11月17日(日)
▲ 道の駅・禅の里 での朝
同窓会の案内状 今回は出席に丸をつけた。
昼過ぎに福井市内へ移動。
市内中央のホテルで、同窓会は午後2時から開かれた。
▲ 乾杯!!
11クラスで400余名の卒業生中、134名が出席だ。
▲ 「明新会」とはF高校の同窓会の連合会名だ。
F高校の前身は、福井藩の藩校明道館(明新館1855年設立)に遡る。
幕末の先覚者、橋本左内(1834~1859)は明道館の第二代校長だった。
明治になって、明道館はその後、福井県立福井中学校に引き継がれて、戦前まで続く。
▲ 深田久弥は福井中学校を1921年に卒業。第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部哲学科へ進む。
1964年にあの「日本百名山」を出版した。
一気に現存する卒業生へ。
▲ 政治ジャーナリスト・田崎史郎は1969年にF高校を卒業。
年齢的にはボクより一つ上。
見てるよ、がんばってね。
▲ 「サラダ記念日」の歌人・俵万智は、F高校の1981年卒業。
他にもいるが、省略(笑)。
あ、この方を忘れてはイケナイ。
▲ アパホテル・女社長 F高校1966年卒業。
幹事スピーチでは、42名の方が亡くなられたと。黙とうする。現在73・72歳の卒業生のうち約1割の方が亡くなられていることになる。
同窓会は、テーブル席はクジで決まったものの、立食形式なので、あっちへ行ったりこっちへ来たりで、それなりに知っている同窓生と話しはした。同伴者が亡くなったり、離婚したり、ボクを好きだったという人がいたり、目が耳がよく聞こえなかったりで、さまざま。されどわれらが日々は確かにそこに有って、134名の人生縮図がそこに有った。さすがに、もう自分の名刺を持って回るアホはいなかったが。
ボクは
同窓会は午後4時半まで続いて、その後は2次会へと。ホテルからマイクロバスで移動。かなりの方が2次会へも行かれたと思うが。ボクはそれは、もう行かなかった。
▲ そのままホテルを出て、午後5時ごろに駐車場へ戻った。
一次会では、ウーロン茶しか飲まなかったし、二次会はスキップしたので、アルコール無しで、運転は問題なし。
このPで車中泊は可能だが、もうこの地を離れたかった、帰りたかった。
GO !!
~・~・~
福井ICから北陸道にのり、米原手前の賤ケ岳SAで停車。
▲ ま、とにかく終わった、終わった。
お疲れさんでした。カンパーイ。
その夜は、色んな思いがうずまいて、眠れなくて、久しぶりに導眠剤を飲んだ。
遠く遠く 槇原敬之 歌詞付
この歳になっても
大事なのは、変わってくこと、変わらずにいること・・
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