くつろぎの隠れ家風古民家【丹波篠山まつかぜ屋】

名古屋コーチン・丹波篠山牛・猪肉料理など。完全予約制。駐車場有り。駅弁「新デカンショ弁当」の予約販売も。

残骸

2010年08月06日 | Weblog
今日、8月6日は、広島に原爆が投下された日です。

広島市中区の平和記念公園では、今まさに平和式典がとり行われていることでしょう。

前日の昨日、コープこうべの「広島平和使節の旅」に応募し、広島に行ってきました。

日帰りなので、早朝に篠山を出発し、深夜に戻ってくるという強行軍でしたが、あらためて核兵器や平和などについて考え直す、よい機会となりました。

日本生活協同組合連合会・広島生活協同組合連合化の主催で、広島県立総合体育館グリーンアリーナで開催された、「2010ピースアクション in ヒロシマ」(虹のひろば)では、秋葉忠利広島市長のメッセージ(ご本人による講演)や竹本成徳さん(元日本生協連会長)の自らの被爆体験談が、重く心に響きました。

猛暑日の炎天下、平和記念公園をフィールドワーク(ボランティアガイドによる案内付き)するのは、かなりハードで、暑さに参ってしまいそうでしたが、原爆を浴びた人々は、一瞬にして生命を断たれ、或いはこの世のものとは思えない残虐な事態に遭遇していたことを思えば・・・・。

平和記念資料館は、以前も訪れたことがありますが、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料などは、直視できなくて、思わず目をそむけてしまうような展示が多々あります。

しかしながら、このような悲惨なことが、かの地で、現実としてあったということを、深く心に刻み、核兵器が二度と使われることが無いようしていかなければならないと、強く思います。

以下は、広島原爆投下の象徴ともいえる「原爆ドーム」(写真)の前の碑に刻まれている言葉です。

『昭和20年8月6日、史上はじめての原子爆弾によって破壊された、旧広島県産業奨励館の残骸である。

爆弾は、この建物のほぼ直上600メートルの空中で爆発した。

その1個の爆弾によって、20万をこえる人々の生命が失われ、半径2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した。

この悲痛な事実を後世に伝え、人類の戒めとするため、国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって、補強工事を施し、これを永久に保存する。

昭和42年8月6日』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする