはずの保険金を詐欺されとあまりにも理不尽な話である。 
生保のこういった体質は変わるはずはない。
今後も利益最優先主義は貫くだろうし、厳しいノルマから営業員は従来通り架空契約や非常識な契約を取り続けるだろうし期待するのが無駄である。 
しかし、せめてもの願いであるが、当分CMだけは自粛していただきたい。
これだけの社会悪の詐欺行為を堂々とやってきたのだから、偽善者ぶったイメージの、しかもお涙頂戴的なCMは世間に流してはいけない。 
少しでも良心のかけらがあるんだったらこれ以上庶民を馬鹿にするのはひかえるべきである。
これからは多くの国民は生保のCMを鵜呑みにせず、自分の財産は自分で守るくらいの防衛策を講じることである。 
今回のことでもはっきり言えることは生命保険会社が考えているのは契約者のことではなくて自分たちのことである。 
少なくとも生保大手4社の社長さんたちの謝罪会見の時の顔にはそう書いてあった。
 

秋山登山

2007-10-06 19:26:51 | Weblog
山登りなんてしたことなかった僕が今日初めて登山デビューした。
登山シューズも買ったしリュックを背負い、いざ向かった先は雲仙。
仁田峠に車を置き、まずは1時間かけて普賢岳へと登り始めた。
天気は最高にいいし、気温もここの時点で21度と暑くない。 
昼前には1350メートルの頂上へたどり着き、景色の素晴らしさに感動した。
遥か遠くには熊本、天草が見渡せるし、すぐ側には90年の普賢岳噴火の際にできた平成新山を間近に見ることができるのだ。 
気持ちのいい青空と涼しい心地よい風、その中で食べる弁当の味は格別である。
こんなヘルシーな時間の過ごし方はない。
たまにはこうやって山に登るのはいいもんだと素直に思えた。 
昼食後は国見岳を目指し、その後尾根伝いに妙見岳を目指したが、結構これがハードな所もあり、日頃使わない筋肉が目覚めさせられた。 
雲仙登山は普賢岳、国見岳、妙見岳と3つの山を一挙に制覇できる特長を持っている。 
実は今回、無理をせず国見岳はちょいと見上げるだけにとどめパスしたのだが、それでも登山開始から下山までの所要時間は4時間半はかかった。 
下山後は小浜温泉の海の見える露天風呂に入り汗を流した。 

僕の様な初心者にはちょうどいい今日の登山コースではあったが、近いうちには久住にも登ってみたいと思っている。

バラ色の人生

2007-10-05 23:03:49 | Weblog
今日一日頭の中ではずっとエディット・ピアフの歌が流れていた。 
昨日観た映画『ラ・モーム』、邦題『エディット・ピアフ(愛の賛歌)』の余韻が今もまだ耳に残っている。
「愛の賛歌」なんて中高年のオバサマたちがカラオケで「あなたの燃える手ーでー」と余所行きの声で歌い上げる曲のひとつくらいにしか思ってなかった。
ピアフそのものもフランスの有名なシャンソン歌手くらいの認識しかなかった。
しかし、この映画を観て完全にノックアウトされてしまった。 
奥深い、実に奥深いのだ。
ピアフの歌がこんなに奥深いものだとは知らなかった。 
「愛の賛歌」や「バラ色の人生」はピアフ自身が作詞しているし、彼女の人生そのものを命を燃やしながら歌っていたのだ。 
ピアフの生い立ちを知り、生き方を知ればますます彼女の歌が心に響いてくる。
実際のピアフは知らない僕だが、ピアフ役のマリオン・コティヤールの演技は演技の域を超えてピアフそのもののように思えた。 
細く描いた眉毛はどこか美空ひばりを彷彿させるものがあるが、偉大な歌手というのはどこか共通するももがあるのかもしれない。 
そういえばかのビリー・ホリデーもエディット・ピアフと同じ年に生まれているらしい。
シャンソンといえば今まではジョルジュ・ムスタキと日本でも「オーシャンゼリゼ」や「ピノキオ」で有名なダニエル・ビダルくらいしか知らなかったがエディット・ピアフ抜きではシャンソンは語れないことを思い知った。 
日本では美輪明宏や岸洋子や金子由香利がシャンソンを広めたそうであるが、今は閉店してしまったシャンソン喫茶『銀巴里』の復活を願う人は少なくないのではないだろうか。 
12月29日は「シャンソンの日」になっているそうが、この映画を機に再び日本でもシャンソン人気に火が点くことを期待したい。 

波乱万丈な人生を生き、それでも命を懸けて歌い続ける魂の歌声を知ればそうやすやすとはピアフの真似して「愛の賛歌」なんて歌えるもんじゃないかも。
そんな人生を生きてきながら「水に流して」を歌い上げるピアフの歌に魂を揺さぶられずにすむ人なんていなかったのは分かる気がする。 
エディット・ピアフを知らないままいるところだった僕にピアフを教えてくれたこの映画にはつくづく感謝したいものである。