ここのところ毎日のように安倍晋三の顔をテレビで見る。
プリントゴッコを販売してきた理想科学工業がプリントゴッコ事業の終了を発表した。
1977年に発売されて以来の長年日本の年賀状作りに貢献してきた昭和の遺物がまたひとつ消えて行く。近年はどの家庭でもPCを駆使して年賀状を作るのが一般常識でありここ何年もプリントゴッコで作られた年賀状など見たことなかった。もうとっくにプリントゴッコなるものは販売が終わり今の世には存在しないものと思っていたが、まだ事業が続いていたことにビックリした。一斉を風靡したプリントゴッコもやがて昭和歴史博物館にでも飾られる日が来るのだろうね。
我が家でも年末になるとプリントゴッコの箱を押入れから取り出し年賀状作りの準備にかかっていた時代があった。不足している絵具、それから黄色いフラッシュ電球を買い足しにいかねばならなくて結構費用はかさむのである。特に一回しか使えない電球がものすごくもったいない様な気がしてならなかった。だから体重を乗せてプリントゴッコを抑え込みバチっと光らせる作業の瞬間は全神経を傾け家族全員でそのフラッシュの様を見届けたものだった。あれをやると一仕事をやり遂げたような不思議な達成感があった。おそらく日本の津々浦々で年末にはピカピカという光景がみられたのであろうな。その結果大量の黄色い電球がゴミとして出されていたのも事実だ。
プリントゴッコは費用もかさむが手間もかかるという難点があった。特に印刷したハガキを乾かすのには時間がかかった。年賀状の数が多い場合は床の上にまるでカルタみたいに並べて乾かすこともあった。そも上を猫が歩いたりすると困ったもんだった。確かに年賀状作るのも大変ではあったが何故かプリントゴッコは爆発的に売れた。所ジョージのCMも良かったのだろうがゴッコという遊び心が良かったのかもしれない。
最近の若者たちは年賀状はわざわざ書かないようでメールで済ますというのが普通になって、LINEなどのアプリを使って文字どころかスタンプだけで済ましてる場合もある。これじゃ年賀状ハガキも売れていない訳である。うちの近所の郵便局では元旦から職員さんたちがテント出して年賀状の販売をやってたくらいだ。もしかしたら将来は正月に年賀状をわざわざ出すという恒例行事が消えてしまうかもしれない。それこそ昭和歴史博物館に、大昔の日本では年賀状というものが存在して年に一度のハガキのやり取りをするというおもしろい風習があったらしいと記される。
東京オリンピックの誘致活動が本格的に始まった。
2020年に予定されているオリンピックに東京都が名乗りを上げているが、本当に東京でオリンピックをしたいと思ってる人がいったいどれくらいいるんだろう。都知事の職を途中で放り出して新党を作り暴走中の石原慎太郎が言い出して、在職中から莫大な税金を無駄に使って誘致活動をやってきたのだが、その役目は石原慎太郎の番頭みたいな猪瀬直樹がそのまま引き継いでいる。オリンピックと言えば平和の祭典であるし、開催することになれば大きな経済効果が生まれることはよく分かる。しかし今の日本は先にやんなきゃいけないことがあるはず。
311で史上最大の原発事故を起こしておきながらその収束がまだなされていない中でオリンピックはないだろう。今でも毎日福島原発からは大量の放射能が放出され続けてじゅうみんのかたがたは避難生活を余儀なくされている。何の対応もできないまま時間だけが過ぎてこともあろうに政府は収束宣言まで出す始末。その上活断層が真上を通る原発の再稼働はやろうとするし、新設の原発まで考えている。もし今でも大きな地震がきて福島の4号機が崩壊でもしようものなら日本は終わる。東京はオリンピックどころか人さえ住めなくなるくらいの事態になる。
