馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

松平東照宮と松平城に行ってきました

2023-01-09 02:00:24 | 城攻め

2023年1月8日大給城を経て、御城印をいただくために松平東照宮に向かいました。

大給城からざっと5キロくらいです。歩くには大変ですので、引き続き車で向かいます。

でも山道ですので急カーブが続いたりします。

松平東照宮、正確には松平郷のHPはこちら。

松平郷

大河ドラマどうする家康も始まることですし気合い入ってますね!\(^o^)/

さて国道301号を東に走り、松平東照宮の表示が出たので左に曲がります。

駐車場は意外と多いのですが、参拝者も結構たくさんです。これからしばらくは増えるかもしれませんね。

郷の地図。赤いところが現在地ですが、すぐ神社、しばらく行くと高月院というお寺がある様です。

入り口には松平城に行く道がありますが、後にします。

松平氏の家系図です。大給松平の乗元さんが見えますね。

東照宮に近づきます。立派な石垣とお堀ですね。

東照宮です。

鳥居です、一礼して潜ります。

お社です。

お参りして大給城と松平城の御城印をGETします。

うん?産湯の井戸があるそうです、行ってみましょう。

奥まったところにある様ですね。

産湯の由来書きがありました。

石灯籠に嵐がマーキングしています。

井戸はどこかな?

あれ?分からない( ;∀;)

とりあえずまたお参りします。

ああ、これだ、右の赤い扉で守られているところでしょう。

戻ると社に当たります。松平親氏公600年祭だそうで。

あらま、祈禱しなくてもお社に入れるそうです。200円賽銭箱に入れて入らせてもらいました。

天井絵を鑑賞して下さいって書いてます。

天井絵?

はえーこれは美しいです。

宮司さんが出ていらしました。御祈祷されるようですので退散。

東照宮を出ます。

松平東照宮と大給城の位置関係はこれを見て下さい。さて高月院を目指します。

あ、松平親氏さんの銅像です。ワイルドですね。

新田源氏の子孫で諸国を放浪して坊主徳阿弥となり、三河国松平郷に流れ着き、ある後家さんを娶ったのが、松平氏の始まりだとか。

室町塀だそうです、室町期のものでしょうか。

途中の茶店にありました。天下もちを是非食べたかったのですが、14時過ぎにもう閉店です、哀しい。

高月院です。

中に入ると本堂が見えました。

葵の紋はありますが、大樹寺にあった厭離穢土欣求浄土は見当たりません。

親氏さんの墓所があります。

遠くから失礼します。

家康さんお手植えの桜???本当かな?

松平城に向かいます。

歩きながら昔読んだ司馬遼太郎さんの本、中学生の時に読んだ「覇王の家」を思い出しました。

徳川家康を描いた作品ですが、三河に生まれてから小牧長久手の戦いまでが描かれています。その中に松平氏のことが書かれていました。

松平郷は山地であり、米が多く収穫できない。海側の平坦部を目指すのが理である。

うろ覚えですがこの様なことが書いてありました。

奥三河は木曽路程の険しい山ではありません。が、山の中なのです。

やはり美田を求めて山賊の様に押し出していくのも、分かる様な気がしました。

閑話休題。

国道301号沿いの駐車場に移って、下の表示図に従って進みます。

坂道を登っていきます、(*´Д`)はあはあ。一般の住宅もあるんですよ、不思議な感じです。

突然、標識が出ました。

さあ、最後に頑張りますよ。

主郭を目指すのみ!

登ります。

曲輪2です。

もうすぐかな。

あら5分位で到着してしまいました。

始まりの城(?)、松平城です。

東照宮でいただいた御城印。

では戻ります。

上郷SAで買った猫パンメロン味。明日の朝食にします。

でわ。


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