大空を見上げて

日頃感じていること

恒子叔母さん

2008-05-12 | Weblog
 恒子叔母さんは明治44年生まれで今年97歳。
私の父の弟の奥さんです。
生駒市に住んでいます。
11日午前9時30分頃東生駒駅に着き、徒歩で叔母さんのお宅へ玄関先で私達を待っていました。
97歳とはとても見えないほどお元気で、頭も冴えていて驚くばかりです。
姿勢もよく、杖も使わずしっかりと歩いています。
私達が訪問した事をとても喜んでくれました。
私が4歳の時亡くなった実母と同じ年齢です。
今は週2回デイサービスに行っているとの事ですが、そこで作った陶器の皿や花瓶など見せてもらいました。
何事にも前向きで、常に新しいことにチャレンジする姿勢に教えられました。
パソコンもやりたい気持ちで、「私にできるかしら」と言ってました。
私の叔父であるご主人(検事から裁判官)を59歳で失くし、凡才の私とは違って優秀な二人の息子(同志社大出の銀行員)も9年前(次男60歳)と(国立大出の銀行員)も8年前(長男64歳)続けて失くし、試練の多い人生だったと思います。
でも良きお嫁さん、お孫さんと共に今もお元気で過ごしていて、ほんとに嬉しく安心しました。
私の小さい時の事を詳しく知っている唯一の叔母さんです。
「かっちゃん、ほんとに苦労したね。かわいそうだったね。でも絶対悪く言わず、
偉かったね・・・」の言葉に心から慰められました。
あっという間に時間は過ぎて、午後1時30分になり叔母さんは別れが辛いらしく今晩泊って明日一番に帰ったらと言い悲しそうな顔をしてましたが、仕事ががあるので仕方が無く手を握り顔を撫でてお別れしました。
帰りは優しいお嫁さんのH子さんにバス、電車で途中まで送っていただきました。

京都から新幹線で2時間とちょっとで車内で妻は少し疲れてウトウトしていました。
私は車窓から流れる景色を見ながら昔の叔母さんとの思い出を辿っていました。
叔母さんは若い頃女学校の教師をしてたそうです。
その時の生徒さんから今も便りが来るそうで叔母さんの人柄を表しています。
明治、大正、昭和、平成と人生を歩んで来られ想像を絶する困難、試練にあわれ、しっかりした心の強さに本当に敬服し驚かされます。
私は松田家先祖の長州武士の血をひいた叔父さんのさすが妻だと誇りに思います。もちろん叔母さんが今日あるのも長男のお嫁さんやご家族のしっかりした支えがあったからだと思い心より感謝しています。
(写真:おみやげに妻が編んだ毛糸のケープをかけて喜んでいる叔母)
   

            

            
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奈良へ

2008-05-12 | Weblog
 5月9日金曜日、東京駅八重洲より午後10時発の深夜バスにて夫婦で奈良へ。
目的は97歳の叔母に会う為で2ヶ月前より考えていた。
せっかく奈良まで行くのなら一日早く出て観光できないかと妻の希望でやっと実現した。
深夜バスは私達夫婦には初めての経験で、車内は椅子もユッタリでなかなかですがガタガタ振動がありあまり乗り心地は良くなくイマイチだと思いました。
翌朝7時頃奈良駅に到着、雨が降っていましたが、朝食後、興福寺~奈良国立博物館~春日大社~東大寺・・・と回った。
歴史の古い建造物はさすが素晴らしかった。
まだまだ見たかったが時間がなく、いずれまたゆっくり行きたいと思う。
ちょうど中国の胡錦濤主席が来ていて警官だらけだった。
博物館で2時間ぐらい見学しましたが、ヨーロッパの聖書の旧約時代の歴史又中国から日本の奈良へのつながり等興味深く、ヘッドホーンでくわしく説明を聞きとても勉強になりました。
東大寺では修学旅行の生徒への説明を一緒に聞かせてもらったが、ユニークなガイド(若い男性だったが)で、生徒さんたちと共にずいぶん笑わせてもらった。
私は最初後ろの方で一緒に聞いていましたが、移動する度にいつの間にか一番前にいてうなずきながら夢中で(?)。
気がついて慌てて後ろに下がり生徒さん達に悪かったと反省しています。
          
           
早めにホテルに入りゆっくり休んだ。
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