南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

世界のといえば

2008-04-26 21:34:19 | Weblog
世界の誰々と言えば、「世界のクロサワ」「世界の三船」「世界の王」とかがパッと浮かぶ。
他にはと考えると、黒川紀章、坂本龍一、小澤征爾、山下泰裕、などが「世界の」という形容詞をつけてもおかしくない日本人かもしれない。
最近ではイチローや北野武にも世界のとつけて表現する人がいるが、ここまでくらいはいいけどあまり「世界の」を安売りし過ぎると重みがなくなってくる。
「世界の」とは世界にも通用するとか、日本を代表するようなとかの意味が込められてそう呼ぶ分けであるが、それはあくまで第三者が呼ぶものである。
今お笑い界で人気が出て来ているのが「世界のナベアツ」。
芸名に「世界の」と付けてしまえば本来の意味とは関係なく司会者もそう呼ばなくてはならないし、新聞はじめ活字にも全部「世界の」という表記がなされる。
気づくようで誰も気がつかなかった盲点だったこのネーミング。
エドはるみ風に言えば「付けてしまえばこっちのものだわネーミングー!」
確かに3の倍数のネタは面白いし笑えるけど、何も知らないご年配の人がいきなりテレビで見たら引いてしまう様なネタではある。
しかも名前が「世界のナベアツ」
こんなのが「世界の」?
まともに考えてしまうと腹の立つ名前である。
おまけにどっちが先に付けたのか知らないが、「世界の梅沢」なんてピン芸人もいる。
まっ、勝手にやってもらいたいが、これも現在のお笑いブームの勢いなのだろうね。
よく「うちのカアチャンは世界一なんだよ」とか身内の自慢をする時に恥ずかしげもなく口にする人がいるが、実際に世界中の何万人のカアチャンと比べて言ってるんだろか聞いてみたい。
世界一というのは1人しかいないわけで、その時点で世界中のカアチャンは2位以下という理屈になる。
ということは「世界のナベアツ」同様、先に言ったモン勝ちということである。
徐々にその知名度を上げ、テレビへの露出度が増してきた「世界のナベアツ」がこれ以上有名になれば、御本家の「「世界のナベサダ」こと渡辺貞夫氏の方が恥ずかしくて、「もうそう呼ばないで」なんてことになりかねない。


大人のドラマ

2008-04-24 17:12:26 | Weblog
今回の春の新番組の中では超一押しのドラマ『無理な恋愛』
堺正章演じる還暦を迎えた立木正午の演技といい、小気味でそれでいて味わい深い台詞が僕の壷にはまってしまった。
おまけに主題歌の「忘れもの」これがまた最高にいい。
どこか懐かしくせつないメロディーにのせて堺正章本人が歌っているのだが、このドラマを盛り立てる最高の仕上がりになっていると思う。
一度聴くと心の残るメロディ、昔はこんな歌が多かった。
「忘れもの」はまるでそんな歌なのである。
昔っぽいといゃあ、昔っぽいかもしれないが、3丁目世代の人間にはぐっとくる曲になっている。
他のドラマ主題歌みたいに最初からオリコンを意識して作っていないのが好感が持てるし、へたにヒットしてももらいたくないし、だけど堺正章がこの歌で今年の紅白歌合戦に久々に出場するのではないかという予感がしてならない。

ドラマの中の台詞はかえで(夏川結衣)や立木(堺正章)の台詞がとてもよくて、第3話のベランダでのシーンは特に良かった。
毎回ギターを抱えた旧友かまやつひろしと語り合うシーンがあるが、あの2人がしみじみ語り合う空間だけはドラマらしくなく、妙にほっとする時間が流れる。
近いうち「夕日が泣いている」でも一緒演奏してくれたら嬉しいのに。
今のところさほど視聴率は獲っていないが、番組タイトルと主役が堺正章だということで見逃している人がいたらめちゃくちゃもったいない。
楽しくて、笑って、そして胸がキュンとなり切なくなる大人のためのドラマ『無理な恋愛』のこれからの展開を大いに楽しみにしたい。



