- 2024年3月2日奈良を探訪してきました。
鉄人さんが奈良県桜井市の大神神社(大三輪神社)のご神体である三輪山登拝にお誘い下さったので参ることにしました。
9時に桜井駅で待合せ。
私は8時58分近鉄桜井駅に着。
ようこそ、国のはじまりを語る町桜井へ、と歓迎してくれちゃっています。
そこから鉄人さんの車でブロロンと大神神社へ参ります。
①大神神社
三輪神社大神神社はこんなところです。
我が国、最古の神社なのですよ。
高さ32.2メートルの一の鳥居。残念ながら中からの撮影しかできません。大きすぎです、ハイ。
熊野本宮大社の大斎原(おおゆのはら)の鳥居が33.9メートル。互角の勝負です。
熊野本宮大社攻略はこちら。
車を停めてお参りしましょう。
JR桜井線(万葉まほろば線)の三輪駅が見えます。電車はここが最寄り駅ですね。
ちょっと歩くと参道があって、露店も幾つか出ていました。
二の鳥居です。ワクワクしてきました。
階段を登ると拝殿です。
1664年寛文4年、4代将軍徳川家綱によるものだそうですが、実は背後の三輪山がご神体なのです。
拝殿に参る=三輪山を拝む、ということなんですって。
大物主命が蛇となりこの杉に住んでいたそうです。ただしこの杉は樹齢400年(´・ω・`)
お参りをして奥宮に進みます。
途中幾つもの神社が分祀されております。
おや、何かありますよ。
九州は宗像神社の市杵島姫命神社、弁天さんですって。
池の向こうから弁天さんを盗撮しました。
更に奥へ、神韻漂う雰囲気です。気持ちだけですが。
狭井神社。
こちらで登拝の受付をします、300円必要なのです。
また非常に重大なことですがここから先は【神域】ですので、以下のルールを守る必要があります。
参拝に関係ない行為は禁止
受付は「午前9時から正午まで(午前中)」(※下山報告は、午後3時までに狭井神社社務所へ)
山内では必要最小限の会話にとどめ、大声や歌唱等はご遠慮ください。
飲食は禁止、ただし熱中症防止の水分補給は可
撮影禁止
このたすきを首に掛けて参ります。
尚、神域で見たものを語ってはならないのです。
では行ってきます。
と、いうことですので三輪山を登りました。標高467メートルで、岐阜城金華山より高かったです。
登って降りて狭井神社には11時半過ぎに到着、約2時間掛かりました。
え?写真?
神罰が怖いのでありませんよ。
無事に降りてくることができました(笑)
休憩所で一休み。山崎の天王山よりきつく感じました。
これはJR東海のポスターをパシャリ、大鳥居と後が三輪山ですが、美しい一枚です。
御朱印を頂きました。最古の神社ですよ、何といっても。
12時になりました、そうめんが有名ですが温かいものが食べたくて、にゅう麺をいただきます。
万直し本店さんへ。
卵にゅう麺と柿の葉寿司セット1,030円でした。
卵にゅう麺が美味しいのです、温まりました~
②箸墓古墳
噂では卑弥呼の墓と言われています。大神神社の北西2、3キロのところにあります。
実は私は邪馬台国九州説派で、行ったことはありませんが宇佐神宮ではないか、と思っていますので、
モヤモヤしております。
でもやっぱり箸墓古墳、心が躍りますねえ。
宮内庁の説明版によれば大市墓。
第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と記述されていました。
Wikiによれば姫は百襲姫は大物主神の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せません。
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れました。
しかし百襲姫が驚き叫んだため、大物主神は恥じて三輪山に登ってしまいました。
百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は亡くなってしまい、大市に葬られたそうなんです。
これが箸墓の名の由来ですって(イタイイタイ!!)
もちろん中には入れません。
箸墓古墳を一望できる場所がありました。
最古の前方後円墳でもあり、伝承は三輪山と関係がある、これだけで十分にロマンがあるのです。
③纏向遺跡
箸墓古墳の北約500メールくらいにありました。
団地の中の一角です。
ここを入ると、
纏向遺跡ですよ。
どうやら水田とかお墓とかではないみたいです。
柱がボコボコと建っています。
見えますか?
JR巻向駅です。纏向と漢字が違いますね。
建物というか政治を司っていた場所の可能性があるんだそうです。
南に見える箸墓古墳。その東南には大神神社がある。
絶対関連がありますよね、そう思いませんか!!
