天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

東光山徳応寺

2019年04月10日 | 豊の国
1864年2月15日神戸より着船した海舟・龍馬一行は、佐賀関港近くの徳応寺、福正寺に止宿。長崎からの帰りは4月10日。



徳応寺から下浦。徳応寺と椎根津彦神社からは東、下浦が見えます。



徳応寺本堂。1615年沖ノ島より移る。

肥後街道鶴崎宿に法心寺

2019年04月08日 | 豊の国


1601年加藤清正が鶴崎お茶屋脇に建立した寺。



 



 

神仏習合楼門。阿吽像、狛犬は早吸日女神社から移されました。



楼門手前に清正像。



楼門、鐘楼、清正が突き刺した杖が…の逆さ銀杏。



落葉後の裸の木は杖のように見えます。



裏から見ると…



清正大神像殿。清正は関ヶ原の戦後すぐに佐賀関、鶴崎、野津原、久住を所望。没する1611年までの間に路というより、神仏の教え、王道を求めたのではないでしょうか。肥後藩を継いだ細川氏も…

1635年参勤交代を徳川三代家光が制度化。その後、鶴崎は参勤交代路、豊後街道の終点船着場として重宝されたようです。熊本市桜の馬場・城彩苑の中にも清正像。



海舟・龍馬も佐賀関からここに…

大御代は ゆたかなりけり 旅枕 一夜の夢を 千代の鶴さき 海舟

海舟も清正の遺志と共に、ここ鶴崎でゆたかな大御代を夢みました。



法心寺そばの小学校校庭にお茶屋跡。



七月に行われる鶴崎二十三夜祭りは、清正の命日法要。清正大神像は神殿から本堂に移され、法要が営まれます。盆踊り鶴崎踊りの発祥は、酒色に溺れる宗麟を諌めるため。

肥後街道野津原宿加藤神社に法護寺

2019年04月07日 | 豊の国


野津原お茶屋そばには、楼門のある法護寺。



清正公殿は細川氏建立。





祭りの時にはご開帳。



野津原神社、清正を合祀して加藤神社。お茶屋裏門あたりになるとのこと。お茶屋跡は鶴崎と同じく、現在は小学校。



境内に乳根出来かけの杉。



毎年8月24日には清正公祭り。



野津原宿と今市宿の途中、矢貫の石橋







街道沿いには滝も

久住山猪鹿狼(いから)寺

2019年04月02日 | 豊の国
肥後街道から猪鹿狼寺、久住山。



楼門前に仁王像。





肥後街道を挟んで向かいに清正再建の健宮(久住神社中宮)





往古より久住山頂の御池を御神体として姫神を祀り、上宮神池として崇めた久住山社。645年孝徳天皇、第36代天皇(在位:645年- 654年)が彦五瀬命(ひこいつせのみこと)、神号健男霜凝彦神(たけをしもごりひこのかみ)を併祠。
伝教大師804年宇佐八幡参拝後渡唐、812年帰朝の砌、山社お堂に十一面観世音を安置して大和山慈尊院と号しました。
1044年、社は健宮社(現久住神社中宮)、お堂は1186年、巻狩り供養のための久住山猪鹿狼寺として現在の地に。ご本尊は法華経を守護する七面観音。



久住山南壁、大和山慈尊院



ここで身を清めて入山していたとされる山の神湧水。



久住神社上宮、猪鹿狼寺本堂跡のある南壁には観音様のお顔。



南壁の観音様が見つめる阿蘇五岳涅槃。