2014年の新しい年が明けた。
しかし今年の正月は大晦日に突如飛び込んできた大滝詠一の訃報でどうしても晴れやかな新年を迎えるという気持ちにはなれなかった。ボクら世代の人間にしてみればロンバケのアルバムはまさに青春の経典みたいなものでそれこそカセットテープに録音して車のドライブで何千回と聴き込んだものだった。もちろんはっぴいえんどから始まりナイアガラレーベルから送り出された音楽の数々は衝撃的なものだった。
大滝詠一は音楽家の中でも世の媚びないところが共感を読んだ。特にマスコミに対しても独自の姿勢とポリシーを持っている人でその生き方にも憧れていた。毎年お正月には山下達郎との新春放談をとても楽しみにしていたが2011年を最後に密かに終了していたことは後から知った。ラジオで新春放談を聴くたびにお正月がきたんだという思いを感じていたのは僕だけではないはずだ。
岩手県の出身の宮沢賢治の没後40年経ってはっぴいえんどが解散し、はっぴいえんど解散からちょうど40年目にあたる2013年に岩手県出身の大滝詠一が亡くなった。お葬式の時に松本隆が言っていたように「12月の旅人」に大滝詠一は本当になってしまった。
大滝詠一の訃報は年が明けてワイドショーなどでも取り上げていたが、その中途半端な扱いには苦言を呈したい。ミヤネ屋なんかでは大滝詠一のことをろくに知りもしないからはっぴいえんどのCD、それも細野晴臣の曲で細野晴臣が歌う歌を流しながら薄っぺらいコメントを垂れていた。NHKでも民法でもそうだったがはっぴいえんどの紹介をする時には決まって作詞家の松本隆、元YMOの細野晴臣さんと結成したバンドとしか言わないのがどうもいか好かなかった。ここも中途半端というか故意的な鈴木茂外しとしか思えないマスコミの醜さだ。年末に飛び込んできた大きな大きな訃報で暗い正月になってしまったが当分は大滝詠一の数々の作品を聴きながら過ごし僕なりの冥福を祈りたいと思う。
年が明けると決まって出るのが昨年の紅白の総評である。今回の紅白は珍しく高視聴率だったとテレビ騒いでいるが、裏番組にいいのがなかったこととNHKの異常なまでのあまちゃん人気便乗作戦がうまくいったみたいだ。今回の目玉はなんといっても北島三郎の紅白引退であったが、その昔普通のオバさんに戻ると宣言して紅白のみならず芸能界からの引退も宣言しちまった都はるみがぬけぬけと何もなかったかのようにカムバックしたこともあるし、北島のさぶちゃんだってNHKがこのまま放って置くわけがない。今回の最高瞬間視聴率は北島三郎の場面だって言うじゃないか。50%という数字は近年の紅白ではありえない数字であるわけでそれだけ国民は北島三郎を愛していたということかもしれない。高視聴率の影には綾瀬はるかの天然ボケの魅力と妙な間、そしてカミカミの素人っぽさが大きかった。例年の女性司会者は女優としてのプライドもあるのかもしれないがあまりにも完璧すぎてライブ感に欠けた。その点綾瀬はるかは何かやらかしてくれるんじゃないかという期待感と、親心をそそる身内感を沸かせてくれたのである。まるでうちの娘が、孫が初めて司会やるから失敗しないように見守ってやらねばなどと思った茶の間も年寄りも多かったんじゃないだろうか。まっひとつのことを除けば今回の紅白はなかなかのものだったように思える。
そのひとつのこととはAKB48の大島優子の引退宣言である。ただでさえ秒刻みの進行でピリピリしてる番組なのにあそこでわざわざ言うかというなんとも公共の電波の無駄使いかと思った人間は多かったのでは。無駄使いというよりあれが許されるなら来年からは全ての歌手が「ここで私事ですが・・・」と何でもありの世界になってしまう。しかしあんな事が許されてしまうというのが今の芸能界の権力支配図だ。今の芸能界ではジャニーズと秋元なしでは番組が成り立たない。紅白にだってジャニーズとAKB関係だけでどんだけ締めてんよって言いたい。あの大島発言も秋元に了解済みだったから何も問題はなかったということは秋元にはそれだけの力があるということになる。もしも大島優子が「私大島優子は紅白を最後にAKBを引退します!」その瞬間綾瀬はるかが間髪いれずに曲紹介に入っていたらさぞや面白かったかもしれないし、もっと面白いのはのはAKBの最初の紹介の時に「今回の紅白でAKBを引退される大島優子さんにとっては最後のステージになります!」とやらかしてしまうことだろうね。
こうして大晦日からお正月にかけてあっという間に時間は流れて気がつけばもう七草だ。今年もいろいろあるだろうけど楽しみながら何にでも挑戦して行けたらと思うのである。