大空を見上げて

日頃感じていること

昭和のさむらい

2010-08-16 | Weblog

 素晴しき想い出   
私は65歳で自動車学校を定年になり現在同系列会社の社長ドライバーを5年間させて頂いた。
社長と車内で二人の時が多い為、うちとけていろんな話をする事が出来た。
自宅に何度もお送りする事もあり、奥様とも度々お会いしているがとても言葉使いが上品で美人で育ちのいいお嬢さんがそのまま奥様になった様な感じを受けた。
先日、社長から奥様は旧姓今村といって、太平洋戦争であの有名な第八方面司令官の師団長の(ラバウル方面)今村陸軍大将のお孫さんとの事。
私は本当に驚いた。
終戦時、アメリカ連合国司令官大将マッカーサーが、今村均のことを真の日本のさむらいと誉めたと知っていたがそれ以上くわしい事は知らなかった。
その後、今村均戦記に書かれているがジャワの軍政について読ませて頂いた。
太平洋戦争中、現在でも知られるように多くの日本軍人が高圧的な態度で、占領した地域の住民を押さえつけた。
その中で、ほとんど今村一人といっていいくらい、彼だけが住民に対して誠実で、優しく、人心確保に心から努めた。
戦後の戦犯でも彼のこの恩義に感じ入って、多数の現地人が今村に会いに来て、無罪を主張したという。
言わば、この時代に数少ない「男の中の男」だと思う。
太平洋戦争は確かに悲惨で、他国に日本の悪印象を植え付けたが、彼のような立派な軍人がいたというだけでも、わずかながら救いだと思うし、日本人にとってもっと誇っていい人物だと思う。
今村家は信仰心の篤い家系で、大将の息子さんは大学教授を経て現在92歳、奥様によると「父は世田谷区のキリスト教会で自殺志願者の人生相談を担当している」とのこと。
    
(写真:連合国司令官マッカーサーが真の日本の侍と誉めた今村均陸軍大将)

  

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志賀高原

2010-08-16 | Weblog
 今日も朝から温度計32度、玄関先の植木に水をやるだけで汗が出る。
先日までの高原の避暑地が懐かしい。
12日から2泊3日で長野県の志賀高原へ行ってきた。

当日午後2時に宿泊地高原プリンスホテルに着いた。
気温20度くらいで涼しく同じ日本でもこんなに違うのか・・・
部屋から緑の草原が一望、窓を開け涼しい風を入れながら快適さに満足。
もちろんクーラーの設備もないし、夜窓を閉めても掛け布団が必要なぐらいである。
次の日ゴンドラにて標高2千の焼額山へ、遊歩道を歩きながらオオシラピンの林を抜けると、そこには美しい稚児池と高山植物が広がっていた。
午後はホテルの近くに森林の遊歩道があり、妻もまだま元気だったので3時間ほど散歩した。
夕食は広いレストランの中、バイキングで料理も豊富で美味しかった。

帰りはお盆帰りと前橋の花火の為大渋滞で3時間遅れで帰宅は11時半になってしまった。
しかしバスの中は快適で渋滞は覚悟していたので書物を準備、退屈はしなかった。

            (写真:標高2千の焼額山の稚児池)
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