私が習志野の空挺学生を卒業、晴れて落下傘隊員になり群3中隊(同期30名)に配属されたのは19歳の時だった。
自衛隊の最強部隊習志野第一空挺団中でも、地獄の群3中隊の厳しさは当時有名であった。
荒っぽい血染めの歓迎式は伝統でもあった。
群3中の中隊長は林3佐(少佐)で、日本の空挺、及び富士レンジャーの他アメリカのテキサスレンジャー(グリーンベレー)をトップで卒業。(USA記章、記念品に最新式の拳銃贈られ帰国後所属中隊の武器庫に保管)
私が初めて隊長を見た時、身長1m80cmでスラリ。
顔は細面で鼻ひげが似合い、胸に空挺記章及び日米のレンジャマークをつけ格好良く、外国の映画俳優の様に見えた。
最初の隊長の訓示は、「いろいろ規則、決まりはあるがすべて守らなくていい!俺について来い!」だった。
例えば「外出してやくざ、与太者とトラブルになったら絶対負けるなとことんやって来い」など。
当時船橋は飲み屋街が多くチンピラ、やくざ者の町と言われた。
空挺隊員の外での喧嘩は各週刊誌を騒がせた。
北海道の演習で風が強く、降下中止の指示があったが私達一番機同乗の中隊長は「何だ、こんな風、俺に続け」と真っ先に飛び降りた為、隊員は全員飛び降り二番機、三番機と他の中隊も後に続き1500名の隊員全員降下した想い出がある。(20~30人骨折又は軽傷がでたが問題なし!中隊長談)
まだ話題は山ほどあるがちょっといろいろ問題がありブログには書けないのが残念。
「三和会記念品」
その群3中(三和会)としてOBや現役の親睦会が先週土曜日19時船橋のホテルで盛大に行われた。
日本全国から集まったOB達。四国出身の壮烈鬼隊長林3佐は3年前亡くなった報告があった。
葬儀に行った人から、正面の写真は鉄兜をかぶっていたとの報告があり、隊長らしいといろいろ思い出し、語り合い武士魂を感じながら強者を偲んだ。
今回、群3中隊の現役隊員は海外派遣で二年前イラクに派遣勤務後東日本災害で福島へ、又ジブチ共和国への派遣で今年無事二月帰国したばかりで日本国の為本当にご苦労様と頭の下がる思いである。
又この度の我々OBの為この会に参加し格闘技、ダンス、漫才など催し物などで盛り上げてくれた。
最後は現役OB共に300名全員20歳から80歳まで、上半身は裸で肩を組み「男の絆」を感じながら群三中隊歌を歌い、10時に又の再会を楽しみにしてホテルを後にした。
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元特科隊員でした(笑)
ふじやん様は同じ釜の飯を喰った仲なのですね。
お互い人生の中で素晴らしい体験をしましたね。
あの頃を時々思い出しながらふじやん様もお身体に気を
付けて頑張って下さい。
教育隊は武山でした
区隊長や班付きは空挺部隊の人でした
とても楽しかったです
( ´∀`)
時々 自衛隊に戻りたくなります(笑)
辛い事の方が多かったですが皆に励まされ頑張れました(笑)
私も新隊員教育は武山で区隊長は空挺上がりで名前は定かではありませんが「ツカダイラ三尉」と記憶しています。ふじやん様の年齢が分かりませんが同じ時期か又同じ教官のもと汗を流した仲間だった思います。
懐かしいですね。又ご訪問コメントよろしくお願いします。
平成9年入隊で13年に除隊しました
機甲科を志望しましが特科になりました(笑)
戦車が大好きです(笑)
ヤクザとの抗争の話は区隊長から聞きましたよ(笑)
大昔は中隊長が先陣切って部隊で小銃や無反動砲を持って事務所まで行ったとか!?(笑)
自衛隊らしくて素敵な話です(笑)
自分の居た駐屯地(宇都宮市)にもヤクザ組織に一人で立ち向かった英雄がいます(笑)
当時は凄かったんですね(笑)