夢と冒険の国『ディズニーランド』

2008-04-15 21:48:40 | Weblog
東京ディズニーランドが開園して今日で25周年を迎えた。
華々しいセレモニーの中にも25年という歴史を感じた。
僕も東京ディズニーリゾートには3回ほど行ったことがあるが、子供の頃は心の底からいつの日かディズニーランドに行くというのが夢だった。
僕がまだ幼かった頃は金曜日の8時からテレビで放送されていた『ディズニーアワー』を見るのが楽しみだった。
残念ながら毎週あっていたわけではなく、力道山なんかが活躍したプロレスアワーと交互にしか見る事はできなかった。
たまに間違えて『ディズニーアワー』があるとばかり思っていた日にプロレスがあったりすると、谷底へ突き落とされたような気分になり、画面に大きく映った提供の三菱電機の文字を恨めしそうに見た記憶がある。
しかし、力道山はそれはそれで面白かったのだけれど、子供たちに夢を与えてくれるという意味では『ディズニーアワー』に勝るものはなかった。
番組の中では創設者であるウォルト・ディズニーが直接僕らに語りかけてくれた。
子供心に世界で一番優しい外人のおじさんというイメージがあったし、日本中の子供たちは誰もがウォルト・ディズニーが大好きだった。
未来の国、おとぎの国、冒険の国、開拓の国、とその日によって国が決められ番組が始まるのだけど、白黒テレビで見ているにもかかわらず僕の目には不思議に天然色でその世界が広がっていった。
そして、いつか大人になったら必ずこのディズニーランドに行くんだと夢に描いていた。
まさかその時は日本にディズニーランドがこうしてできるなんて、それこそ夢にも思ってなかったわけである。
夢のディズニーランドに行けたのはもちろん大人になってからのことであるが、ディズニーランドは子供であっても大人になっても夢と冒険とおとぎの国であることは変わりなかった。
子供の頃の夢であったアメリカのディズニーランドにはまだ行けてはいないが、東京ディズニーリゾートに行くことでもう充分なような気はする。
子供の頃に憧れ続けていた夢の世界は日本にできてもう25年も経ち、今では修学旅行で行ける時代になった。
白黒テレビの中で憧れ続けてきたディズニーランド、久しぶりにあの優しいおじさんの解説を聞きたくなる記念日ではある。

消え行くものたち

2008-04-09 22:08:18 | Weblog
大阪名物「くいだおれ」が今年の夏で閉店することになった。
建物の老朽化と家族経営での限界との理由が述べられていたが、はっきり言うと売り上げ的にやってけなくなっのが本音だと思う。
くいだおれのシンボル的存在であった「くいだおれ太郎」の行く末が心配されるが、あの人形が道頓堀から消えるというのは大阪にそれほど馴染みのない僕らにとっても寂しい気がするし、だいたいもったいなくてしょうがなく、ほんまにそれでええの大阪の人?って感じである。
ローマは1日にして成らずではないけど、くいだおれ人形の絶対的存在感はそう簡単に作り上げてきたもんじゃないはずだ。
あらゆる知恵を絞って大阪の街に必ずや残して欲しいものだ。
こんな時こそ橋下知事の力の見せ所で、「やっぱ橋下知事やわ!」と言われるようなサプライズをやらかして欲しいと密かに期待している。

