2023年4月16日笠置山に登ってきました。
前々から登ってみたかったので、調べると案外と住居から近く、また気軽に登れそうだと思いまして行くことにしました。
笠置山はこんな感じ。
標高は289メートルと意外と低いんですね。
JR木津駅まで出て、そこから大和路快速で加茂駅に出ました。そこから関西線亀山行きに乗換えです。
こんなトコ。
亀山行きはディーゼルでした!
お茶の京都トレインです。
笠置駅です。
緑が鮮やかになりつつありますね。
駅舎はこんな感じ。
振り返ると笠置山の戦いの一幕。
弓を放っているのが足助次郎重範。岩を投げつけているのが般若寺の本性坊。
登山口はここから歩いて5分というので歩いて目指します。
この標識を見て感動しました(笑)。右に行けば柳生、左に行けば伊賀、どちらも修羅の道ですね。(笑)
右に折れると見えてきました、登山口。
更に分岐します。
左が車道、右がハイキングコースです。
昨日は雨が降ったので車道を登ることにしました。
可憐な山吹の花が私を迎えてくれます。何ちて。
車道の登りはこんな感じです。歩いて45分とのことですが如何に。
車に抜かされたりしてヒィヒィ喘ぎながら登ると、おや石柱が。
「南朝忠臣足助重範公奮戦跡」と書いてあります。笠置駅前の弓を放つ人形の武将がここで戦ったんですね。
分かれ道があり、階段を登ります。
地図がありました、もうちょっと。
頑張れ、私、階段に負けるな!
僧兵が投げるには大きい巨岩が出てきました。
お茶屋の松本亭さんです。ちょっとベンチをお借りして一休み。
さあ、上を目指しましょう…っと?
おや山門が出てきました、笠置寺です。40分位で到着できました。
300円の拝観料をお納めします。
笠置寺はこんな感じ。
注連縄の張った結界です。心を清めて中に入りましょう。
笠置石。天智天皇の皇子が馬に乗って石の上から落ちそうになったのを、神に救いを求めたところ、無事助かったという伝説があります。
天智天皇の皇子って誰だろうと思ったら、一説には弟の大海人皇子、後の天武天皇とか、壬申の乱で敗死した大友皇子と分かれていました。
どっちやねーん!?
助かった皇子の発願で、天武天皇によって造立された弥勒摩崖仏です。
助かった皇子は誰やねん、天武天皇自身ではないんかーい?
とにかく今は焼失してお姿は見えません。
隣の正月堂ではデジタル復元化していましたよ。
うーむ、見えにくいですね。
十三石塔もありました。しかし石が大きいです。
巨石の間に挟まった祠です。
進むと伝虚空蔵摩崖仏です!!
見えますか?
何でも弘法大師空海の作だとか何とか。
この角度なら見やすいですか?
今度は胎内くぐり。
デブとは違うのだよ、デブとは!!でも太郎坊よりも狭いんですよ~
巨岩ゴロゴロ。
ゴロゴロ。
ゆるぎ石。
触ってみましたがピクリとも動きません( ;∀;)
ゆるぎ石から木津川が眺めました。
白いハナミズキ(自信なし)
平等石だそうです。一番の難所かも。
私より大柄な人は厳しいかもしれませんです。
二の丸跡に来ました。屋根付き休憩所とベンチが幾つかあるだけです。
お昼時ですのでお腹が空いてきました。持込みガスコンロでラーメンを作っている人たちがいましたよ。
貝吹き岩。
元弘の乱の時、法螺貝をが吹かれたとか。
もみじ公園に来ました。
秋の紅葉シーズンは凄そうですね。ここでお昼をいただきます。
持ってきたおにぎりとさつま揚げ、美味しかったです。
さすがもみじ公園。
渋い赤でした。
さて階段を上がります。目的地が近づいてきました。
後醍醐天皇の行在所跡です。正確には伝行在所だそうです。
吉川英治さんの私本太平記を読んだ時からここに来たかったんですよね~
階段を上がると、ここまで。
これ以上は入れず、でした。
傍らには、後醍醐天皇の詠まれた歌がありました。
うかりける 身を秋風に さそわれて おもわぬ山の 紅葉をぞ見る
どこでも巨岩。
大師堂。言わずと知れた弘法大師のことです。
階段を下りるとご本人が待っていました。
これにて笠置寺、周回完了です。1時間弱の冒険でした。
収蔵庫で笠置山縁起などを見学した後下山しました。
下り道はハイキングコースを使いました。途中に庚申堂がありました。
中は青面金剛童子、その下には三猿がいました。見ざる、聞かざる、言わざるです。
下りてきたハイキングコースです。
登りは車道の方が楽かもしれませんね。
それでは急いで駅に向かいます、本数が少ないもんですから(;´д`)でわ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます