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【すごい日本人】ラバウルを死守しマッカーサーに「真の武士道に触れた」と評された名将!

2021-08-02 | Weblog
【すごい日本人】今村均大将・ラバウルを死守しマッカーサーに「真の武士道に触れた」と評された名将!
 身近な事で、素晴らしく感動した想い出。   
私は自動車学校教官を定年になり5年間同系列会社の社長ドライバーとして勤務させて頂いた。
社長と車内で二人の時が多い為、うちとけていろんな話をする。
自宅に何度もお送りする事もあり、奥様とも度々お会いしているがとても言葉使いが上品で美人で育ちのいいお嬢さんがそのまま奥様になった様な感じを受けた。
私が若い頃自衛隊空挺隊員だった事から、社長が奥様は旧姓今村といって、太平洋戦争であの有名な第八方面司令官の師団長の(ラバウル方面)今村陸軍大将のお孫さんとの事。
私は本当に驚いた。
終戦時、アメリカ連合国司令官大将マッカーサーが、今村均のことを真の日本のさむらいと誉めたと知っていたがそれ以上くわしい事は知らなかった。
その後、今村均戦記に書かれているがジャワの軍政について読ませて頂いた。
太平洋戦争中、現在でも知られるように多くの日本軍人が高圧的な態度で、占領した地域の住民を押さえつけた。
その中で、ほとんど今村大将率いる将兵は第八総司令官として住民に対して誠実で、優しく、人心確保に心から努めるよう指導徹底した。
戦後の戦犯でも彼のこの恩義に感じ入って、多数の現地人が今村に会いに来て、無罪を主張したという。
言わば、この時代に数少ない「男の中の男」だと思う。
太平洋戦争は確かに悲惨で、他国に日本の悪印象を植え付けたが、彼のような立派な軍人がいたというだけでも、わずかながら救いだと思うし、日本人にとってもっと誇っていい人物だと思う。
今村家は信仰心の篤い家系で、大将の息子さんは大学教授を経て現在92歳、奥様によると「父は世田谷区のキリスト教会で自殺志願者の人生相談を担当している」とのこと。
奥様の弟達は航空自衛隊のジェットパイロットだそうです。
今村大将は1968年10月4日(昭和43年)に82歳で安らかに天国に旅立った。
今村大将の妻、銀子夫人は1927年子供三人を残して30歳の若さで一歩先に天国へ逝ったとの事。
私は社長の奥様は素晴らしい人格者の祖父を持って幸せだなぁーと思う。

玉砕覚悟の部下に戦後に礎発展に為尽くせと命令、日本兵を無事日本故郷家族の元へ
今村均大将第八軍総司令官は10万人の日本兵を無事帰還にさせた
ラバウル小唄 兵隊節を歌う緑咲香澄
戦後の帰還兵 空母「葛城」でラバウルから帰国
ラバウル小唄 鶴田浩二

                  現在のラバウル

          
    
  
コメント (4)
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