くいだおれ閉店のニュースは瞬時にして日本中に広まり、7月8日の閉店までは全国から予想もしなかったような数の客が押し寄せるにちがいない。
これほどまでに人気があるくいだおれ食堂を何故閉めちゃうのという声はきっと起きるはずである。
ちょうど今年その姿を消すことになり、多くの鉄道ファンだけでなく一般の人までも呼び寄せた、寝台特急「あかつき」の最後の人気ぶりに似たものがある。
ニュースのインタビューに応える人々は異口同音に「こんなに多くのファンがいるのにもったいないですね」と口にする。
だったら飛行機使わずに毎回寝台特急使うかというとそういう分けではない。
「これくらいの人たちがいつも利用してくれたらなくなってしまうこたーなかったんだぜい」というあかつきの運転士の心の声が聞こえてきそうな絵柄であった。
島原鉄道でも南線がつい先日最終運行を行い長い歴史の幕を閉じた。
ここの鉄道にしてもこれで最後ということで、多くの人が県内外から押し寄せその名残を惜しんだ。
人間というものはもうこれで最後となると足が向いてしまう習性がどこかにあるのかもしれない。
それを上手く利用しているのが、商店などでよく見られる「店じまいセール」「閉店セール」である。
あたかも、もう商売やめて店をたたむことになったから投売り状態だよって客集めする販売手法であるが、そんな店に限っていつの間にか「感謝セール」なんて看板に変えて、そうでしたっけという顔で商売を続けていたりする。
長崎にも「長い間ご愛顧いただいてきました当店もいついつをもちまして・・・」という挨拶看板を出しながら営業していた老舗の呉服店が、1年以上も営業を続けていたのを思い出すが、あれって途中で気が変わちゃうのだろうかね。
もしかしたらうちってまだ行けるんとちゃうん?なんて気が起きるのかもしれない。
一度は引退したテニスの伊達君子も、先日の女王グラフたちとのプレイの中でまだやれる気持ちが起きて、復活宣言で世間を賑わせているくらいだから、これからの盛り上がりしだいでは、大阪のくいだおれの続行の可能性はないとは言えない。
そうなれば行く末を案じられている「くだおれ太郎」の続投が実現する。
そのためには何度も言うけど橋下知事よ、くいだおれ食堂にあんたの力で行列を作ってくれ。








北京オリンピック出場辞退

2008-04-01 17:57:06 | Weblog
今年は北京でオリンピックが開催される予定だが、ここへきて本当オリンピックが開催されるのか疑わしくなってきた。
少なくとも開会式をボイコットすると表明した国もでてきたし、あのスピルバーグ監督もオリンピック芸術顧問を辞退した。
さらには陸上マラソン男子の世界最高記録保持者、ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)も中国の深刻な大気汚染を理由に出場を辞退した。
なんたって辞退のコメントが生々しい「誰が走ると思っているんだ。われわれは人間だ」
たぶんあの大気の中で2時間も走り続ける選手たちは、北京以降のマラソン人生を奪われるくらいの覚悟で出場しなくてはいけないと言うことだ。
それは沿道で応援する一般の人々にも言えることで、自分の健康障害については自己責任という心構えが必要である。
Qちゃんがオリンピックの選考で漏れたのは神のご加護としか言いようがない。

オリンピックは平和の祭典である。
しかし今回の事件を起こすような国での開催は考えられない。
スポーツと政治は分けて考えなければいけないという話では治まらない。
まるでヒットラー時代のベルリンオリンピックのイメージである。
スピルバーグが辞退するのも分かる。
昔、モスクワオリンピックをボイコットした時の柔道の山下選手の涙を思い出すが、今回の北京オリンピックも辞退するべきだと思う。
個人的には絶対そんなことはあっては欲しくないし。オリンピックだけを夢見て努力してきた選手たちのことを考えるとたまらない思いであるが、今回の北京オリンピックだけは気がすすまない。
そもそも横田めぐみさんを始めとする日本人拉致問題も解決しないまま、当事国と同じ会場で開会式セレモニーなんて出来るわけがない。
どうしてもというなら開会式のセレモニーでフォークグループ「ピーター・ポール&マリー」のノエル・ポール・ストゥーキーさんに「SONG FOR MEGUMI」を全世界に向けて歌わせててもらいたい。

今回のオリンピックでは特に星野ジャパンの活躍を大いに楽しみにはしていただけに残念であはあるが、出場辞退決定の報道がなされても納得するだけの理由があり過ぎる。
昨日も聖火が天安門広場に到着して、その模様がニュースで流れたが、空輸されてきた神性なるオリンピックの火にいつものようなオーラを全く感じなかった。
日本人選手は来るべき2012年のロンドンオリンピックへと気持ちを切り替えて前向きに進んで行こうではありませんか。