東京オリンピックの誘致活動が本格的に始まった。
2020年に予定されているオリンピックに東京都が名乗りを上げているが、本当に東京でオリンピックをしたいと思ってる人がいったいどれくらいいるんだろう。都知事の職を途中で放り出して新党を作り暴走中の石原慎太郎が言い出して、在職中から莫大な税金を無駄に使って誘致活動をやってきたのだが、その役目は石原慎太郎の番頭みたいな猪瀬直樹がそのまま引き継いでいる。オリンピックと言えば平和の祭典であるし、開催することになれば大きな経済効果が生まれることはよく分かる。しかし今の日本は先にやんなきゃいけないことがあるはず。
311で史上最大の原発事故を起こしておきながらその収束がまだなされていない中でオリンピックはないだろう。今でも毎日福島原発からは大量の放射能が放出され続けてじゅうみんのかたがたは避難生活を余儀なくされている。何の対応もできないまま時間だけが過ぎてこともあろうに政府は収束宣言まで出す始末。その上活断層が真上を通る原発の再稼働はやろうとするし、新設の原発まで考えている。もし今でも大きな地震がきて福島の4号機が崩壊でもしようものなら日本は終わる。東京はオリンピックどころか人さえ住めなくなるくらいの事態になる。
原発事故の影響は世界中に及ぶことになるのにその罪悪感が今の日本には全くない。これだけ大きな原発事故を起こし収束に向かう努力も放棄するような国がオリンピックの誘致に名乗りをあげる資格などないはずである。まずは福島原発の完全廃炉処理と国内原発を10年でゼロにした後の話だ。オリンピックを東京でやりたいのは石原慎太郎や猪瀬直樹らの特権階級の人間だけであって一般庶民は決して賛成などしていない。誘致活動にはなでしこジャパンなどの選手や有名アスリートを担ぎ出し広告塔に使う手口を見せているが担ぎ出された選手も可哀想である。あまり積極的に石原慎太郎たちに協力する姿を見せ過ぎるとあちら側の人間と見られてしまい賢い選択とはいえなくなる。
マスゴミは必死にオリンピック誘致活動を応援し多くの国民の意識操作に入ると思われるが、そんな暇あったら福島原発の現状を報道するべきである。
むしろ、何も動かないのが、天下泰平の世の中であり、伝統的にそれを人民が願っているのだ。
「我々はどこから来たか」「何者であるか」「どこに行くか」という考え方はない。
日本語には、時制 (過去・現在・未来の世界を分けて考える考え方) がないからである。
一寸先を闇と見る政治家たちに行く先を案内されるのは不安でたまらない。
つかみどころのない人間ばかりの社会では、とかくこの世は無責任となる。
国がひっくり返っても、責任者は出なかった。その責任感の無さ。
人にはいろいろな意見がある。
だから、社会のことには、政治的な決着が必要である。
万難を排して、原発は再稼働を停止する。優柔不断では犠牲者・被害者が増大する。
これは、終戦詔勅を受け入れる時のようなものである。ことは人の命にかかわる問題である。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もつて万世のために太平を開かんと欲す。