-写真の部屋-

奥野和彦

防犯カメラで考える

2017-08-07 23:23:35 | 写真


今はお店はもちろん、街中(まちなか)でも
防犯(ぼうはん)カメラが設置(せっち)してあります。
たとえば先週、白金でガチャガチャの前の
女の子2人の後ろ姿を撮らせてもらい、
歩き出したら、頭上に防犯カメラがあって
レンズと目が合いました。
別に何も悪いことはしていませんが
もし、あの付近で子供達に何か事件や事故が起きて
犯人さがしになった時には
「あやしい男」としてうたがわれてしまうかもしれません。

街が好きで、人間の生きる世界が好きで
それを写真に撮っていたいと思っている
私のような人には、そういう可能性(かのうせい)があります。

まぁ、あちこちの防犯カメラで撮られている
ということは、何もしていないこともちゃんと
順を追って撮られているのでしょうから
白金の駅、
のりかえの駅、買い物をした店、
北越谷駅までちゃんと帰ってきて
最後は時間通りに帰ってきたマンションの
防犯カメラに写っていればいいのですが。

かんたんに写真がだれにでも撮れる時代になって
撮られるがわになることも増えました。
写真は人を傷つけたり
自分を傷つける武器(ぶき)になる時があります。
自分が撮られたら嫌だな、と思う写真は
撮るのはやめるべきだな、と思います。
うっかり撮れてしまった時は人に見せるべきではないし
消去(しょうきょ)した方が良い。
それから街で写真を撮るのは
そこにいることを撮られたくない人が写ってしまったり
車のナンバーが写ってしまったり、ということもあります。
そういうことに気をつけながら写真を撮っています。
インターネットにのせるときも気をつけます。

時々、何も迷惑(めいわく)かけてねえじゃん。
法律(ほうりつ)で決まってねえじゃん。と
乱暴(らんぼう)なことを言ったり、好き勝手なことをする人がいます。
例えば電車の中。
足を組んだり、荷物を自分の横の座席に置いたり
大きい声で携帯電話でしゃべったり。

法律でつかまらなくても、
直接(ちょくせつ)迷惑がかかっていないように見えても
自分ではない他の人が
イヤな思いをしたり、心に傷をつけたりするようなことは
してはいけないのです。

そんなこともわからないような人間が
あまりにも身勝手(みがって)な行動をした時には
容赦無く(ようしゃなく)写真がそれをあばくかもしれないですね。
イヤだの、撮るなだの言わせない。
写真が武器になる時であり
写真をちゃんと勉強した者にできることです。
お前がやってんのはこういうことだ、と突きつけられる。
報道写真(ほうどうしゃしん)というのがそういうものです。

…ちょっとむずかしかったですね。



ボールを投げる

2017-08-04 20:14:04 | 写真


ボールを投げる。
ボールを投げるというのは人にとって難しい体の使い方なのだそうです。
考えてみれば、関節(かんせつ)を相当むずかしく動かして
ボールを投げる、という動作が出来上がっています。
それにしても虫の関節はかたそうですね。
ボールを投げることはできるだろうか。

まだ、ボール投げをしたことのない子供に
ボールを投げることを教えるのはとてもむずかしいです。
それから、人はそれぞれ骨格(こっかく)のちがいや
筋肉(きんにく)のつき方が違うので
特に子供のうちは、この投げ方にしなさいと
いちがいに教えてもできないこともあります。
多少ヨコから腕が出てしまっても
あまりにも故障(こしょう)を起こしそうな投げ方でなければ
その子なりにボールを投げられるようになりながら
修正(しゅうせい)していってあげるのが良いのではないかと
私は思っています。

キャッチボールができてないと言われて
相手にちゃんと届くことばかり気にして
肩を回せず、ヒジから先だけで弱々しくボールを
投げることが身についてしまっている子がいます。
ヒジもすぐに悲鳴(ひめい)をあげそうです。
結局それは高学年になって遠投(えんとう)が必要になった時につまずくし
コントロールが多少後回しになっても
低学年のうちからしっかり肩を回して腕を振って、ボールを強く
投げるようにしてください。
時々私が地面にボールを叩きつける練習をさせますが
あの勢いで腕を振れるようになって欲しいのです。

で、腕を振れるようになると
今度はコントロールが必要になりますが
みんな、もっと「ボールのにぎり」をしっかりして欲しいと思う。
2年生ぐらいまではまだ2本の指では投げられないかもしれませんが
わしづかみで思い切り腕を振って投げても
まず、ちゃんとボールを離せなさそうだな、と
想像しただけで、もうわかりませんか?

腕はしっかり振る。
それにコントロールと推進力(すいしんりょく)
推進力というのはボールが空気をきりさいて
前へ進んでいこうとする力のことですが、
コントロールと推進力をボールにつけるのが
2本の指で最後にピシッとかけるスナップです。
この時にかかるボールの回転は投げる人によって違います。
投手としてはそれが「持ち味」になるのです。
野手にしてみれば、レーザービームのような返球が
できるかどうかが、この普段の練習にかかってきます。

さ、やってみましょうか。







写真を撮る

2017-08-03 21:33:24 | 写真

東京カラー図鑑:港区白金一丁目(みなとくしろかね)

白金は高級住宅街(こうきゅうじゅうたくがい)と言われています。
理由はいろいろあると思いますが、その事はおいといて、
いつも通り今日仕事で行った街として話します。

高級にご縁がないのか、
白金あたりには今までほとんど行ったことがありませんでした。
なので今回はちょっとちゃんと歩いてみようと思ったのです。

地下鉄の白金高輪駅が出来たのは2000年。
さすがに新しい駅なので地上の高層(こうそう)マンションとつながっています。


歩き始めて最初に見つけたのは公園と、
そこにあるネットで囲(かこ)われた球技場(きゅうぎじょう)。
この中はボール遊びをしていいのです。
越谷では公園でのボール遊びはほとんど出来なくて、
自分で練習して来なさいと言ってもなかなかむずかしいのが本当の所です。
広くはない球技場ですが、小学生のピッチング練習ぐらいは出来そうです。
予約もいらないみたいだし、ゆずりあって自由に使うんですね。
でも、越谷にあったら野球の子だけでも取り合いになってしまって、
他にもサッカーやドッチボールをしたい子がいるとしたら、
10や20か所作っても全然足りない。
やはり、都内の高級住宅街だからこその施設(しせつ)かも知れません。
逆に、そういう球技場は無くても、
何とか場所を見つけて遊んでしまえるのも越谷のいい所でしょう。


キョロキョロしながら歩きますが、もともと歴史のある街なので、
古い家もアパートも団地もお店もたくさんあって
「高級だぞ」と気どった感じもなく、懐(なつ)かしい感じでした。


これは古川です。
東京では、高度成長期(こうどせいちょうき)に
首都高速道路(しゅとこうそくどうろ)を川の上に作りました。ここもそうです。
越谷の川とは眺(なが)めが違います。
日本橋(にほんばし)という日本の道路、
交通の基点(きてん)となる橋の上にも高速道路を作ってしまい、
空も見えないような眺めにしてしまったので、高速道路を作りなおして
橋の上は空が見えるようにしようと話が進んでいます。

古川をわたったところの
アニメーションのスタジオで仕事をして駅まで戻って来たら
 ‼️
なんと球技場の中ではワンちゃんがお姉さんとボール遊びをしてました。
世の中を見るということはこういうことが面白い。
想像(そうぞう)もしなかったことが起こっていることが面白い。
犬が遊ぶとは考えもしませんでした。でもそれもありか…

と思いましたが、「利用について」の看板(かんばん)に
ペットの入場は禁止(きんし) と書いてありました。
しかも、犬はこの中でオシッコもしました。それはいけませんね。
ちょっと高級住宅街にはふさわしくない光景(こうけい)でした。



ここも週末は盆踊りが開かれるようです。
少し懐かしい感じの街も残り
都会的な風景の中で普通に遊ぶ子供の姿もあり
写真をずいぶん撮りました。
いつも、このFileで書いていることですが
今日も日本のどこかの行ったこともない場所で
そこの、いつも通りの普通の風景の中で
いつも通りのことや、考えもしていなかったことが
起こったり、起こらなかったりしていると思うと
時間とはなんだろうか。
場所とはなんだろうか。
世界は面白いなあと思うのです。
それが写真を撮って世界を集めたくなる理由です。







ちょっぴり歴史『黒船』

2017-08-02 22:45:24 | 写真

東京カラー図鑑:江東区台場(こうとうく だいば)

今日の写真はお台場海浜公園からレインボーブリッジを眺めています。
と言っても、撮ったのは昨日。

江戸時代、アメリカの軍人ペリーが船でやってきて
そのころ、まだ鎖国(さこく)と言って よその国と関係を
持っていなかった日本に、国を開いてよその国と行き来をし
貿易(ぼうえき)をしようと言いました。
日本人の見たことがないような形の大きな黒い船で
空砲(くうほう)、弾(たま)を入れずに音だけの大砲を鳴らしながら
あらわれて、人々はその船を『黒船(くろふね)』と呼びました。

そのときに来たのは今の神奈川県久里浜(かながわけんくりはま)で
返事をまた聞きにくると言って帰りました。
しかし、日本幕府(にっぽんばくふ)は
ペリーが次にやってくるときに江戸の中まで来られるのは
恐ろしいと考え、
東京港の河口付近に大砲(たいほう)を撃(う)つための台、砲台(ほうだい)を作って
実際に、ペリーは江戸(えど)、今の東京までは入ってこれませんでした。
この砲台を、幕府に敬意(けいい)を表して「お」をつけて
お台場と呼ぶようになりました。
ペリーが2度目に来て上陸(じょうりく)したのは横浜市で、このときに初めて
日本とアメリカは友達になります。という
「日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)」を結びました。
写真中央から左側に写っている
こんもりと緑のおいしげった島のようなところ、
これがお台場です。



昨日は朝早くこのお台場から仕事が始まりました。
ゆりかもめを降りたとたん、セミがギャンギャン鳴いていて
都内の割にはずいぶん鳴いてるなと思いましたが
これだけの緑があれば、セミも暮らせますね。