1601年加藤清正が鶴崎お茶屋脇に建立した寺。
神仏習合楼門。阿吽像、狛犬は早吸日女神社から移されました。
楼門手前に清正像。
楼門、鐘楼、清正が突き刺した杖が…の逆さ銀杏。
落葉後の裸の木は杖のように見えます。
裏から見ると…
清正大神像殿。清正は関ヶ原の戦後すぐに佐賀関、鶴崎、野津原、久住を所望。没する1611年までの間に路というより、神仏の教え、王道を求めたのではないでしょうか。肥後藩を継いだ細川氏も…
1635年参勤交代を徳川三代家光が制度化。その後、鶴崎は参勤交代路、豊後街道の終点船着場として重宝されたようです。熊本市桜の馬場・城彩苑の中にも清正像。
海舟・龍馬も佐賀関からここに…
大御代は ゆたかなりけり 旅枕 一夜の夢を 千代の鶴さき 海舟
海舟も清正の遺志と共に、ここ鶴崎でゆたかな大御代を夢みました。
法心寺そばの小学校校庭にお茶屋跡。
七月に行われる鶴崎二十三夜祭りは、清正の命日法要。清正大神像は神殿から本堂に移され、法要が営まれます。盆踊り鶴崎踊りの発祥は、酒色に溺れる宗麟を諌めるため。