遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

されどわれらが日々④~高校の同窓会(S45卒)に

2024年11月26日 | 一般旅

11月17日(日)

 

▲ 道の駅・禅の里 での朝

同窓会の案内状 今回は出席に丸をつけた。

昼過ぎに福井市内へ移動。

市内中央のホテルで、同窓会は午後2時から開かれた。

 

▲ 乾杯!!

11クラスで400余名の卒業生中、134名が出席だ。

 

 

▲ 「明新会」とはF高校の同窓会の連合会名だ。

F高校の前身は、福井藩の藩校明道館(明新館1855年設立)に遡る。

 

幕末の先覚者、橋本左内(1834~1859)は明道館の第二代校長だった。

明治になって、明道館はその後、福井県立福井中学校に引き継がれて、戦前まで続く。

 

▲ 深田久弥は福井中学校を1921年に卒業。第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部哲学科へ進む。

1964年にあの「日本百名山」を出版した。

 

一気に現存する卒業生へ。

 

▲ 政治ジャーナリスト・田崎史郎は1969年にF高校を卒業。

年齢的にはボクより一つ上。

見てるよ、がんばってね。

 

 

▲ 「サラダ記念日」の歌人・俵万智は、F高校の1981年卒業。

 

他にもいるが、省略(笑)。

あ、この方を忘れてはイケナイ。

▲ アパホテル・女社長  F高校1966年卒業。

 

 

 

幹事スピーチでは、42名の方が亡くなられたと。黙とうする。現在73・72歳の卒業生のうち約1割の方が亡くなられていることになる。

同窓会は、テーブル席はクジで決まったものの、立食形式なので、あっちへ行ったりこっちへ来たりで、それなりに知っている同窓生と話しはした。同伴者が亡くなったり、離婚したり、ボクを好きだったという人がいたり、目が耳がよく聞こえなかったりで、さまざま。されどわれらが日々は確かにそこに有って、134名の人生縮図がそこに有った。さすがに、もう自分の名刺を持って回るアホはいなかったが。

 

ボクは

 

同窓会は午後4時半まで続いて、その後は2次会へと。ホテルからマイクロバスで移動。かなりの方が2次会へも行かれたと思うが。ボクはそれは、もう行かなかった。

 

 

▲ そのままホテルを出て、午後5時ごろに駐車場へ戻った。

一次会では、ウーロン茶しか飲まなかったし、二次会はスキップしたので、アルコール無しで、運転は問題なし。

このPで車中泊は可能だが、もうこの地を離れたかった、帰りたかった。

GO !!

~・~・~

 

福井ICから北陸道にのり、米原手前の賤ケ岳SAで停車。

 

▲ ま、とにかく終わった、終わった。

お疲れさんでした。カンパーイ。

 

その夜は、色んな思いがうずまいて、眠れなくて、久しぶりに導眠剤を飲んだ。

 

遠く遠く 槇原敬之 歌詞付

この歳になっても

大事なのは、変わってくこと、変わらずにいること・・

 

 



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