今の隊員はちょっと何かすると、新聞の記事又ニュースになり罰則、及び免職処分となりますので無茶は出来ませんね。
私は自衛官として約10年勤務して一般社会(自動車学校)で40年勤め一昨年定年退職しました。
ふじやん様はまだ35歳、社会でバリバリ働いていらっしゃると思います。いろいろな社会の荒波にぶつかると思いますが、自衛隊時代の根性で乗り越えて頑張って下さい。
零戦とか大和とか大好きですよ(笑)
実際に近所に住んでいたお爺さんが海軍にいて戦艦武蔵や長門に乗艦していました
戦後は陸上自衛隊の施設科で勤務され御子息方は全て自衛官をされてます
生粋の軍人一家です(笑)
なんか軍隊に入ってやろうと決心したのは高校生の頃でした
今思えば当時は軍人の姿に憧れを抱いていたのかも知れません(笑)
母方の父親は陸軍にいて満州にいました
戦場では足に被弾したそうですが命辛々と生還を果たしました
既に他界されましたがなんて勇ましい人生を歩んだのだと思いました
やはり男は強くあるべきだと思います
自分の身は自分でしか守れません
再び日本が戦乱の世に巻き込まれぬ様に祈ってはいますがやはり人間は欲望に満ちた残酷な生き物ですから戦争は起きると思うし無くならないと思っています
空挺時代、地獄のレンジャー訓練、250K完全武装行軍、真冬に丹沢山脈雪中越え等経験しました。
その頃、休日に私服に着替え外出で街に出た時、食べたい物、音楽等自由でのびのびしている社会をみて平和が一番と感じた事を今でも思い出します。
*ただただ戦争のない平和を願っています。
近所の公園でRCの90式戦車で遊んでいたら子連れの外人がいました
子供がRC戦車をやりたそうに見ていたので貸してあげました(笑)
スリランカ国籍の人でした
『僕たちはスリランカからやってきたのですが内戦がやっと終って安心しました』と言ってました
『自分は日本の軍隊に居たんです』と話したら色々と質問をされ話に花が咲きました(笑)
『日本の戦車はアメリカ製なんですか!?』と聞かれて『三菱が作ってますよ』と教えてあげました
スリランカではロシア製の戦車が戦っていたそうです
自分はリビアのカダフィ大佐が好きだと言ったら彼はとても良い人で国民の為に尽くした偉人だと言っていました
新聞やテレビの言う事なんて信用できないですね
どうせアメリカにとっては邪魔な存在だから消したのでしょう
なんて酷い事だと思いました
そして自分が戦争なんて無くなればいいですねと言ったら…
いやいや
無理
人間は欲望に満ちた生き物だから戦争なんてなくならないと
それと日本は平和でとても素晴らしい国だよと言っていました
その一言でなんか目が覚めた様な気がしました
世の中の現実をしっかりと受け入れなければ生きて行けないんだなと
そんな人と出会えて良かったです
空挺は新教前期に腰椎検査で引っ掛かり、悔し涙を飲みました。
結局、空挺の夢が叶わず、連隊での目標を見据える事が出来なかったので、2任期で退職しました。
色々とありましたが自衛隊が大好きであり、仲間にも大変恵まれました。
今でも辞めた事が間違いでは無く、それ以上に貢献できるよう日々努力しているところです。
現在では人をお護りする事業で独立し、自衛隊で学んだ事を遺憾無く発揮させて頂いております。
貴殿の空挺でのお話は連隊でも伝説になっております。
私の出身部隊も、歌◯伎町での伝説が多々あります(笑)
訓練隊での転地訓練では習志野駐屯地の空気を実際に感じてみて「精鋭無比」や、空挺兵としての良い意味で「独断実行」の精神を肌で感じる事ができ、改めて憧れたものです。
自衛隊や人生の先輩として敬意を表すると共に、こらからも躍進される事を応援致します。
通りすがりに失礼致しました。