久々に、あのQUONさん主宰のブログをじっくりと拝読させて戴きました。
名古屋市営バスでも今から一昔ほど前は市内ほぼ全域にて定番だった、いすゞ製の愛嬌豊かなキュービック型車両。
昔から全但交通と並んで、いすゞ天国とも言える三重交通でも、昨日限りで勇退した車両が発生。どうやらファン向けにお別れ会が開催されたようですね。
今回のイベントに使われた車両は何と27年間も使われたとか。中勢営業所の配属だった1213です。
名古屋市営バスでは平均18年間、名鉄バスでもせいぜい13年間ぐらいの使用と聞くから、この1213はホンマに長生きしたものですわ。長い間の活躍、本当にありがとう!!
ちなみに、しずてつジャストラインでは30年間も使われる場合があるとか。
確か名古屋市営バスにキュービック型が初めて現れたのは1973年頃かな。港車庫や浄心車庫、如意車庫等の配属が中心でしたね。
まだ後方幕が復活していなかったため、後ろの窓は縦方向にワイド!!前の窓も同様にワイドで、あたかも低床車両のはしりのようにも思えました。その後は全車庫に分散配置され、野並や緑の営業所管轄路線でも、すっかりお馴染みになりましたね。うん。旧・野並11、野並12系統でもいろいろとお世話になりましたわ。S-448とかS-565のことも未だに忘れられませんわ。
しかしながら今やメーカー間でのOEM供給も進み、昔に比べるとバラエティーが少なくなり、ちょいとばつかり残念な気もします。
いやぁ、それにしても三重交通の最近での商魂の逞しさには、今更ながらも脱帽しますわ。
取り急ぎ感想まで。
…………名古屋市交通局や名鉄バス、豊鉄バス等も、こういったファン向けのイベントをもっと行って欲しいですね。うん。さらに親しんで貰うためにも。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%99%E3%82%9E%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%AF
いすゞキュービックは1984年3月に登場し、公営では1983年度購入車に初導入されたものもあります。
まるはち交通センター
トップページ→市バス車両→市営バス過去の車両→昭和58年排出ガス規制適合車
昭和59年式~平成元年式 昭和58年排出ガス規制適合車(P-)
http://www.maruhachi-kotsu.com/buscar/801old_p.html
名古屋市営バスでも、1983年度(1984年3月式)でキュービックが初導入され、いすゞ配置営業所(港・浄心・如意)に配属されました。なお、浄心と如意のいすゞは各々約半数は富士重工業ボディでした。
名古屋市営バス最後のキュービックは、2000年式(※1999年度予算購入)のNS7(型式:KC-LV832L改 CNGノンステ)で、2008年度に研修車新1号車に転用され、2014年で廃車になりました。
トップページ→市バス車両→一般系統大型車両(引退車種)→[NS]いすゞノンステ(平成11年度式)
http://www.maruhachi-kotsu.com/buscar/333NS02.html
一般営業用では、1997年式S507(型式:NE-LV288N CNG車)が2014年に廃車になっています。
トップページ→市バス車両→一般系統大型車両(引退車種→)[S]いすゞツーステップ車その2
http://www.maruhachi-kotsu.com/buscar/331S2.html
1999年式・2000年式ツーステキュービックは、晩年は大森営業所にも大量に移籍し、幹藤丘1・幹本郷1(愛知淑徳大学学生輸送を含む)で、2011年度末の大森営業所のKC代ディーゼル車全敗まで活躍しましt。
トップページ→市バス車両→貸切・事業用車[K]研修車
http://www.maruhachi-kotsu.com/buscar/701training.html
2000年式キュービックCNGノンステNS7の研修車新1号車転用後のリンクを貼り忘れました。
晩年は野並営業所に配属。神宮11や野並11でも、極稀ながらも乗り合わせましたよ。
いすゞキュービックの登場は1984年3月であり、これについてはMさんご提示のウィキペディアに記載されている通りですが、1973年というのはいくらなんでも無理がありすぎではないかと思います。
下記サイトに川崎車体のスタイルの変遷の説明がありますのでご覧下さい。
川崎車体(路線バス) 岩手県のバス その頃
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/extra/primer/coach/body_local_kawasaki.html
上記サイトの1973年~1980年のタイプをキュービックと勘違いされたのではないでしょうか?
>港車庫や浄心車庫、如意車庫等の配属が中心でしたね。
市バスのいすゞが上記3車庫に集約されたのは1973年3月(登録ナンバーは名古屋22か900番台終盤~1000番台はじめぐらい)に初登場した型式名BU04以降であり、それ以前は1965年6月~1970年8月(名古屋2うナンバーの期間中)までは熱田、中川、稲西、稲葉地、御器所にも新製配置がありました。このうち、稲西は名古屋22かナンバー初回の1971年1月以降も導入が続き、1972年9月までいすゞの新製配置がありましたが、1973年3月より三菱ふそうに変更され、いすゞは浄心、如意、港の3車庫に絞られました。
>まだ後方幕が復活していなかったため、後ろの窓は縦方向にワイド!!前の窓も同様にワイドで、あたかも低床車両のはしりのようにも思えました。
下記サイトの下から2番目(岩22か1350)の画像が当時の川崎車体の後方行先表示がないスタイルになります。
オリジナル車 岩手県のバス その頃
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/kenkotsu/original/isuzu.html
名古屋市営バスの同スタイルの画像がネット上に見当たらなかったため、同年代の岩手県交通の画像で代替しました。
名古屋市営バスの低床車両が初めて導入されたのは1975年12月のS-1~3であり、1と2が川崎車体、3が富士重工でした。
フロントガラスは1972年9月まで全車体メーカーが中央と左右の曲面部分を分割した4枚構成だったのに対し、川崎だけは1973年3月から平面ガラス2枚構成をいち早く採用、他の車体メーカーも1974年6月から左右の曲面部分の分割をなくした2枚構成になりました。
いすゞが浄心、如意、港以外の車庫に転属するようになったのは、まるはち交通のリストを見る限り、
S-一覧表(1991年9月~) まるはち交通
http://www.maruhachi-kotsu.com/buscar/331S/isuzu_ver222.pdf
U-LV系以降がが多いですが、1991年4月25日~1993年4月10日まで浄心が建て替えのため営業休止中に同所のいすゞが大森、猪高、御器所、鳴尾以外の各車庫に疎開していたことがありました。その後、再開した浄心にほとんどの車両が戻りましたが、一部の車両は戻らず疎開先で廃車になりました。
Sー448は型式名U-LV224M、S-565はKC-LV280Nとなり、このうちS-565は茨城県の関鉄グリーンバスに移籍しました。
関鉄グリーンバス まるはち交通
http://www.maruhachi-kotsu.com/buscar/917kantetsu.html
>港や如意はキュービック、浄心はどちらかと言えば富士重工の車体が多かったような気がしますね。1975年頃は。
前のコメントでも申し上げましたが、1971年1月~1972年9月は浄心、如意、港以外に稲西にもいすゞを新製配置しており、この期間中は原則として如意、港は川崎、浄心と稲西が富士を導入していたので、1975年当時はその影響で浄心に富士が多かったのではと思います。