原発事故の影響は世界中に及ぶことになるのにその罪悪感が今の日本には全くない。これだけ大きな原発事故を起こし収束に向かう努力も放棄するような国がオリンピックの誘致に名乗りをあげる資格などないはずである。まずは福島原発の完全廃炉処理と国内原発を10年でゼロにした後の話だ。オリンピックを東京でやりたいのは石原慎太郎や猪瀬直樹らの特権階級の人間だけであって一般庶民は決して賛成などしていない。誘致活動にはなでしこジャパンなどの選手や有名アスリートを担ぎ出し広告塔に使う手口を見せているが担ぎ出された選手も可哀想である。あまり積極的に石原慎太郎たちに協力する姿を見せ過ぎるとあちら側の人間と見られてしまい賢い選択とはいえなくなる。
マスゴミは必死にオリンピック誘致活動を応援し多くの国民の意識操作に入ると思われるが、そんな暇あったら福島原発の現状を報道するべきである。
大晦日はなんだかんだ言ってもやっぱり毎年のように紅白を見てしまう。最近の紅白では演奏する楽団が見当たらない。ということはほとんどの歌手はカラオケで歌っていることになる。だったら紅白カラオケ合戦としてもいいんじゃないかと思うけど国民的歌番組がカラオケってのもなんだかね。
今回の紅白で一番金のかかったと思われるのはアフリカの砂漠から歌ったミーシャではなかったろうか。確かに映像的にも綺麗で迫力はあったが他の歌手との扱いがあまりにも違い過ぎた。ルルルのおばさんこと由紀さおりの中継も特別扱いだった。由紀さおりがブレイクする前は毎年の様にお姉様と童謡かなんか歌わせてごく普通の扱いの歌手であったが、一度ブレイクするとなるとこんな特別扱いとなるのである。NHKは流石は偏向放送局の異名を取るだけのことはある。
今年の紅白でネットでも話題になったのが斉藤和義の例のギターストラップだ。NUKE IS OVERと日本語で訳すと原子力は終わりだぜみたいな言葉が書かれたストラップを付けてステージに立ったものだから賛否両論が沸き起こった。もちろん僕的には良くやったという感想だし、あれが忌野清志郎だったらもっとやってくれていたに違いないと思う。本当はいきなり全部嘘だったをいきなり弾き語りで歌ってくれたらそれこそ紅白始まって以来の大サプライズだっただろうに。しかしそこまでやると斉藤和義の立場が相当ヤバくなるし本人もそこまでの勇気はなかったろうし、あそこまでのパフォーマンスでも十分拍手を贈りたい。
紅白の出場歌手、それに司会者を見ても分かるように結局は今のテレビ業界はジャニーズ無しでは語れないというか、ジャニーズが全てを牛耳っていると言っても過言ではない。もう白組の司会者をジャニーズ関係者以外から出すなんてのはよっぽどのことかもしれない。あの国民的偽善番組日テレの24時間テレビもメインはジャニーズだし、あらゆる番組がジャニーズ無しでは作れなくなっている。これだけのジャニーズ王国を一代で作り上げたジャニー喜多川氏がお亡くなりになった時は国民栄誉賞が授与されることが実はもう決まっていたりして。
紅白の最後を締めるのは藤山一郎が楽団の指揮をとってホタルの光を皆で合唱するというのがいつまでも残っているが、近年は三原綱木から平尾正明にバトンタッチされて今回はその平尾センセーが指揮を振ってはいたが何分にも楽団がいないものだからカラオケの指揮をとるという何ともおかしな光景を誰が突っ込むこともなく行われていたのが印象的だった。
あっという間にお正月の三賀日も過ぎ世間は2013年が既に始動している。
僕も久しぶりというか今年初めてこのブログを更新することにした。どうも年末の衆議院選挙の後味が悪くてブログを更新する気にもなれなくていたが、今年は以前のブログの様に面白いネタも書きながら更新して行こうかななんて思ってる。それでも今年は参議院選挙もあるし再び不正選挙が行われて日本を好き勝手にされてはたまんないわけでここはしっかりブログでも発信して行きたいと思ってる。
今年を漢字一文字で表すなら挑という字が相応しい。今年は新しいことにチャレンジして行くつもりだ。とりあえずは今年初めのブログのスタートを切ることにした。