大空を見上げて

日頃感じていること

平和が一番

2010-08-09 | Weblog
今年も猛暑の中終戦75年目の記念日が来た。
毎年この時期になるとTVや新聞で反戦ドラマが放映される。
日本の歴史上過去の戦争の悲惨さ、又人間として命の尊さを次の世代に受け継いでいかなければならないと思う。

私は太平洋戦争開戦時、日本が真珠湾攻撃をした年に外地で生まれた。
その4年後敗戦、引揚者となりボロボロになりながら家財をすべて捨ててリュック一つで、
屋根まで一杯の満員の汽車に何日も揺られ釜山へ。
そして何日も港で待たされ引き揚げ船で長崎の港に帰国した。
敗戦の昭和20年代、日本全国にはアメリカの進駐軍がいて、私の思い出に小学2年のある日、学校からの帰り道アメリカの将校がすごい乗用車(キャデラックのオープンカー)に家族と犬をのせて走行してきた。
その格好良さに私は目を見張った。
ちょうど私の前でスラリとした大型犬シェパードが飛び降り、路地にいた痩せこけた日本犬を吠えながら追っかけ、日本犬はキャンキャン鳴きながら逃げ回っていた。
私はその時幼心に何故か勝者、敗者の違い、戦争に負けた悔しさを強烈に感じ戦争をやるからには絶対に勝たねばならないと思った。

私は今迄何度も書いたが、若い頃10年間、日本の自衛隊で最強の空挺部隊に籍を置き、猛訓練に耐えながら、日本の平和や安全を乱す敵からの攻撃があれば、純粋に命かけて戦うつもりでいたと思う。
厳しい訓練と隊内の厳格の規律の組織のなか10年間。その後退官した時、別世界の一般社会、自由で開放された日々の生活に平和が一番と真っ先に肌で感じた事も思い出す。
現在も、昔の猛訓練で汗を流した仲間と空挺同志会で年一回逢い、酒を飲みながら、訓練で養った戦う為の高度な技術を現実に使わない世の中で、本当に良かったと皆で語りあっている。
最後は肩を組み若い頃大空に花を咲かせた絆を思い出しながら「空の神兵」を歌いながら「乾杯!平和が一番!」「戦争は虚しい」とそれぞれ孫のいる年代、子孫の為にも心より戦争のない日本の平和を願い握手しながらの解散である。

      
         (写真:平和を願う日本最強の空挺部隊)
コメント (2)
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