銀河夢急行

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私自身の千葉市内在居当時の京成電車も特集。

2025年03月04日 16時27分40秒 | 鉄軌道

私自身は特に千葉市中央区内に在居していた1969年春から71年春(中1〜中2時代)までは、京成電鉄、京成バスにも時々お世話になっていました。
その後も現代に至るまで、特に都営地下鉄浅草線内では京成電車のお世話になることが多いですね。
まあ、どちらかと言えば千葉線や今の千原線はあくまでも支線の扱いで、大抵は京成津田沼駅にて乗り換えを強いられましたが。
そのため、千葉から東京へ用事で行く時は国鉄総武・中央緩行線のカナリア色の101系電車に乗ることの方が多かったような。
京成電鉄やこれまでの新京成電鉄(→来月1日からは京成電鉄松戸線に………)は標準軌です。
しかしながら急カーブが多いせいか、車体は狭軌の名鉄電車よりもごく僅かながら短いですね。その点だけは実に惜しいところだが。うん。
また、京成電車は昔から日車豊川製が多いのも大きな特徴です。
昨日に購入した画像の写真集は、そうした今昔の京成電車や新京成電車を幅広く紹介しています。
奇しくも近鉄名古屋線の標準軌化とほぼ同時に、これらの京成グループは1372ミリから標準軌の1435ミリに軌間を一気に全線とも変更。あの近鉄でさえもなかなか真似が出来ないような大事業でした。
殊に新京成線においては戦後、二度も改軌したことになりますね。
標準軌化により、その後の都営地下鉄浅草線や京浜急行電鉄との相互乗り入れの下地が出来上がりました。
翌1960年には早速、京成側の赤電は東中山駅から東銀座駅までの直通乗り入れを開始。
しかしながら、京浜急行側からの直通乗り入れは68年までは待たされたようだが。
70年頃から京成・京浜急行の一般特急の相互乗り入れもスタートしていますね。
京成成田〜三浦海岸の直通速達列車もお馴染みになりました。その当時の主役は京急の初代1000系と京成の初代3300系でしたね。うん。


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