2025年1月25日、津山城に登ってきました。
日本100名城67番目です。こんなトコにあるのですよ。
私は2回目。
行き方はJR岡山駅から北上する手もあるのですが、直通高速バスがありましたので、利用することにしました。
6時半発、津山駅行き急行301号です。
例のごとくベルトをして、しばらくすると失神、休憩所で起きてまた失神。
9時40分には津山駅に着きました。
武家屋敷柄のJR津山駅。
津山出身幕末の蘭学者、洋学者である箕作阮甫(みつくりげんぽ)さん。
ペリー来航時のアメリカ大統領国書や旧約聖書の翻訳、医学教授に努めた人なんです。
その奥には機関車がありました。
C11型機関車ですね。おっと城に向かわねば。
歩いて15分です。
河童。津山にはごんごという河童伝説があるそうです。
鶴太郎さんという河童。
マンホールまで河童。石垣がきちんと描かれております。
15分ほど歩くと……あ、見えてきましたよ。
壁状態の石垣が見えますよ。
城内の池の上にも石垣。こちらは裏門ですが、今日現在は入れないみたいです。
正門側に回ります。
良い感じに道が伸びています。
石垣、凄いなあと感想が洩れてしまいます。
延々と続くのですよ。
こちらは大手口、坂道を下ると駅の方へ向かいますよ。
史蹟津山城址とその脇は、石垣になれなかった切り出された石です。
当時は天守が五重?それは凄いですね。
森忠政さん。
宇佐山城で戦死した森可成の六男、つまり森蘭丸、力丸、坊丸の弟です。
森可成の戦死した宇佐山城に行った話はこちら。
忠政も当時12歳で小姓として信長に仕えていましたが、同僚と喧嘩した結果、親元に戻されています。
親元、つまり森可成は戦死していますので、森家後継ぎの森長可のところ、美濃金山城に戻されている訳です。
鬼武蔵こと森長可の元ですねえ。美濃金山城に行った話はこちら。
従って本能寺の変が勃発すると、変には巻き込まれず無事でした。
安土城にいたそうで、母と一緒に甲賀方面に脱出して兄の迎えを待っていたそうです。
しかし兄の森長可も小牧長久手の戦いで戦死しちゃうので、6人兄弟のうち5人が死亡、唯一の生き残りは森忠政さん。
森家を継ぐしかないのです。まるでプライベートライアンみたいなお話ですね。
しかしこの像はハンサムではありません(笑)
受付があり310円をお支払いして中に入ります。
もうね、序盤から重厚な石組みなんですよ。
ね、ね、ね、重厚と言っても良いでしょう?
白亜の備中櫓がやけに遠くに見えます。それだけ規模も大きいのです。
鶴山館という藩校兼道場の跡。
森家系図です。本当に6番目の男子でした(笑)
再び探索をします。しゅ、しゅごい石垣。
広い道とそれを囲む重厚な石垣にため息が出ます。
脇の道があります、登ると第二次世界大戦の忠魂碑がありました。
そこからも備中櫓が見えております。
階段を登って、登って、石垣を越えて、越えて、渡って、渡って。
まだまだ天守も備中櫓も先です(´・ω・`)
桜の木々もあちこちに植えられています。桜の時期は凄そう。
あれ、この先は入ることができません。違う方向へ向かいましょう。
ここを登ると……
太鼓櫓と鐘が見えますね。
ここを登るのかな?
あれ?行き止まりでした、鐘の方へは行けません( ;∀;)
やっぱりこれ以上鐘の方角へは行けませぬ。
反対側には備中櫓があります。中に入れそうです。
ひびが入っております。
広い広い備中櫓。
2階にも上がれますが滑りやすくて手すり必須です。
客間です。
ここは、森忠政が娘婿の鳥取藩主池田備中守長幸さんが津山に来た時のために作った櫓なんだそうです。
娘婿の官職である備中から建物名が取られているのです。
釘隠しは金色でした。
2階の窓から天守台が覗くことができました。
襖に貼られたのは日本航空JALさんの……ではなく森氏の家紋鶴の丸。
1階に戻って順路を進むと厠がありました。
こちらも客向けのお部屋です。違い棚があるのですぞ。
一番奥には茶室があるのでした。
出入口に戻って売店があるので、戦利品を入手です。
御城印。
津山城は日本三大山城、他の2つはどこでしょう?
志の輔師匠じゃあるまいし(笑)、お聞きしました。姫路城と伊予松山城なんですって。
どちらも現存12天守ですから強力なライバルですね。
お城カードですが、全部ピンクです。お花見の季節も良いのでしょう。
では備中櫓の外に出て、天守に向かいます。
あの中に入るのです。
ダンジョン感があるのです。
迷ってしまいそうです。
なかなかたどりつけません(´・ω・`)
ふーむ、これは門の跡でしょうかね。
どこから入るんじゃーい(笑)
あ、ここです、良かった、見つかりました。
たまりませんねえ、ここ凄い好きです。
この赤く囲った場所、ハートの石垣なんだそうです。
言うほどハートではありませんでした。
在りし日の津山城。4層か5層か。
真上から見た天守台です。
古図の津山城、やっぱり5層ですかね。
しかし櫓の数が多くて凄いです。
VRの津山城、見ごたえがありますです。
鐘が遠くに見えます。降りましょうか。
い、井戸です。結構怖い感じです。
あの映画の井戸に見えてしまうのです((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
!!!
水を湛えています、落ちたらあかん!!
違うルートを楽しみながら外に向かいます。
大手口を降りて振り返りました。
規模の大きさを改めて知ることができましたね。
離れたところに京橋御門跡。
一番下の赤いところにいる訳です。
津山駅にやって来ました、ここからが岡山駅に向かおうと思います。
約1時間半、この列車に揺られて岡山駅に到着しました。
でわ、また。
津山、、懐かしいですね〜
私ね、津山のローカルテレビ局に
出演する仕事で訪れたんですよ
津山城の石垣に圧倒されましたよ
戦う城ってイメージですね
築城は森蘭丸の弟の森忠正だったよね
彼は肥前名護屋城や伏見城の築城にも
携わってたから
築城の名人って思いました。
天守閣から通路が全て見られて
何処から攻め入られてるのか
丸みな構造に感心しましたよ(^^)
まさに難攻不落の城ですよね
それに櫓の多いさ
大小100ヶ所
城は櫓でもつと言うから
攻め側も心が折れますよ😊
これからも城のブログ
楽しみにしてます(^◇^)
はえ~津山のテレビ局でお仕事ですか、それは凄いです。
確かに築城の名人と言って良いですね。
櫓も多くてビックリでした。
仮想敵はどこだったのでしょう、まさか岡山池田家?
な~んて。
お楽しみにしていただきありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
津山城の天守閣は
私が住んでる北九州の小倉城の
天守閣を模して作られたらしく
当時の小倉城藩主は細川忠興が
喜んで完成時に釣鐘を送ったらしく
明治まで天守閣に飾ってたみたいだよ
小倉城の天守閣は幕末に
長州藩に攻められて燃えてしまい
現在の天守閣は
昭和に再建された天守閣なんだけど
築城時とは全く違う天守閣でね
再建する時に何故津山城天守を
参考にしなかったのか不思議ですよ
多分、、再建する時に
時代背景を知らない人達が
計画したんでしょうね🤗
残念ですよ
天守の話は聞いていましたが、鐘の話は初めてです。
細川忠興さん、妻に対するサイコパスの逸話ときつい性格の話ばかりかと思っていたのに、良い話があるんですねえ。
見直しました(笑)
ご教示ありがとうございました。