2023年10月21日大洲城に登ってきました。100名城82番目、宇和島と同じく2011年8月以来です。
地味に行きにくいお城です。
宇和島駅から特急しかないと思っていたら、バスがありました。11時4分宇和島駅前のバス、約1時間1,000円で旅ができます。
JR伊予大洲駅にジャンプしました。観光案内所でレンタサイクルをお借りしましたよ、電動アシスト付きです。
肱川橋に行くと、見えました、大洲城!!
もうちょっと進んでパシャリ。いやはや美しい。
お城に接近して市民会館辺りで撮影。
このまま登城しても良いのですが、空腹に負けてしまいました。
観光案内所のお姉さんに教えていただいた大洲まちの駅あさもやに行き、分油屋で昼食をいただきます。
分油屋さんはこちら。
とんくりまぶし1,400円にしました。
とんは豚くん、くりは栗、後はお出汁を掛けていただくものです、最高でしたよ。
ではお城攻略に戻ります。
緩い坂道を登ります。
石垣をお掃除・点検してくれています、感謝ですね。
天守が見えてきました。
登りきると天守の全貌が見えるのです。
調子に乗ってもう一枚。
こちらも良い石垣。
天守、高欄櫓、台所櫓の3つの建物が並んでいます。
この辺り、
暗り門跡とかいうおどろおどろしい名前がついています。
やってきました、天守。
こじんまり。
加藤貞泰さんは加藤光泰さんの息子で初代大洲藩主。
加藤光泰さんは、元々美濃斉藤家の家臣でしたが、秀吉の部下となり小谷城攻め、三木城攻め、山崎の戦い、賤ケ岳の戦いに参加しています。朝鮮の役で陣没してしまいました。
貞泰さんはその息子で、関ケ原で石田方につきますが家康にも内応するという離れ業(?)を演じ、何とか生き残った凄い人なのです。
ではいよいよお城の中へ。
貰いました、御城印。
お城カードも手に入れました、ミッションコンプリート。
再現されたお城の内部はこんな感じですよ。残念ながら狭間は空いておりません。
面白い記事です。
大洲城は高知城や松山城より大きいんですって。
いろは丸航海日記。
坂本龍馬が武器を運んで運搬中、紀州藩の船とぶつかって沈んだ船です。
いろは丸の所有者は大洲藩だったんですね、こちらも面白いです。
高欄櫓に入ることができました。そこから天守をパシャリ。
良い仕事されてますね。
再現天守でも階段は高いのです。
最上階に着きました。
鯱です、守り神。
天守から高欄櫓を見てみました。
お城から線路が見えますよ。
当時の絵図面です。
松本零士さんが描いた大洲城。鉄郎とメーテルが見学に来ています。
外に出て天守を撮影。うん?踏切の音が聞こえます。
間に合いました、肱川の上を渡る予讃線です。
さらば大洲城よ。
少し冒険をして、肱川沿いを探索すると芋綿櫓を発見しました。
天守がかすかに見えます。
もう少しベストな場所はないものでしょうか。
ありました。川の防波堤の上ですが、これ以上は進入禁止でした。
帰りに肱川を渡ったところの土手の上で一枚。犬山城チックでした。
伊予大洲駅に到着、自転車を返して松山行きの特急に乗ります。
駅の階段にも大洲城。
可愛くゆるキャラにラッピングされた列車です。外人の方々は激写していました。
予讃線、いつか行ってみたい伊予長浜経由松山までの海沿いの旅路。
下灘駅の眺めや夕日は見事なんですってね(ため息)
松山まで運んでくれた特急宇和海20号。松山駅まで帰って参りました。
着きました~
松山駅です。松山城と湯築城、下灘駅に行くために「 I shall return!」
お土産を買った後、松山EXP号或いは京阪神ドリーム松山号がお出迎え。
出発したのですが……あっ!!
松山城ですよ!!もう帰らなきゃいけないのに、テンションが上がります。
また参ります、でわ。
感心いたします。
石垣の整備、お手伝いさせてもらいたいです~
松山行きをまた計画しなくては、慌てます。