④艸墓古墳(くさはかこふん)
鉄人さんに教えていただきました。
桜井駅を南下して、しばらく行くと安部文珠院の近くの住宅街の中に現れます。
私、初めて知りましたよ。
私有地で尚且つこの狭い道を歩きます。落ちたら怪我しそうですよ。
こ、古墳がいきなり!!!
凄いなあ。
中に入れそうです!
赤い石棺が見えます!元は朱だったのでしょうか。
な、何もいませんよね!!
触っても動きません(当たり前か)
大きいなあ( ゚Д゚)
玄室から外を眺めるとこんな感じ。
改めて凄いと思いました(感想が月並みで申し訳ありません)
石室に比べて石棺がかなり大きく、どのようにして石棺を収めたのか、古くから注目されている、と上記HPに書いてあります。
故春日三球、照代さんの地下鉄漫才か、って突っ込みを入れてしまいました(笑)
見学を終えて出ていくと、地図を持っているおじ様が近づいてきました。意外と古墳マニアが多いのですねえ。
この足で安部文珠院へ行きましたが、それは次のエントリーで。
⑤本薬師寺(もとやくしじ)
西へ移動、藤原京跡を越えて大和三山の耳成山、天の香久山、畝傍山を見ながら参ります。
今日は元薬師寺の発掘現場で橿原市の方が説明会を催してくれています。そこへ行きますのです。
菊紋の瓦。
分からないけど瓦(笑)
藤原京時代の薬師寺なんですね。
平城京遷都に伴って薬師寺は現在の場所に移ったようです。
歴史マニアがたくさん集まっています。
はっきり言って良く分かりません!がしかし!
駿府城の発掘現場も凄かったですが、こちらも凄い。
雨落溝(あめおちみぞ)と言うそうですよ。
こちらにも行ってみましょう。
伽藍の跡ですね。
柱が立っていたのです。
こちらは金堂跡。整体院の庭先を失礼する感じで、恐縮です。
金堂の礎石群。
大きな石がゴロゴロ。
石碑。
平城京近くに薬師寺が移っても、11世紀初頭まではこの地に元薬師寺は残っていたみたいです。
さて15時半過ぎ。
ここまでガイドを務めていただいた鉄人さんは所用があるそうなので、近鉄大和八木駅でお別れです。
私も大神神社登拝でいささかくたびれましたので、撤収します。でわ。
神域ルール、いいですねー!
日本全土、神域にすべきだと思います。
ソレハオイトイテ
古墳
明日香の石舞台古墳は行ったことがありますが、
土を盛った中に入るのもムード満点ですね♪
石棺はレプリカですよね?
それにしても石を加工する技術はすごいです。
あんなにきれいに丸くするなんて、道具とかは出てるんですかね?
宇佐神宮
すぐに思うのが道鏡事件、あの頃、朝廷は宇佐にお伺いをしたというのは、どういうことか不思議に思っています。
邪馬台国がらみじゃないのかな~って。
八幡総本宮があの地にあるという経緯も気になるところ。
(こっちは、大神さんってけっこう居ます。)
地下鉄…(笑)
これまでに発掘調査は実施されていない、ということですから恐らく本物ですよ^^
地下鉄漫才、ご理解いただけて嬉しいです。
素人考えですが、石棺ありきで周りに盛り土をしたのでは、と思うと私も気になって夜も眠れなくなっちゃう(笑)
>宇佐神宮
信託事件で、和気清麻呂は何故、伊勢ではなく、大神でもなく、宇佐に行ったのか。
そこの説明がないのですよ。
普通はご先祖様にお伺いを立てに行った、と考えますよね。
だとすると最初の土地である宇佐に行った、派遣されたと考えるのが……って見解に同意なのです。
近畿説の方を怒らせてしまうかもしれませんので、この辺りで。
調査されていない??
盗掘されてるんでしょうかね?
今回は内容盛りだくさんで、私の教養不足もありわからないことだらけ、繰り返し読み込み中です。
高千穂、鵜戸、青島、東征と、こちらに居ると身近なんですが、畿内方面は知らないことが多くて勉強になります。
私は暗くて分かりませんでした。
鵜戸神宮は初めて知りました。
下り宮なんて聞いたことがありません。知らないことが多いなあ