南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

そんなバナナ

2006-09-30 02:34:54 | Weblog
今日バナナの皮で転んだ。 
まるで赤塚不二夫の昔の漫画みたいな話であるがバナナは確かに滑ることが分かった。  
だいぶ前に「バナナで人は本当に転ぶのだろうか」というトリビアの泉的テーマで実験をやっていたTV番組を観たことがあるが、ほとんどの人はバナナでは滑らない。と言うよりも滑る前にバナナに気がつくのだ。 
僕みたいにキッチンの床に落ちていた皮に気づかずに乗った場合は確実に滑る。 
結果としてバナナの皮は落ちててもおかしくない場所にある場合滑り、まさかこんな所には落ちてないだろうという場所にある場合は滑らない。 
滑る滑らないというどうでもいい事より、バナナの皮は確実にゴミ箱に入れるべしという教訓を学んだ。
 

たかが盗作、されど名作

2006-09-28 01:39:37 | Weblog
落ち葉の季節になると必ず口ずさむ歌がある。 
アルバート・ハモンドの『落ち葉のコンチェルト』
僕ら世代の人間にとってはセンチメンタルな秋の歌の定番みたいな曲だった。
ところが『落ち葉のコンチェルト』のメロディを聴かせると、ほとんどの人はドリカムの名曲『ラブラブラブ』としか答えない。 
それもそのはず、最初の8小節までは完璧なまで『落ち葉のコンチェルト』なのである。 
僕が初めて『ラブラブラブ』を聴いた時は、ドリカムが日本語の詞をわざわざ付けてリバイバルヒットを狙っており、なかなか粋なことやるなと感心したものだった。 
でもオリジナル曲として発表された曲と知った時には、「そっ、それはないだろう」とあきれてしまった。 
しかも大ヒットしてドリカムを代表する名曲となる始末。 
ドリカムの吉田美和は大好きなシンガーだし、今でも好きなグループではあるが、これだけはどうしても許せない。 
だって青春の1ページを飾るような名曲『落ち葉のコンチェルト』の最初のフレーズは「ね、どーして・・・」という言葉で歌い出す曲じゃないんだよね。

一度テレビ番組の「ミュージックフェア」ででも吉田美和に『落ち葉のコンチェルト』をリクエストで歌わせてみるとおそらく全国の人には『ラブラブラブ』を英語の歌詞で歌っているとしか思われないはずだ。 
でも寛大な多くの方々はちゃんと分かっているのかもしれない。 
「たかが盗作、されど名作」と。
 
 
 

とことん現役

2006-09-27 00:11:48 | Weblog
プロのスポーツ選手がいつかは迎えるのが現役引退。 
今年一杯で引退するのが新庄選手(日ハム)であるが、誰が見たってまだまだやれるんじゃと思ってしまう程の元気よさ。 
巷では参議院に出るとか出ないとか言われているけど、ファンに対してあまりにも冷たいんでないの。 
大魔神佐々木投手にしたってあっという間の引退だった。 
今年はサッカーの中田英選手もそうだった。 
この人達あまりにもカッコ良過ぎる。 
そのスポーツが好きで好きで人生を賭けて来たはずであろうが、そんなに簡単に未練は断ち切れるんものなんだろうか。 

先日巨人の桑田真澄選手がHPで巨人のユニフォームを脱ぐ宣言をしてニュースになった。 
しかし桑田選手は巨人を去るのであり、大好きな野球は現役として続けたいと言っている。 
自分を必要としている所があれば何処へでも行き、ボロボロになっても最後まで野球を続けたいという気持ちは素晴らしい。 
僕はこういった桑田の生き方の方がよっぽどカッコいいと思える。 
昔、野村監督(楽天)が選手だった頃、ずたずたになっても12球団のどこであろうと使ってもらえるならその日まで現役を続けるという姿勢を貫いた。 
3度の3冠王に輝いた野球史に残る名選手であろうと好きな野球をやれるならという直向な気持ちに心が打たれる。 
サッカーの三浦カズ選手も一頃は「キングカズ」ともてはやされた。 
しかし彼は過去の栄光にこだわらずいまだ現役で頑張っている。 
相撲界でも以前、いったんは大関になったもののそれから下位に転落しながらとことん現役を続け幕内でも長老になっても頑張った霧島という力士がいた。 

プライドを捨て、自分を使ってくれる所があるなら、自分を応援してくれるファンがいるなら、どこでも行って現役を続けるという名選手にこそ大きな声援を送り続けたいと僕は思う。

 

昼下がりファミレス劇場

2006-09-25 21:53:34 | Weblog
僕は読書のためにしばしばファミレスを利用する。
あそこはコーヒーもお替り自由(セルフ)で長く居られるからたいへん便利だ。
僕のように一人で何時間も居座っていると、隣のテーブルから様々な人間模様が聞こえてくる。
ある時は鼻の穴が真っ赤に腫れ上がった男が、カノジョと思しき連れにその訳を説明していた。
話によると(勝手に聞いてすみません)男は夜中に鼻血を出し、止血のためたまたま姉貴の机の上にあった棒状の綿をとりあえず鼻の穴に突っ込んで寝たらしい。
翌朝目が覚めたら、膨張したソレがなかなか抜けずにこの有様よと真顔で力説していた。
どうもその綿というのが姉貴の生理用品だったらしいのである。
こっちは笑うに笑えずテーブルの下に顔をうずめて必死に笑いをこらえた。
それでもその彼氏がふと振り返ったりするものだから真っ赤に腫れた鼻が目に入り思わず吹き出しそうになってしまった。

そんな時レジの方が妙にうるさくなっていた。
いわゆるオバサン達である。
オバサンは食事代の支払い1つとってもドラマを感じさせる。
1人のオバサンが「今日は私が」なんて支払い伝票を連れのオバサンから素早く取り上げレジに向かい出した。
すると取り上げられた方のオバサンは走って追いかけ、そんな気の毒な事は決して認めるわけにはいかないという意味の言葉「できん、できん(九州弁)」を連発し、すぐさま伝票を取り返す行為に出た。
取り上げた方のオバサンも今日のところは私に任せてくれの意味を持つ「よかて、よかて」を連発し、伝票を渡すまいとする細かいディフェンスプレイを見せた。
僕にはそれがあたかも一世を風靡したジュリアナ東京のお立ち台で踊る扇子ギャルの手つきにも見えて、なんという息の合ったコンビネーションと感心してしまった。
しかしレジのお姉さんはというと、半分あきれ顔でどいでもいいから早くしてくれよなのため息を吐く始末。
それにしても食事代の支払いごときであそこまで熱くなれるってたいしたものである。
昼下がりのファミレスでは様々な人間模様を垣間見ることが出来る。

吉田拓郎inつま恋

2006-09-24 00:19:49 | Weblog
31年ぶりに伝説のつま恋コンサートが行われた。
当時高校3年生だった僕は何万人というファンを集めて夜通しやる拓郎の「つま恋コンサート」は音楽の聖地みたいな所に感じていた。
吉田拓郎といえばギター小僧だった中学生の僕らにとっては憧れの存在であり、毎日のように拓郎の歌を聴きながらギターを弾き歌った。 
今日のコンサートでも「イメージの詩」「春だったね」「ビートルズが教えてくれた」「ひらひら」「ともだち」などの懐かしのナンバーも披露してくれた。 
拓郎も今年60歳。 
3万5千人の会場のお客も中高年がほとんど。 
31年前のつま恋とは熱気の種類が違った。 
拓郎自信の歌声は全く衰えを知らず、むしろ前にもまして味わいを増しとても心地よく感じた。
長髪で古いジーンズの上下を着てハーモニカを吹きギターをかき鳴らしていた30数年前の吉田拓郎は確かにカッコ良かったが、年輪を重ね丸くなった今の吉田拓郎も本当にカッコいいオヤジなのである。 
本来ならつ恋まで行って生のコンサートを見たかったが、今はハイビジョンの大画面で家にいながらLIVEで見れる時代だ。 
31年前からは考えられないことかもしれないね。

今回のつま恋のコンサートを見て全国で相当の数の中高年のオヤジたちが勇気付けられたに違いない。
明日あたりは楽器店でギター眺めながら「俺ももう一度・・」なんてつぶやいている光景が日本中で見られそうである。 
 

台風の結婚式

2006-09-22 23:42:39 | Weblog
今回の台風はいろんな被害をもたらした。 
中でも驚いたのがあの台風で大停電の中結婚式に出席してきた人の話をきいた。 
停電で真っ暗な中披露宴は予定通り行われたそうだが、もちろん会場は電気が点かないから明かりはすべてろうそくだったそうで相当な数のろうそくが使われまるでクリスマスの雰囲気だったとか。 
しかし料理もよく見えずになに食べているか分からず、正に闇鍋パーティー状態。見えないといえば新郎新婦の顔なんて全く見えずそれにもかかわらずお色直しをする花嫁が不思議にも見えたそうである。 
司会者が「それでは只今よりキャンドルサービスを・・・」 
当然すべてのテーブルにはろうそくが灯されているわけでこれもなんか間が抜ける。 
一番可笑しかったのは(笑ってはいけない)親族の記念写真だそうで、これも真っ暗な中親族が集合しストロボの光る瞬間だけが明るくなるものだから、写った表情は夜の道路を横断中の野良猫がいきなり車のヘッドライトを浴びたような顔していたという。 
こんなところにも今回の台風の被害はあったんだね。


 
 

大相撲と座布団投げ

2006-09-15 22:51:59 | Weblog
今夜の大相撲結びの一番では横綱朝青龍が破れた。 
その瞬間土俵の上には異常な数の座布団が投げ込まれた。 
よく見る光景ではあるが今夜の数は尋常ではなかった。 
「座布団もみんなで投げれば怖くない」の群集心理からくるものなのか、物事の道理も知り尽くし、りっぱな倫理観も持ち備えているような立派な大人の方々が行う行為とは思えないおふざけである。 
先場所も外人力士の暴力行為で大騒ぎになった相撲界であるのに、これ以上黙認してたら世の中おかしくなっちまう。 
初めて日本の大相撲を見た外国人はこれが一種のスタンディングオーベイションと勘違いしかねないしそろそろ誰かが言わないとね。
日本人って本当はこんなに野蛮な国民なんだというアピール性抜群の映像である 
NHKも平気で放送しているが、どうせならHiビジョンでやってんだから投げてる人達をひとりひとりどアップで映して全国の茶の間へ放送して欲しいものだ。 
聞くところによればマス席は値段の割にはかなり狭いらしいが、そんな場所に何時間も座り続けて観戦するからストレスもたまり最後に意味もなく爆発するのか? 
たぶん投げている人にはこの公然暴力行為の理由などほとんどないはずである。 
ただそこに座布団があったからくらいのことだろう。
 
同じ座布団投げでもプロ野球の広島ブラウン監督の座布団いや、ファーストベース投げはりっぱな抗議行為であるし、しっかり退場という責任もまっとうしている。
国技館の座布団投げをめされるひとりひとりが確固たる信念とどのような責任も果たすという覚悟で行っているとはとても思えない。 
この公然暴力行為は後9日間もNHKを通じて全国に生中継されることになっている。 
願わくばお年寄りや小さな子供が被害者にならないようにと。
 

 


ホノルルマラソン

2006-09-14 14:08:46 | Weblog
毎年12月にハワイで行われるホノルルマラソンに今年も誘われている。 
昨年はバレーボール中にアキレス腱断裂という大けがをしてしまい、とてもマラソンどころではなくお断りしたが、今年はその足もだいぶよくなり少しくらいは走れるようにもなってきたところへ再度のお誘い。 
毎年参加している方々によれば、それはそれは感動するらしく、人生観も変わるくらいと絶賛するものだから心はかなり揺らいではいる。 
しかしフルマラソンなんて一度も経験ないし、はたし結合して1年しか経っていないアキレス腱が大丈夫なのか不安でもある。 
7時間くらいかけて歩いてでも完走する人もいるそうで、だったら僕でも出来るかなという思いもある。 
もし今年がだめだったとしても、必ず1度は参加したいとは思っているホノルルマラソンではある。
それからすると今年24時間テレビで100キロマラソンにいきなり挑戦したアンガールズって本当は凄いことやったんだと改めて感心する。

涙そうそう

2006-09-14 01:46:07 | Weblog
今月30日、映画『涙そうそう』が封切られる。 
昨年は『ALLWAYS 3丁目の夕日』でたっぷり泣かせてもらったが、今年は『涙そうそう』で涙ぼろぼろになりそうな気がする。 
今の歌謡界ではヒットソングは単に売れりゃいいみたいな使い捨てに感じる。
現に流行のサイクルはあまりにも短か過ぎてロングランで愛される歌はめったに出てこない。
オリコン初登場1位!しかし翌週は別のアーチストの歌がとって変わる。 
トップ10に入っている期間なんてあっという間で花火の様に消えて行き、オリコンのヒットチャートにも載ったに関わらず記憶にも残らない歌が山のようにある。
そんな中で「涙そうそう」という歌はすべての世代の人に愛されずっとこれからもいい歌として歌い継がれて行く歌だと思っている。 

今年の春は沖縄旅行を楽しんできたが、この映画を観たらまたきっと行きたくなるに違いない。