FRIARS'N'SNIFFERS

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広島ボーダーでのギグ②

2014-03-27 21:09:00 | ucchhy
続きな。

90年代から2000年代頭までは広島にはネオポリスホールでのギグが常箱だった。
広島音楽シーン名門ウッディストリートの移転し改名したその場所は広島駅前の雑居ビル。
ここでたくさんのPUNK/HCをインディー、メジャー問わず観たのだけど滋賀/大阪のCLAMPDOWNを観た時に客席に現メンバーが観に来ていた。
噂に聞くLAST REJECTION・・・
そう教えられたが全く喋らなかった。
仲良くなるのはあともう少し先。
(追記・恐らく2004~2005年かな?てことはもう10年か!)

そう、いま思えば彼らと初めて会ったのはここ広島だったのだ。

しかしネオポリスホール移転に伴い広島随一の歓楽街は流川にあるクラブボーダーでのイベントが主流になっていた。
場所が場所だけにヤバい空気感ある箱にパンクにうってつけ!そう感じていた。
(いま特に音もラウドでほんとイイ箱よねー)

ここボーダーで名イベントHOWLING COMMUNICATIONに出演。

燃えない訳ないだろ?
必要以上に燃えていた。

ところが内情は前日記に書いたとおり。
俺の心は複雑だったし何よりこの頃、勤務している会社で福山→広島を行ったり来たりの多忙だったのだ。あの忙しさの中でバンドが続くのか終るのかに揺れていた・・とても辛い時期だったな・・。

このボーダーでのギグの三週間まえに岡山ペパーランドでのギグがあったのだけどそこでなんか「取り戻すギグ」が出来て確信していた、俺はキメれる!と。

散々バンドをやるやらないを繰り返したメンバーもまたやりたいと言ってきた。

ここで男らしく
「ふざけんな、もうオドレに振り回されんわ!」
とか
優しく心広く
「うん、今までの事は水に流してまた頑張ろうな!」

って言えたら俺はあんなに悩まなかったよ。

俺が言った言葉は
「ボーダーのギグが終わったらまた話そうな」
だった。

ひどいよな、俺。

③に続く。